第18話四郎誕生 

天文15年(1546年)躑躅ヶ崎館の善信私室:善信視点


 うかつな事に、母上の縁戚には何の注意も払っていなかったし、前世の知識も皆無(かいむ)だ。そこで調べさせてみたが、分かった事がいろいろとあった。まずは母上の母、俺の祖母は武家伝奏を務める勧修寺の出身だった。何気に工作しがいのある家系じゃね?


 現在・曾祖父(そうそふ)の勧修寺尚顕(かんじゅうじひさあき)殿は存命で、義弟で能登守護を務める畠山家の当主・畠山義総(はたけやまよしふさ)修理太夫を頼り、動乱の京を離れ能登国に下向しておられるようだ。


 すでに出家され、法名は泰龍を名乗られているとのことだ。だが残念な事に、頼りの畠山義総は昨年亡くなってしまっていた。惜しい事をしたものだ、血縁の事をもう少し早く気付いていたら、採れる策がいろいろあったものを。


 現在の能登畠山家は、畠山義続(はたけやまよしつぐ)殿が継いでいるようなので、信玄と相談して遠交近攻を計ろう。


 大伯父(おおおじ)に当たる勧修寺尹豊(かんじゅうじただとよ)殿は、参議・武家伝奏として京にいるようなので、支援して武田家に取り込むか?


 従伯父(いとこおじ)に当たる勧修寺晴秀(かんじゅうじはるひで)も、京都で苦労しているようだ。足利幕府の内乱が激し過ぎるから、公家衆はその日の食べ物にも困っているようだ。






躑躅ヶ崎館の信玄私室:善信視点


 3月20日、諏訪御料人が4男を出産した。後の勝頼だろうが、今のところ名前がどうなるかは未定だ。だから今は、ただ四郎とだけ呼んでおこう。


「御屋形様、4男誕生おめでとうございます」


「うむ、頼菊の産後の肥立ちが心配じゃ、食養と薬湯は任せたぞ」

 

「承りました、血が増える食事を心がけております。」


 ちなみに家族の食事も同じものを用意している。だから今、俺と信玄の前に出ている食事と同じものが、三条の母上にも諏訪御寮人にも出されている、メニューは以下の通りだ。


1:鯖(さば)へしこの塩焼き

 :鯖(さば)・塩・糠(ぬか)

2:猪肝(いのししきも)の味噌煮込み

 :猪肝(いのししきも)・葱(ねぎ)・生姜・麦味噌

3:紅白(こうはく)なます

 :茹大根・茹人参・干柿・梅酢(うめず)

4:玄米飯

 :玄米

5:澄まし汁

 :たまり醤油・干椎茸・干瓢(かんぴょう)・牛蒡(ごぼう)・田螺(たにし)

6:梅干

 :梅・塩・紫蘇(しそ)

7:胡桃(くるみ)・黍団子(きびだんご)

 :胡桃を炒って磨り潰した餡を、黍団子に絡めたもの


木気:梅干・梅酢

火気:筍・銀杏・牛蒡

土気:大豆・玄米・猪肝

金気:生姜・葱

水気:鯖・塩・たまり醤油


「畠山家への工作はお考え頂けましたでしょうか?」


 以前から信玄に働きかけていた事を確認してみた。


「必要なのか?」


「はい、このまま信濃侵攻を続ければ、越後の実質的な支配者長尾家や、山内上杉家と争う事になります。その場合は長尾家に対して、越中の畠山家と能登の畠山家を動かせれば、戦(いくさ)が楽になります。山内上杉家に対しては、北条家を動かせれば戦(いくさ)が楽になります」


「そのための布石を打っておけと言う事か?」


「縁戚(えんせき)を活用できれば、戦が楽になるかと考えました」


「ならばやってみるか」


「はい、それで越後の長尾家ですが、守護代の長尾晴景の弟、長尾景虎が謀反を起こした黒田秀忠を攻め滅ぼしたそうです」


「お前が名前を出すと言う事は、注意が必要な武将なんだな?」


「はい、警戒しておく必要があります」


「では、お前の素破を荷役として越後に送り込み、内情を探らせておけ。場合によっては、越後国内に内乱を仕掛けよ」


「承りました」


「そういえば、三条卿は1月に左大臣に任じられたようだの、祝いは送るのか?」


「はい、孫として100貫文送りました」


 どうもこの時代の公家は、役職を持ち回りしてるようだ。官位は何人でも同時にもらえるが、役職には定員があるから、頻繁(ひんぱん)に任官と辞任を繰り返している感じがする。私見だが、地方の大名や国衆を頼って下向しなければ生きていけない公家は、下向前に役職に任官しているのではないだろうか?


 少しでも高位の官職を得られれば、下向先での待遇もよくなる。いや、そもそも高位高官でなければ、下向したくても大名に受け入れてもえらなかったのではないだろうか?


 戦国時代は武士だけでなく、公家にも厳しい、もちろん庶民には生き地獄だ!


「儂やお前の官位を斡旋(あっせん)してもらおう、信濃攻略には信濃守官位があれば都合がいい」


「承りました、虎繁に工作を指示いたします」






躑躅ヶ崎館の善信私室:善信視点


「若殿、京の虎繁殿から文が届きました」


 俺はざっと手紙を読んでみたが、落胆することになった。


「三条のお爺様が、左大臣を辞退されたそうだ」


「それは残念なことでございますな」


「もう少し役に立っていただけたらよかったのだが、仕方ないな。将軍家と細川晴元伯父上に働きかけて、信濃守護職を狙うか」






 4月20日の夜、北条氏康が関東連合軍を破った。氏康は自軍を4隊に分け、そのうち1隊を多目元忠に指揮させ、戦闘終了まで動かさなかった。


 氏康自身は残り3隊を率いて敵陣へ向かい、子の刻、氏康は兵士たちに鎧兜を脱がせて身軽にさせ、上杉連合軍に突入した。上杉軍は大混乱に陥(おちい)り、氏康は扇谷上杉軍の当主の上杉朝定と難波田憲重を討ち取った。


 山内上杉の方は、大将・上杉憲政を上州平井まで敗走させた。さらに山内上杉家の重鎮である、本間江州、倉賀野行政を退却戦で討ち取っている。


 氏康はなおも上杉勢を追い散らし、敵陣深くに切り込んだようだ。だが戦況を後方より見守っていた多目元忠が危険を察し、法螺貝(ほらがい)を吹かせて氏康軍を引き上げさせたようだ。


 城内で待機していた「地黄八幡」綱成は、この機を捉えて打って出たそうだ。その際には足利晴氏の陣に「勝った、勝った」と叫びながら突入し、すでに浮き足立っていた足利軍もさんざんにうちやぶり、古河へ敗走させたそうだ。


 この北条氏康の勝利を受けて、信玄は信濃侵攻を決断した!


 5月3日、信玄が佐久郡侵攻を開始する。内山城主・大井貞清(おおいさだきよ)は、籠城して信玄に抵抗するが、5月20日には落城し、貞清は降伏した。貞清は躑躅ヶ崎館に連行され、忠誠を誓わされたうえで、館に軟禁された。信玄は内山城代に小山田虎満(おやまだとらみつ)を任命し、人質となった貞清の家臣団を、与騎同心として配属した。


 今回の侵攻では、大井領内や内山城での乱暴狼藉は行われなかった。理由は簡単な話で、信玄が大井家の兵を取り込む思惑(おもわく)だったからだ。だがそれができた理由は、前年の収穫が平年並みで、武田の民が餓えるほど困っていなかったからだ。それに自画自賛になってしまうが、俺の提案で信玄が行った山狩りで、民が豊かになっていた。狩猟によって得られた獣肉が、劇的に民の飢餓を減少させたのだ。


 さらに民の利益となったのが、俺が漢方薬の材料を買取ったことだ。彼らは血眼(ちまなこ)に成って、漢方薬の材料となる獣や薬草を探し回った。特に刀傷用の脂薬の原料となる、熊脂・鹿脂・猪脂は品不足のため高値(たかね)で買い取った。そのせいで、武田領内の野生種が減ってしまったくらいだ。


 殺菌効果のある薬草を練り込んだ脂薬は、蛤1杯分で最低1貫文と恐ろしくらいの高値(たかね)で売れた。理由は簡単な話で、この時代には抗生物質などなく、泥まみれの殺し合いで受けた刀傷は、命取りになるのだ。


 俺が生まれ変わる前には聞かなくなっていたが、子供の頃は破傷風で死ぬ人は当たり前にいたのだ。ましてこの戦国の世だ、ささいな傷でも、傷口に泥が着くと命取りなのかもしれない、俺も気を付けよう。大名にとっては刀傷用脂薬は、功ある家臣に与える土地がない場合に、褒賞代わりに成るようだ。血統を残すための精力剤と、命永らえるための傷薬の需要は際限がなく、俺の資金源としては最高だ。


 そこで鹿に続いて、猪の養殖も始めることにした。永田徳本先生の指導で、猪を材料とする漢方薬生産も軌道に乗ったのだ。ありがたいことに、猪は漢方薬の材料としては使えるところが多い。皮膚(猪膚)・胆嚢(猪胆)・胆汁(猪胆汁)・胆嚢結石(野猪黄)・肝臓(猪肝)・胃(猪肚)・大腸(猪腸)・蹄・爪・頭骨・精巣・膀胱・腎臓・心臓・肺・被毛・血液など、ほぼ全身が生薬に使える貴重な動物と分かったのだ。


 だが残念ながら、水腫病の予防法と治療法は分からず終(じま)いだ。いっそ人体解剖させてみるか?


 でもそんなことをすれば、俺の信用がガタ落ちに成るだろうか?


 何より人体解剖で、永田先生が感染するリスクは避けないといけない。送り込んでいる子供たちが一人前になるまで、ここはぐっと我慢するか?

 

 潜伏期間なのかもしれないが、福与城の兵士たちが発症していないことを喜ぶだけだな。

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