第58話丹後侵攻

 5月下旬『丹後・小倉城』


 「義直様、急にそのような事を申されまして返事のしようがありません。」


 「私も正直よく分からんのだ、その辺の事は母上様に聞いてくれ。」


 「直虎様、いったいどう言う事なのですか?」


 「他言無用のここだけの話なのですが、宜しいですか?」


 「決して他に漏らさぬ事を誓います。」


 「今年の5月の事ですが、三好長逸殿が観音寺城まで参られたのです。」


 「母上様! そのような事は聞いておりません。」


 「御隠居様が今川家の事を考えて御会いになりました。」


 「父上様がですか? ならば仕方ありませんが・・・・・」


 「そこで長逸殿は、今川家と三好家の誼を深くしたいとの申し出られたのです。」


 「直虎様、それと私が今川家の下で丹波守護代に任じられることがどう繋がるのですか?」


 「義直様が丹波・大和・伊賀・紀伊の守護に任じられ、その下で内藤宗勝殿を丹波守護代、松永久秀殿を大和守護代に任じようと、長逸殿との話し合いで決まったのです。」


 「そんな勝手な話はありますまい! 義重様の頭ごなしにそのような勝手な振舞いは許されません!」


 「それを今川家に、いえ義直様に言ってどうするのですか?」


 「どういう意味ですか?」


 「私も御隠居様も、長逸殿が頭を下げて願って来たから聞き入れたのです、全ては三好家内の内輪揉めではありませんか。それを同じ三好家の者が知らぬと反故にすると言うなら、今川家と三好家の合戦となりますが、あなたにその決定をする権限があるのですか?」


 「それは・・・・・」


 「長逸殿は、義直様と義継様は公方様を通じて義兄弟、だから責任を持って丹波・大和・紀伊・伊賀の守護を義直様に任じて見せる。その代わり丹波守護代は引き続き内藤宗勝殿に、大和守護代は松永久秀殿に任せて欲しいと言われたのです。」


 「長逸殿は、私と兄を無碍にしたわけではないと申されるのか。」


 「少なくとも、私達にあなた方を攻めてくれとは申されませんでした。引き続き守護代を保証して欲しい、そう言われていましたよ。」


 「京に使者を送って確認させて頂きたい。」


 「ですが義直様に時を浪費させる事は出来ません、今日にも軍を進めて1日も早く皇室御領を回復しなければなりません!」


 「しかしそれは・・・・・」


 「宗勝殿! あなたが丹波守護代にもかかわらず、皇室御領を押領した者を庇うと言うのなら、朝敵として共に攻め滅ぼしますよ!」


 「承った、しかし義直様が公方様から丹波守護に任じられたとは聞いておりませんが?」


 「それは長逸殿の責任でしょう。いえ、それどころか公方様を弑逆(しいぎゃく)するなど、どう言う事ですか!」


 「それは・・・・・私も兄も何も聞いておりませんでした。」


 「義直様も御隠居様も、京に攻め込み応仁の乱のような混乱を引き起こし、御上に類が及ぶ事を恐れて自重しております。しかしながら、これ以上今川家を蔑ろにするようなら、三好家を攻め滅ぼします!」


 「その件に関しては恥入るばかりでございます。」


 「ならば三好家内で話が纏まるまで、二度と我らの前に顔を出さないでください。義直様が丹波・大和・紀伊・伊賀の守護職に任じられる前に、三好家の者が今川軍の前に現れたら、それは宣戦布告を受け止め問答無用で攻撃します。」


 「承った。」



 『丹波・中村城』


 若狭と丹波の国境に勢力を持ち、中村城・島城・今宮城などを支配下に置く川勝光照が降伏臣従してきた。その為、川勝光照の本領を安堵した上で道案内させて先を急いだ。


 総勢5万の大軍で慎重に進軍する義直軍に対して、片山兵内・出野甚九郎・粟野久次の和知三人衆は降伏臣従してきた。義直はそれを許し、先方に任じて道案内と調略を命じた。


 一方山家城の和久義国は抵抗したが、義直が何よりも優先する皇室御領回復・宇津頼重討伐とは別方向であったため、1部の軍勢を派遣して抑えとした。


 さらに軍を進めると、井尻北城・井尻南城・井尻中城・坂井城を支配下に置く谷垣兵部も降伏臣従に現れた。谷垣兵部も降伏臣従を許し、先方に任じて道案内と調略を命じた。


 同時に鎌谷南城と鎌谷城を支配下に置く細見河内守と、その家臣・細見山城守・細見長助もやって来た。細見河内守も降伏臣従を許し、先方に任じて道案内と調略を命じた。


 しかしながら八上城・波多野秀治の武将、籾井城主・籾井教業が八田城に籠って抵抗してきた。籾井教業は「青鬼」と呼ばれる猛将であるが、今回の最優先目標で無いので、抑えの兵を置いて先を急いだ。


 軍を進めると、船井郡西部の有力国衆で、須知城・豊田城・位田城などを支配している須知元秀も降伏臣従に現れた。須知元秀にも降伏臣従を許し、先方に任じて道案内と調略を命じた。


 しかし塩貝城の塩貝将監晴政は、息子の塩貝将監晴道と共に城に籠って抵抗の姿勢をしめした。だが此奴も今回の主敵ではないので捨て置き、抑えの兵を置いて先を急いだ。


 そして遂に宇津頼重が籠る、宇津嶽山城と宇津城を包囲した。


川勝光照・桑田郡今宮城主

川勝継氏・川勝光照の息子

川勝秀氏・川勝継氏の息子

1582年の本能寺の変以降は豊臣秀吉に仕え、同年9月9日には嫡男・秀氏が秀吉より丹波国何鹿郡内で3535石を与えられている。

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