第10話不安
「父上、この度の事は、どう言う事なのでしょうか」
「う~む」
「父上」
「これはあくまで想像なのだが、それでもよいか」
「構いません」
「上様が佐久間殿に出された折檻状からは、いくつかの事が読み取れる」
「はい」
「一条に書かれている事は、石山本願寺を五年間も囲みながら何の功績もなく、世間は不審に思っているし、上様にも思い当たる節があると書かれておられる」
「本当でございますか」
「まあ待て」
「はい」
「二条に書かれている事は、石山本願寺を恐れて、付け城に籠っているだけで、戦う事も調略することもせず、上様の威光で降伏するのを待っているだけだった。それは武士ではない。武士とは機会をとらえて戦い、兵卒に負担をかけないモノだと書かれておられる」
「確かに、何度も何度も与力に派遣されました」
「三条に書かれている事は、明智殿や藤吉郎兄者、池田殿が華々しい功名を上げているのだから、老臣ならば奮起すべきだったと書かれておられる」
「確かににその通りでございます」
「四条に書かれている事は、柴田殿は奮起して加賀に攻め込んで平定されたと書かれておられる」
「確かにその通りでございます」
「五条に書かれている事は、戦う機会を見出せないのなら、せめて調略くらいしろ。それも出来ないのなら、せめて上様に知恵を借りに来い。五年間それもしないとはどう言う了見だと書かれておられる」
「もっともでございます」
「六条に書かれている事は、与力の保田殿が『石山本願寺の一揆衆を下せば、他の一揆衆も大半降伏するだろう』と書き送ってきたが、それに佐久間殿親子も連判しているのは、自分達の怠けを理解しているからではないのかと書いておられる」
「本当に手を抜かれていたのでしょうか」
「さあな。だが上様から見られれば、歯痒い事であったのかもしれぬ」
「はい」
「七条に書かれている事は、上様は佐久間殿には特別な待遇を与え、佐久間殿の家中に加え、七カ国から与力を与えてきた。この様な状態で本気を出して戦っていたら、もっと早く石山本願寺を降伏させられたと書かれておられる」
「確かに、殿や明智様の戦いぶりに比べれば、余りに消極的でございます」
「八条に書かれている事は、水野殿が死んだ刈谷の地を加えてやったのに、その兵力を活用するどころか、水野家の家臣を放逐した。放逐した分の将兵の補充をするかと思えば、一人も補充せず、加増分を着服して金に換えたと書かれておられる」
「何たることでございますか。殿も父上も、軍資金の捻出にどれほど苦労している事か」
「刈谷に加えて山崎も領地に加えてやり、山崎の心利いた者を推薦してやったのに、直ぐに追放してしまったと書かれておられる」
「それは。余りに稚拙でございます。上様の心証が悪くなって当然でござます」
「探られたら困ることがあったのかもしれぬな」
「まさか。佐久間殿まで寝返る心算だったのでしょうか」
「さあな。九条に書かれている事は、家臣達に正当な加増をしてやり、別動隊に与力を付けてやり、新規に将兵を召し抱えていれば、もっと早く石山本願寺を降伏させることが出来たのに、軍資金を着服する事ばかり考えているから、世間から批判されることになったのだと書かれておられる」
「もしや、与力衆はもちろん、佐久間殿の家中からも、上様に佐久間殿への讒言が届いているのでしょうか」
「恐らくそうだろう。いや、それに加えて明智殿や殿からも、苦情が届いているのだろうな」
「与力に派遣された時の事ですか」
「危険な持ち口を与えられたからな」
「はい。何時も佐久間殿は、安全な持ち口に自らの手勢を置かれておられました」
「十条に書かれている事は、朝倉との戦いでは、与力に来たにも係わらず、上様の方針に逆らって勝手に軍議から出ていき、上様の面目を潰した。にもかかわらず自分は石山本願寺相手に籠城するしか能がないと書かれておられる」
「もっともでございます」
「十一条に書かれている事は、甚九郎殿の罪状は、書くことが出来ないほど多いと書かれておられる」
「佐久間様を諫言なさるべきでした」
「そうだな。儂なら兄者を諫言していただろう」
「私も殿がこのような事をなされていれば、命懸けで諫言していたと思います」
「十二条に書かれている事は、佐久間殿のことを簡潔に言えば、一番に欲深く、気難しく、良い家臣を求めない、横着者で、親子共々士道不覚悟であると書かれておられる」
「そう書かれても仕方ありませんね」
「十三条に書かれている事は、与力にばかり負担をかけ、与えた領地で家臣を召し抱えず、軍資金を着服していると書かれておられる」
「余程多くの与力衆から讒言が届いていたのでしょうね」
「佐久間殿の与力や家中の者が甚九郎殿に何も言えないのは、自分はもちろん甚九郎殿にも全く危険な戦をさせず、過保護にし過ぎるからだと書かれておられる」
「殿はもちろん明智様も、最も危険な持ち口は御自身か一門衆に任されておられます」
「そうだな。与一郎も気を引き締めねばならんな」
「はい」
「十四条に書かれている事は、上様の代になって三十年、他の家臣に比べて一番と言えるような武功を立てたことは、一度もないと書かれておられる」
「筆頭老臣と言う立場でいながら、新参の殿や明智様はもちろん、荒木殿や松永殿にまで武功で劣るようでは、上様も不甲斐ない思いをされておられたのでしょうね」
「その通りだな。十五条に書かれている事は、先年三方ヶ原で武田に敗れた時には、勝ち負けは武家の習いで仕方ないにしても、同盟軍の徳川家への面目は保たねばならぬ。負けるのは仕方がないが、佐久間殿どころか、一族一門の誰一人討ち死にしていないとはどう言う事だ。しかも事もあろうに、一緒に援軍に出た平手殿が討ち死にしているのに、恥知らずにも見殺しにして平然としている。御前は馬鹿で恥知らずだと書かれておられる」
「もっともでございます」
「十六条に書かれている事は、事ここに至っては、どこか敵を討ち破って、今迄の行いを償うか、どこかで討ち死にするしか、武家の面目を保つ方法がないぞと書かれておられる」
「これは、父上」
「ああ、佐久間殿の奮起を願っておられる」
「上様の何と御優しい事か」
「まことにな。十七条に書かれている事は、親子共々頭を丸めて、高野山に隠棲して許しを乞うのが当然だ。今まで書いて送ったように、ここ数年他の武将達に比べて武功が足らなすぎる。筆頭老臣の御前が上様に逆らって諫言するから、他国の者まで上様に逆らうのだ。その償いとしてその地位に見合った、最後の二か条を成し遂げて見よ。そうしなければ他の家臣が納得しないぞと書かれておられる」
「佐久間殿はこれほど家中から嫌われておられたのですね」
「石山本願寺との戦に与力に派遣され、死んでいった者たちも多い」
「はい」
「佐久間殿が早々に石山本願寺を下してくれていれば、荒木殿も追い詰められて裏切ることもなかっただろう」
「そうですね。荒木殿が裏切らなかったら、官兵衛殿も脚が不自由になる事もなかったでしょうね」
「それにしても上様は御優しい」
「はい」
「佐久間殿に再起の機会を与えようとなされておられる」
「はい」
「だが我が羽柴家も気を付けねばならん」
「はい。羽柴家も与力に来ている方々が多い」
「彼らの心を掴んでおかねば、何時上様に讒言されるか分からん」
「はい。私が二万石も頂いてよかったのでしょうか」
「それくらいは大丈夫だと思うが、これからは気を付けねばならんな」
「はい」
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