エピローグ
E-1 恩返し
前日は夜遅くまで客足が絶えなかった「メロス」。
祥次郎はほとんど眠れず、片付けが終わった後、店の中で毛布にくるまり、ソファーの上で寝ていた。
ようやく心地よい眠りについた時、突然スマートフォンの着信音がけたたましく鳴り響いた。
「う~ん……いったい、何なの?やっと眠れたと思ってたのにぃ!」
眠い目をこすりながら起き上がり、カウンターの上に置いたままのスマートフォンを開けた。
どうやら、秋音からのメッセージが届いていたようであった。
『やっほ~!秋音だよ。昨日は遅くまでお疲れ様!今日ね、「メロス」で働きたいって言う人がいるから、連れて行くね。マスターに面接してもらいたいんだけど、良いかな?突然の話でゴメンね』
祥次郎は思わず驚いた。
「メロス」は、祥次郎の濃いキャラクターゆえに、求人広告を出して新しいアルバイトが入っても、そのたびにすぐ辞められてしまった。若菜がアルバイトを始めた時、ようやく少しだけ身軽になったと思っていたのに、開始後わずか数か月で逮捕されてしまい、結局また秋音との二人体制に戻ってしまっていた。
しばらくすると、入り口の重いドアがゆっくり音を立てて開いた。
そこには、いつものように買い物袋を沢山手に下げた秋音の姿があった。
「あ、秋音ちゃんか、びっくりしたなあ、もう」
すると、秋音はニヤリといたずらっぽい笑みを浮かべ、後ろから一人の女性の手を引くと、そのまま勢いを付けて、祥次郎の前に押し出した。
女性は急に秋音に押しだされ、苦笑いを浮かべながら、軽く一礼した。
「あ、あなたは……理香さん?」
「そうです。池沢理香です。マスター、お久しぶりです」
「秋音ちゃんから聞いたよ。ウエストサイドホテルに戻ってきたんだって?」
「はい、皆さんのおかげでエクセレントグループから独立できたことが嬉しかったし、重田社長の話を聞いて、もう一度、このホテルをみんなで立て直そうって思って。今日もホテル管理業務の傍ら、社長が主宰するホテル再生会議に出てきたんですよ」
理香は仕事帰りの様子で、ショルダーバッグを提げ、ヒール姿を履いたままの姿であった。
「理香ちゃん、このお店でアルバイトしたいんですって。ね、マスター、いいでしょ?ホテルが遅番じゃない日だけになるけど、ここんところ忙しくて、私たちだけじゃてんてこ舞いだしさ。彼女ならホテルマンの経験を活かして、気を配った臨機応変な対応が出来ると思うよ」
秋音は、苦笑いする理香の隣で、腕組みしてウンウン頷きながら、理香を推薦する理由を訥々と説明した。
「まあ、正直忙しくて働き手が欲しいけど、いいのかい?理香さん。ウチの仕事は、お客さん次第でね。お客さんが帰らなければ、終電を逃す位遅い時間まで営業することもあるし。それに俺、ごらんのとおり、マイペースでお調子者だからさ。何されるか分からないって言って、辞める人も多いんだよね」
祥次郎は最後の部分で声のトーンを落とし、指を絡めながら呟くように話したが、理香はクスクス笑いながらも、
「大丈夫です。何度も見てきましたから、少しだけ慣れてますので。それより私、何度も私のホテルを救ってくれたマスターに、自分なりにできることをしたくて。秋音ちゃんに相談したら、お店を手伝ってみたら?って言われて」
と、力強く答えた。
「え?俺のために出来ること?だったら、お店のお手伝いも嬉しいけど、もっと別なことでもいいんだけどな、たとえば……」
「あ~もう、ウダウダ言わないの!せっかく理香ちゃんが手伝ってくれるって言ってるんだから、このチャンスを逃したら、またしばらくは私たち二人で切り盛りしなくちゃいけないんですからね。私も正直、もう疲れてきてるんだから!」
「わ、わかったよう。これで秋音ちゃんにも辞められたら、この店は本当につぶれちまう!よし、理香さん、採用決定!早速今日から手伝ってくれるかい?」
「はい、喜んで!」
秋音の金切り声で押し切られ、結局祥次郎は理香を採用することになった。
「やった!じゃあ理香ちゃん、今日からよろしくね!」
「うん、よろしくね、秋音ちゃん」
秋音と理香は、ハイタッチして喜びを分かち合っていた。
夜が更けるにつれて、「メロス」には次々と客が入って来た。
秋音はウイスキーを注ぎ、祥次郎はシェイカーを振ってカクテルを作り、理香はオーダーを聞いたり、出来上がった飲み物を配るなど、接客を主に行った。
この夜も椅子が全部埋まるほどの賑わいとなったが、三人のチームプレーで、見事に乗り切った。
日付も変わろうとするとき、勢いよくドアを開け、体格の良い大男が千鳥足でフラフラと店内に入って来た。
「うえ~い!ショウちゃん、今日も遊びにきたぞ~!」
「お、宇都宮刑事!どうしたんですか、今日はどこかで飲んできたんですか?」
「ああ、ずっと捜査していた麻薬密輸事件、ようやく犯人が見つかったんで、お祝いを兼ねて非番の署員と一緒に飲んできたんだよ」
宇都宮はカウンターの一番奥の定位置の席に座ると、秋音が宇都宮のボトルを棚から取り出し、手際よくロックで割ると、理香に手渡した。
理香は両手でグラスを持ち、宇都宮の席に届けようとしたが、途中で歩みがピタリと止まった。
目の前にいるのは、去年、美術品盗難の容疑で自分を取り調べた宇都宮であった。取り調べ中、何度となく詰問されたこともあり、そのときの苦い思い出が頭をよぎった。祥次郎や秋音も、さすがに理香に宇都宮の対応をさせたのはまずいと思ったが、理香は既に、ウイスキーの入ったグラスを手に、宇都宮の席の前まで進み出ていた。
「こんばんは、今日からここでお手伝いする、池沢理香といいます。去年は、本当にご迷惑をかけて、すみませんでした」
すると、宇都宮はほろ酔い気分からふと我に返り、目を丸くして理香の顔をじっと見つめた。
「き、君は……あの美術品盗難事件の時の!」
祥次郎は、カウンターの隅で「あちゃ~」と小声でつぶやきながら、片手で額を押さえた。
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