3-6 若菜の本心
秋音は床にしゃがみ込み、微笑みながら壁にもたれて座る若菜に目線を合わせて話かけた。
「何でナイフを振り回したの?私たちを殺したい理由は何なのか、良かったら聞かせてくれるかな?」
しかし、若菜は真一文字に結んだ口元を開くことはなく、視線をそらし、うつむいたままであった。
「……まあ、言いたくないというのは分かったわ。私たちに聞かれたくないことを色々聞かれて、頭に来たんでしょうから」
「はあ?別に頭にはきてませんけどぉ」
若菜は、ようやく口を少し開き、吐き捨てるような口調で答えた。
「じゃあ、何でこないだ電話してから間もなく、ナイフを持ってこの店に来たのよ?相当頭に来たんじゃないの?ユキちゃんの話を聞かされてからちょっと態度がおかしかったもの」
「だから、ユキちゃんって誰なんですかぁ?それが私だって言うの?先生、こないだから私だと決めつけたような話してるけどさぁ」
「私、マスターから写真見せてもらったけど、『フロイデ』のユキちゃんは、間違いなくあなただったよ。それに、学校から聞いた話だと、前期から予備校の出席率が悪かったうえ、二日酔いでフラフラになりながら授業に来ていたって言うじゃない?」
「ふーん、見間違いじゃないんですかぁ?私にそっくりな人なんていくらでもいますって。それに、私がたまたま二日酔いしてるから、バーの手伝いしているってどうして繋がるんですか?」
若葉は、徹底してシラを切り、逃げ切りを図ろうとしている様子である。
しかし、秋音は、若葉の右隣に立ち、言葉をつづけた。
その手元には、祥次郎に傷を負わせた果物ナイフが握られていた。
「先生、どういうつもりよぉ?なんでナイフ持ってんの?返してよぉ!それ、私のだからぁ」
「返す前に、私の質問に答えてくれる?」
「はあ?何で質問に答えなくちゃいけないんですかぁ?」
「いいから、答えて!答えなければ、ここであんたの手足を、うちのマスターのように傷を負わせてやってもいいのよ?」
「へえ、やってみたら?」
すると、秋音は、ナイフを若葉の喉元に突きつけた。
「!?」
「やるわよ。いいかしら?」
「や、やってみたらぁ?その代わり、あなたは明日から犯罪者の仲間入り。のうのうと予備校の先生、そしてここでバーテンダーのお手伝いなんてやってられないわよぉ」
「別にいいわよ」
「え!ど、どうしてよぉ?」
すると秋音は、若菜の喉元に突きつけたナイフをそのまま真下の方向に振り下ろした。
ナイフはそのまま、若菜の足を縛り付けたハンカチを貫通した。
ハンカチは見事に真っ二つに引き裂かれ、若菜はその衝撃で壁に背中を打ち付けた。
やがて、壁にもたれながらも起き上がった若菜は、ふらふらと立ち上がり、やがて溜めていた感情を爆発させるかのように、声を上げて大笑いした。
「あ、あはははは、何やってんのお?私を縛り付けておくハンカチを切り裂いてどうするつもりぃ?バッカみたい。じゃ、私は帰るね。バイバーイ」
そう言うと、若菜はドアノブに手をかけ、表に出て行こうとした。
その瞬間、ドアにナイフの鋭い刃が、トン!と強烈な音を立てて真っすぐに突き刺さった。
「逃げられると、思ってんの?」
秋音は若菜の背後から近づき、手を延ばしてドアからナイフを引き抜くと、ナイフの刃を若菜の口元に近づけた。
「さあ、話しなさい。ハンカチが破けたから自由になったと思ったら大間違いよ」
「い、いやだぁ。何であんたたちに話さなくちゃいけないのよぉ」
「私はあなた達学生の意欲を信じて、試験本番で力を発揮してもらうために、一生懸命勉強を教えてきた。けどね、こういう形で私たちを傷つけるのは、私たちに対する裏切りでしかないよ!私は、悔しくて、悲しくて……」
すると、若菜は無言のまま立ちすくみ、何もせず微動だにしなかった。
「たしかに若菜ちゃんの言うとおり、私たちに疑われてることは気分が悪いし、それに抗いたくなる気持ちもわかる。私もさ、これまで信じ続けてきた学生に裏切られたなんて思ったら、嘘をつかれたなんて思ったら、やっぱり悔しいし、頭に来るわよ。私は、若菜ちゃんはそんなことしないと信じてる。だから、正直なことを教えてほしい」
秋音の説得にも関わらず、若菜はずっと口をつぐんだままだった。
「どうしたの?どうして何も話してくれないの?」
若菜は何も語らず、首を横に振るだけであった。その表情からは、どことなく虚無感のようなものを感じた。
「言いたいことがあるんでしょ?若菜ちゃん?どうなの?」
若菜は相変わらず黙っていたが、何やら口元がわずかに動いていることに秋音は気づいた。
「大丈夫だよ、若菜ちゃん。先生、ここでずっと待ってるから。言いたくない、言えないという気持ちは分かるよ。けど、焦らなくていい。言いたくなったら、遠慮なく私に話してほしい。若菜ちゃんのありのままの気持ちを、伝えてほしい」
すると、若菜は少しずつ口を開いた。
その言葉は途切れがちで、文章として繋がっていないように聞こえた。
しかし、そこには若菜の本当の気持ちがこもっているように思えた。
秋音はその言葉を聞き終えた後、若菜に近寄り、両腕で若菜の体を抱きしめた。秋音の頬を、いくつもの涙が伝って落ちて行った。若菜の顔を見つめると、心なしか泣いているように見えた。
「!?」
その時突然、秋音は背中に衝撃を受け、膝から崩れ落ちるように倒れた。若菜を抱きしめていた腕は宙を仰ぎ、床にそのまま突っ伏してしまった。
「え?先生……?どうしたの、先生、ねえ?」
若菜の声は、混濁する意識の中でゆらめきながらこだましていた。
「先生!どうしたの?起きて!先生!起きて!」
やがて、秋音はそのまま意識を失い、目を閉じたまま起き上がらなかった。
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