3-4 裏切り

 祥次郎はいつまでも返事のない若菜の対応に業を煮やし、次第に口調が荒くなってきた。


「どうなんだい?若菜ちゃん。ユキちゃんについて、何か知ってるんだろ?」

「知らないですね……誰ですか?その人」

「ユキちゃんは、高校出たばかりでそのお店に入ったんだそうだ。そして、店の常連だったエクセレントグループ社長の息子さんである江坂裕恒さんのことをお気に入りで、ユキちゃんはいつも相手してお酒を注いでいたそうだ。ちなみに、裕恒さんは篠田ケインズというハーフのお友達と一緒に飲みに来ていたそうだ」

「……」

「裕恒さんは酒が飲めなかったそうだが、この店で注がれた酒は相当強いものだったそうだ。結果的に裕恒さんは体調を崩し、その数か月後、裕恒さんは食道がんで亡くなってしまった」

「どうしてそのユキちゃんが、私だというんですかぁ?」

「ユキちゃんの勤めていた『フロイデ』のマスターの小野田君って、私の昔からの知り合いでね。君の写真を小野田君に見せたら、『この人がユキちゃんだ』って言ってたよ」

「その、マスターという人の勘違いじゃないですかぁ?」

「どうしてだい?」

「証拠があるんですかあ?何もないんでしょ?」

「さっき小野田君に頼んで、メールでユキちゃんという人の写真を送ってもらったんだけど……顔立ちも何もかも、そのまま若菜ちゃんだぞ」


 祥次郎がスマートフォンに写し出された写真を見ながらそう言うと、若菜は無言のまま、電話を切ってしまった。

 秋音は脇から祥次郎のスマートフォンの写真を覗き込んだが、そこに居たのは、髪型こそポニーテールで最近の髪型とは違うと言え、まさに若菜そのものだった。


「ああ……若菜ちゃん。やっちゃったね」

「まあな。でも、どうして偽名使ったり、裕恒さんを狙って強い酒を注いでいたんだろう?」


 その後、若菜は祥次郎にも「メロス」にも連絡をよこさず、そのまま閉店の時間を迎えた。

「ユキちゃん」の話題が出た途端、若菜は言葉少なになった。

 若菜は好奇心から「メロス」でアルバイトをしたいと話していたが、その以前に既に「フロイデ」で、しかも偽名を使って仕事をしていた。

 祥次郎や秋音に、嘘をつき続けていたことになる。

 そして、何人もの客をアルコール中毒にし、さらには常連客だった裕恒を死に至らしめてしまった。

 若菜の狙いは一体何なのだろうか?

 受験勉強のストレスからしたことなのか?憎んでいた相手だったのか?それとも誰かに操られてやったことなのか?

 祥次郎はずっと目を閉じて、何やらブツブツ言いながらも思案し続けていたが、考えすぎて疲れてしまったせいか、祥次郎はそのままテーブルで寝てしまった。


「もう、マスター!寝ないでくださいよ。置いていきますよ。ったく、探偵なのに、考えてるうちに疲れて寝ちゃうなんて、最低よ!」


 秋音は祥次郎の耳元で大声で叫んだが、祥次郎は額をテーブルに押し当て、ぐっすり熟睡している様子であった。

 秋音は両手の掌を上にあげ、お手上げのポーズをとると、カバンを掴み、重いドアを開けて店の外へと出た。

 いくら着込んでも体の芯から冷える冬の夜、ブーツの靴音を鳴らしながら、秋音は階段をそそくさと登った。明日は予備校の授業が朝早くから予定されているので、早く家に帰りたかった。

 階段を登り切った時、秋音はふと思った。若菜をはじめとした既卒生クラスは、受験シーズンに入り、講義がすべて終わってしまったが、若菜はまだ予備校に籍を残しているはずである。

 秋音は、若菜の口から出る言葉が次々と嘘だと分かるにつれ、若菜の言葉をどこまで信じたらよいか疑心暗鬼になっていた。

 若菜の言葉の真偽を確かめるべく、まずは若菜の名前が本名なのか?予備校の教務に、若菜の生徒名簿を確認しようと考えた。


 □□□□


 翌日、予備校で高校二年生を対象にした講義を終えた秋音は、自席に戻らず、真正面に座っている教務担当の席の前に立った。


「すみません。私が英語を教えている既卒クラスの田崎若菜さんについてですけど」

「田崎さん?」

「そうですよ。彼女の名前は田崎若菜で間違いないんですよね?ちゃんと講義には来てたんですよね?」

「いきなり言われてもなあ……ちょっと待ってくださいね」


 教務担当は立ち上がると、キャビネットを開けて、生徒名簿をパラパラとめくり始めた。

 しばらくして、ようやく若菜の名前が目に止まると、秋音は自分の机に戻ってメモ用紙に書きだした。


「田崎若菜。横浜市港北区……平成十二年五月十六日生まれ。神奈川県内の女子高校を出ていますね。既卒クラスであることは間違いないです」

「じゃあ、若菜って名前は本名なんだね。『ユキちゃん』が偽名なんだな」

「え?どうかしたんですか?」

「い、いや、何でも……」

「ちなみに、出席率はあまり良くはないですな。半分位の出席率ですね。あと、校内テストの結果も決して良くはない。前期からずっと底這い状態ですな」

「ぜ、前期から?そして、出席もそれほどしていないと?」

「まあ、そうですね。保護者にも出席率や成績の通知はしてるんですがね。全く無関心なんでしょうかね」

「はあ……まあ、私も、講師として責任を感じますね」

「関口先生がそんな責任を被る必要はないです。これはあくまで受講生本人の問題ですよ。あ、そうそう、いつだったか忘れましたが、田崎さん、明らかに二日酔いと分かる感じで講義に来たことがありますね。顔面蒼白で、講義中はずっと寝ていて、起きたと思ったらトイレに駆け込んで……我々も心配したんですよね」

「え、それって、いつのことかしら?」

「確か、半年くらい前ですね。七月か九月だったかなあ」

「……わかりました。ごめんなさいね、仕事の邪魔しちゃって」


 秋音は教務担当に一礼すると、自席に戻り、急いで帰る支度をした。

 気が付くと、「メロス」の開店時間が二時間後に迫っていた。外は次第にピンクの夕焼けに覆われ、その中を真っ赤な夕陽が次第にビルの谷間の中に吸い込まれるかのように消えて行った。


 いつものように、途中のスーパーでカクテル用の果物を買い込み、店の重いドアを開けると、そこにはいつもと違う光景が広がっていた。

 秋音は、果物が入っている手提げのビニール袋を、思わず真下に落としてしまった。

 祥次郎が腕を押さえ、か細いうめき声を立ててうずくまっていた。地面に血が滴り落ち、体は小刻みにカタカタと震えていた。


「マスター!どうしたの?マスター!」

「……裏切られた。秋音ちゃん、俺たちは裏切られたんだ。あの子に……」

「あの子?」


 すると、真後ろから、コツコツとゆっくり靴音を立て、誰かが秋音の真後ろに迫ってきた。

 やがて靴音は止まり、靴の主はフフフフ……と、低く不気味な笑い声をあげた。

 秋音は、ようやく後ろを振り返った。


「……これ以上、よけいなことをしないでくれるかしらぁ?」


 そこに居たのは、ボサボサの髪を顔の前に垂らした不気味な風貌の少女であった。

 しかし、よく見ると、そこには見覚えのあるあどけない表情があった。


「あんた……若菜ちゃん!?」


 秋音がそう尋ねるや否や、少女は大声を立てて笑い出し、ポケットから果物ナイフを取り出した。


「そうだよ、関口先生。いや、関口秋音!あんたも、地獄に落ちてもらおうか!」


 そう言うと、若菜はナイフを持ち、秋音の顔の前に差し出した。

 秋音は、両手を挙げ、恐怖のあまり、体が硬直してしまった。

 若菜はナイフの刃をちらつかせながら、髪の毛の隙間から見せる顔から、ニヤリと笑みを浮かべた。

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