1-8 ホンモノは何処へ?

 祥次郎は、エクセリアスホテル浜松町のバー「フロイデ」で、バーテンダーの小野田に、ウエストサイドホテル新宿から盗まれたアズレージョの写真と、トイレにあったニセモノのアズレージョの写真を見せた。


「一見して違いが判らないね、これは」


 小野田は、首を傾げながら何度も写真を見比べたが、違いが見いだせなかった。


「祥次郎君、俺のスマートフォンに、写真を送ってもらえるかな?うちのお客さんで、こういう美術品に詳しい人がいるから」

「ホテルの人なのかい?」

「ううん、美術商をやってる人だよ。ああ、そうだ、その人、丈明さんとも親しいはず。美術品コレクター同士で親交があるみたいだよ」

「そうなんだ。じゃあ、色々聞いてくれるか」

「ああ、何か情報があれば、そっちに連絡するよ」


 祥次郎は、ホテルを後にすると、電車を乗り継ぎ、四ツ谷に向かった。

 駅の近くに上智大が立地するこの町は、異国情緒あるお店がぽつぽつと点在する。祥次郎は、この町の片隅にあるポルトガル料理のお店「ナザレ」に入った。

 店内には、いたるところにポルトガルの民芸品がオブジェとして飾られていた。祥次郎は、カウンター近くのテーブルに腰かけると、メニュー表を持ってウエイターが近づいてきた。


「いらっしゃいませ」

「すみません。タコのリゾットと、ポートワインをお願いしますね。あ、そうそう、渋谷しぶやさんは、今日はお休みかな?」

「かしこまりました。あ、渋谷はもうすぐ来ると思います。ちょっとだけお待ちくださいね」


 渋谷まりなは、この店でポルトガルの民衆歌謡・ファドを唄う専属歌手である。

 秋音が入店する前、まりなは祥次郎の店で働いていたことがあった。その当時からファドを唄い続け、一時は「ナザレ」と掛け持ちして働いていたが、歌の練習の時間が取れなくなり、「メロス」は退店してしまった。

 祥次郎は、運ばれてきたポートワインを口にしながら、まりなの到着を待った。


「あら、こんにちは。マスター、久しぶりね。どうしたの急に?」


 不意打ちのように、真後ろからハスキーボイスの女性の声がした。

 祥次郎は振り向くと、色とりどりの花模様に彩られた胸元の空いたワンピースを着た、ウエーブのかかった茶色の長い髪の女性が笑って両手を振っていた。


「お、まりなちゃん。久しぶりだなあ」

「マスター、元気だった?相変わらずお店でお酒飲んで、裸で歌っていないよね?」

「ハハハ、まあ、たまにはね」

「あれほど注意したのに、まだやってるの?呆れるわね。マスターとしてお店に出るときは、お酒は飲んじゃダメよ」

「すんません。気をつけまっす!」


 祥次郎は笑いながら、敬礼のポーズをとった。

 まりなは笑いながら、テーブルを挟んで祥次郎の向かいの席に腰かけた。


「まりなちゃん、アズレージョって分かる?」

「うん、分かるよ。ポルトガルの伝統美術だよね。このお店にもいっぱい飾られてるでしょ?」

「俺、こういうの疎いから分からないんだけど、この二つの絵の違い、分かるかな?


 祥次郎は、秋音から送られてきたホテルから盗まれたアズレージョと、トイレにあったニセモノのアズレージョの二枚の写真を見せた。

 まりなは、大きな瞳をまばたきしながら二枚のアズレージョの写真を見比べた。しばらく見続けた後、額に手を当てて、フッとため息をついた。


「ごめんマスター、私じゃわかんない。ポルトガルに何度も行ったことはあるけど、アズレージョは詳しくわからない」

「そうか。わかった。君なら分かるかなと思ったけど、難しいか」

「あ、でも、うちのマスターならわかるかな。この店に飾ってあるアズレージョ、マスターが買い付けてきたから。後で聞いてみるから、画像送ってもらえる?」


 祥次郎は、二枚のアズレージョの写真をメールでまりなに送った。


「じゃあ、今日はこれで。悪いな、俺もこれから仕事なんでな」

「え?帰っちゃうの?マスター、せっかくここまで来たんだから、私の歌、聴いていってよ。昔よりは少しは練習し、上達したつもりだから」

「そうか、ありがとう。さっそく聴かせてもらおうかな」


 まりなは、店の真正面にある小さなステージに立つと、マイクにもたれかかるように、店の従業員が奏でる円形胴のギターに合わせて唄い始めた。

 ファドは、ポルトガルの民衆歌謡で、恋心や望郷、生活を綴った歌詞を、哀愁のこもった歌声で歌うのが特徴である。まりなの鼻にかかったようなハスキーボイスは、ファドの曲調をより悲しげに、より叙情的に盛り立てていた。


「どう、少しは上達した?」

「ほう……このワイン、甘いけど濃厚なブランデーの香りがたまらんな。さすがはポートワインだね」

「え!何それ!?人が真剣に唄ってるのに。ひょっとして、ずーっとワイン飲んでたの?」

「いやいやいや、上手くなったなあ、まりなちゃん!この調子で、がんぱってプロを目指しなよ」

「ちょ、ちょっと!何よそのあっさりした感想は?ちゃんと聴いてたの?」


 ハスキーボイスで、がなり立てるように叫ぶまりなの声をよそに、祥次郎は立ち上がってスタスタとカウンターに向かって歩き、ウエイターを呼んだ。


「すみません。このワイン、美味しいよねえ。もしよろしかったら、私に一本売ってくれないかな?」

「ちょっと、マスター!何でワイン買ってるのよ?私の歌はどうなのよ?ちょっと!ねえ!」

「じゃあな、まりなちゃん。またゆっくり聴きにくるから」


 そういうと、祥次郎は片手をワインを突き上げてニコッと微笑むと、怒り心頭のまりなをよそに上機嫌でドアを開け、表へ出て行った。


 □□□□


 その頃、「メロス」には、先に秋音が帰って、開店の準備を始めていた。

 カクテル用の果物の皮をむき、お通しのピクルスを酢で和える作業に勤しんでいたが、頭の中には、ウエストサイドホテルの調査で充分な証拠を得られなかったことに対する嫌悪感で満ちあふれていた。


「このままじゃ、証拠不十分で、理香さんが逮捕されてしまう。私、どうしたらいいんだろ?」


 普段は強気の秋音だが、気づかぬ間にため息と独り言が漏れてしまった。

 その時、鼻歌を歌いながら、重いドアをギギギと音を立て、祥次郎が店に戻ってきた。


「おお、秋音ちゃん、もう戻ってたのか?」

「お帰りなさい。マスター、どこに行ってたんですか?」

「俺のかつての修行仲間の所と、昔、この店で働いてた女の子のいるお店に行ってきたよ。みんな元気だったなあ」

「え?それって、単に昔の仲間に会いに行ったってだけのこと?」

「いや、ちゃんとした捜査だよ。彼らから、この事件を解くヒントになる何かが得られるかもしれないと思ってね」

「どういう所が?」

「それは後で説明するよ。それより、秋音ちゃんはどうなんだい?ウエストサイドホテルで、何か証拠を得られたのかい?」

「ううん、何も」

「何も、無かったのか?」

「そう。何も無かったのよ」


 秋音は悔しさのあまり、祥次郎から目を逸らし、うつむき加減の姿勢でポツポツと話した。


「マスターは、何か得られたの?」

「何もないかな。あ!そうそう、ポルトガル料理の店で、美味いポートワインをゲットしたよ。一緒に飲もうか?」

「ワイン?それ、証拠なの?理香さんが無実だという証拠になるの!?」

「秋音ちゃん。こないだお客さんからお土産に頂いたワインの中に、確か『ポートワイン』が一本あったはず。まだ、あるかな?」

「はあ!?人の話聞いてる?それのどこが、この事件の証拠になるのよ?」

「いいから持ってきて。今日買ってきたワインと飲み比べしてみたいんだ」

「はいはい、もう、勝手にして下さいな!」


 秋音は、しぶしぶ店の倉庫にあるワイン庫に行くと、一本ずつ取り出して確かめた。

 その中に、瓶の後ろに白地で「ポートワイン(赤)」と書かれたものがあり、これかな?と思って取り出し、祥次郎の前に持ち込んだ。


「じゃあ、今日買ってきたこのポートワインと、ワイン庫にあったポートワインを、飲み比べてみるか」


 そう言うと、祥次郎はまず、四ツ谷のポルトガル料理店「ナザレ」で買ったワインのコルクを開け、二個のグラスに注ぎこむと、一個を秋音に手渡した。


「どうだい?飲み口は」

「うわ、すっごく甘い!ワイン独特の苦みより、甘みが強い感じがする」

 秋音は一口飲み干すと、その濃厚さと甘さに驚いた。


「うん、甘くて濃厚。ブランデーの香りがする、典型的なポートワインだね」

 祥次郎は、グラスを回しながら、一口ずつ飲み干した。


「じゃあ、こちらはどうだろうか?」

 祥次郎は、二本目のワインのコルクを開け、再びグラスに注ぎこんだ。


「あれ?これ、さっき飲んだワインと風味も同じね。甘くて、ブランデーの香りがするのも同じ」


 秋音の言葉を聞いて、祥次郎はニヤリと笑った。


「秋音ちゃん、この二本のボトルを見てごらん。最初に飲んでもらった瓶には、ポルトガルの商標登録の印が入ってる。最後に飲んでもらった瓶には、何も入ってない。これは、産地が違うからだよ。ポートワインはポルトガルが商標化していて、ポルトガルのドウロ河北岸で採れた葡萄を原料としたものしか、ポートワインとして正式に認めていないんだよ」

「本当だ!最初に飲んだ瓶にはポルトガル政府の商標マークが付いてる。で、次に飲んだ瓶には何も付いてないね……あれ?瓶の裏に貼られたラベルをよく読むと、産地がオーストラリアって書いてあるじゃん。風味は全く同じなのに」

「その通り。俺は、これこそがアズレージョ盗難の犯人の仕掛けたトリックを解くカギだと思ってるんだ」

「何ですって!?」


 秋音は、祥次郎がワイングラスを眺めながら、ゆっくりとした口調でつぶやいた一言に驚き、振り向いた。

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