17.シーン2-5(落としました)
ん、という口も開かず言葉ですらない催促の声と共に、ミリエは右手の平を私の方へと突き出した。私が何もしないでいると、怪訝そうな顔に変わる。
「何よ、その為にわざわざ来たんでしょ、早く出しなさいよ」
もとを正せば、そもそも事の発端の発端は彼女の忘れ物が原因だ。
ミリエはつい先日まで自宅に帰省していたのだが、聖都へと戻る際に、肝心のものを家に置いてきてしまったのだ。それを棚に上げ、なんとも横柄な態度である。
「まさか持って来てないの? 何の為に来たのよ、気が利かないわね!」
ミリエ、状況はそれより最悪です。
私がゴニョゴニョと口ごもると、ミリエは「何よはっきりしなさいよ」と口を尖らせた。
「……した」
「言いたいことがあるなら言いなさいよ」
言いたい。私だってすごく言いたい。いや言わずにすむなら言いたくはない。しかし、ここで言わねば後々さらに火を見ることになるのである。
挙動不審な私の態度にいよいよ機嫌を悪くしてきたミリエは、腕を組んで仁王立ちとなり私たちの真ん前に立ちはだかった。この調子では、カインも出て行くに行けないだろう。
「……しました」
「何よ聞こえないわよ」
私は肩と背中を丸めて縮こまり、両膝の上でそれぞれ両手をぎゅっと握った。余裕がなくて、思わず彼のマントの端まで一緒に握りしめたままである。
覚悟、覚悟が大事なのだ。今こそ覚悟を決める時。
「お……」
「お?」
私のただならぬ雰囲気に、ミリエは小首をかしげて疑問符を浮かべた。何とも可愛らしいしぐさである。泣けてくる。
一度だけ力を抜いてやっとマントの端を解放した私は、ひときわ強く拳を握り締めた。ごくりと息を飲み込んでから、腹をくくって勢いよく立ち上がる。
「おとしちゃった!」
沈黙。
残念ながら、同じ言葉を繰り返すだけの余力はない。
一拍おいて、は?というミリエの間抜けな声だけが数秒間宙を漂い、その後ポトリと床に落ちた。
しばらく私の発した言葉の意味を理解しかねて茫然としていたミリエから、次第に表情が消えていく。
「……嘘でしょ?」
無言という名の肯定である。
「マジ?」
ミリエが最後のパスを私に投げた。
「マジ」
私はしっかりそれを受け止め、確実にミリエへ向けて投げ返す。
唖然と突っ立っているミリエはそれを拾うことなく、私の投げたバックホームパスは彼女の額のあたりにぶつかり、虚しく床へ転がった。
それからしばらく無表情で沈黙していたミリエは、ふと、まわれ右をして入り口へ向けて歩き出した。そのままドアの近くに立て掛けてあったものを掴むや否や、またもやくるりとまわれ右でこちらを向いた。
長さが百センチほどある彼女が愛用しているらしい木製の杖は、ところどころに装飾が施されており見るからに質が良い。しかしなんだか、形状的に杖というよりとある別の道具を連想してしまう。
ミリエはそれを軽く振った。次の瞬間、無音の何かが勢いよく空を走る。
思わず身構えた私に、空気砲のような衝撃が直撃した。
「あいた!」
続けてまた一発、私めがけて衝撃が飛ぶ。
「何っ、やってんのっ、よっ!」
彼女はひとつひとつ言葉を区切る度に、一発、また一発と杖を振り回して魔力弾を打ち込んでくる。
「馬鹿! あほ! 間抜け!」
「あっ、いた、いたい」
ミリエは杖を振り回しながら、どんどんこちらへ迫ってくる。私の視線が逃げ場を求めて彷徨うも、両脇と正面を塞がれていて逃げようがない。
「愚図! のろま! 変態! 卑猥!」
「いた、ちょっ、まっ、変態は関係な……」
しかも卑猥とは何事であるか。
「なんでっ、そんなにっ、どんくさいのよっ、馬鹿っ!」
「あっ、ごめん、ごめんって、暴力反対っ」
ミリエの猛攻がこんなもので済むはずがない。あの杖と呼ぶには中途半端に長くて短い形には、魔術以外の絶対的な理由があるのだ。
なんとかして逃れようと足掻いた私は、座席の上に身を乗り上げ、そして背もたれの上へと身を乗り出した。
「ばかっ、ばかっ、ばか! ばぁかぁーっ!」
言うことが思い付かなくなったなら、そこまで連呼しなくてもいいのに!
私の目の前まで迫ったミリエは、杖を思いきり真上へ向かって振り上げた。彼女が繰り出す次の一手を悟ったオルカは、必要以上に身をのけ反って私から距離をとる。
次の瞬間、物凄い速さで杖が垂直に落下した。
白羽取り。私は両手でばしんと杖を挟んで受け止める。オルカが「おぉ!」と短く感嘆してくれたが私は今それどころではない。
しばらく押し合い競り合っていたが、不意にミリエは杖を引いた。そのまま彼女は一息ついて、ゆっくりと深呼吸をする。そして、諦めた素振りをしたのもつかの間、私を見るなりぎらりと不敵な笑みが浮かぶ。
ミリエは素早く杖を持ち直すと、斜めに構えて大きく振りかぶった。一歩退いて、一歩踏み込む。
オルカが慌てて体勢低く頭を下げた。逃げ場のない私めがけて、ホームラン必須のフルスイングがやってくる。
私は小さな悲鳴と共に背もたれの後ろ側へとくずれ落ちた。
全身を打ち付けてぼろぼろの私をなおも追いかけ、ミリエが少年二人の間に割って入って、背もたれから身を乗り出した。私は三回ほど謝罪の言葉を発したが、結局ミリエは五回ほど杖を下に向けて振り回した。
いいだけ杖を振り回してからやっと気が済んだらしいミリエは、椅子から降りるとドアの場所まで移動してから、一度こちらを振り向いた。
「あたしキュリア呼んでくる。絶対にここから動かないでよ!」
肩で息をしながら彼女はそう言い置いた。そして、逃げたら覚悟しなさいよ、と杖を斜めに構えてみせると、ダン!と勢いよくドアを閉めてから足早に出ていった。杖の構え方がいかんせん肉体言語寄りである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます