4.Werewolf in Mist city

 二人で並んで進むのがやっとなほどの狭い路地を進んでいくと、徐々にノエやフォルトゥナート、ベディでも、音が拾えるようになってきた。

 鋼鉄と鋼鉄がぶつかり合うような音。火花と火花が散る音。まぎれもない、戦闘音である。


「誰かが異形と戦ってんのかもな!」

「はぁ、はぁぁ、そ、そうか、そうかも、しれねぇ、ですね……」


 ヴィンセントは、ヘロヘロになりながら何とか足を動かしていた。

 それを見ていたノエは、ベディに視線を投げかける。


「ベディ、ヴィンスを運んであげて。フォル、自分が先に走る」

「かしこまりました、ノエ」

「気を付けろよ!」


 ベディがひょいとヴィンセントを抱き上げたのを見て、ノエは一気に加速を開始する。


「やっぱお前、体力付けろ!」

「ぅるさい!」


 ノエは三人を置いて、どんどんと足の回転速度を上げる。自身の耳が拾う戦闘音の方向へ急いだ。

 そして、視認する。

 狭い路地の向こう側。四人で走っていた路地よりも広い道幅の路面で、大きな影と金色の光を纏う小さな影が火花を散らしている。

 濃い霧の中、姿形はハッキリしないものの、人間の身長を優に超す巨体は、間違いなく異形である。ノエは、ウエストポーチから炎の銀符ぎんふを取り出した。

 戦闘状況は、異形の方が優勢のようだった。応戦する紺色の外套の魔術師は、防戦一方。

 振るわれる腕や拳を、赤い靴を履いた足技で華麗に捌く。それだけで精一杯といった様子だ。

 巨体が、大腕を振り落とす。軸足側を狙っていた。そちらは今、上げられない。防げない。

 銀符を使うか迷っていたノエだったが、躊躇わず、その腕目掛けて銀符を投げ付けた。

 太い腕であるので外れることはなく、紅蓮の炎が腕の剛毛を喰らっていく。

 その間に、驚いている魔術師を抱き抱え、反対側の腕を振り落とす攻撃を躱す。

 異形は、バタバタと燃え広がる炎を、手で覆い消そうとしていた。


「な、何で貴方がここに居ますの!?」

「やっぱりミーアか」


 赤い靴の足技。上質な布地で作られた紺色の外套。

 これらを持つ特務課の魔術師は、ミーア・エンペントル──彼女だけだ。


「っ離しなさい!解体者の貴方に抱き寄せられるなど、屈辱のきわ」

「動かないで」


 何とか腕の炎を消し終えた異形は、壁に背を付けているノエとミーアに、黄色く濁った瞳を向けた。

 隣に座るミーアは、喉の奥から悲鳴を零す。

 ノエは、ミーアを片手で制しながら、その双眸を睨む。

 ベディ二人分の高さはありそうな、筋骨隆々の巨体。全身は硬い質感の毛皮で覆われ、独特の獣臭を漂わせている。

 濃霧の中でも分かる黄ばんだ牙は、てらてらと唾液で怪しい光を反射しており、目の前に立つ獲物を食い殺そうとしている。

 爛々と輝く濁った瞳は、傷つけられた怒りと決して逃さぬという感情を、明確に語っていた。

 その他の見た目の特徴からして間違いなく、目の前のこの巨体は──幻獣種・人狼である。

 ノエはウエストポーチに手を伸ばし、ハンカチを巻いていた銀製のナイフを取り出した。その行動に、ミーアはカッと顔を赤く染める。


「た、助けなんて必要ありませんわ!」

「そんなこと言ってる場合じゃないだろ」


 呆れたように言うノエに、ミーアはグッと奥歯を噛んだ。


「そんなこと、じゃありませんわよ!貴方に助けられたと周囲に知れたら、エンペントル家の名前が廃るというもの!」

「ミーア、死ぬ死なないの瀬戸際で、家のことを気にしてる場合じゃ」


 言い争う二人の声が煩わしいと、人狼は腕を薙ぎ払うかのように振るう。ノエは手持ちのナイフを投げ付け、短く息を吐き出した。


Nent Filum糸を紡ごう


 その言葉を引き金に、意識が切り替わる。

 一瞬の精神統一、強い瞑想メディテーションを引き出す言葉だ。

 集中力とイメージ力を一気に向上させ、魔術を発動する為だけの機関に、ノエの精神を仕立て上げる。

 ノエの指先から、金色の光が零れ落ちる。


Henmo es tu Henmo編もう、編もう!」


 光が零れた箇所から黒い糸がにょきにょきと生まれ、格子状の網を作り出して、人狼の腕を食い止めた。

 銀のナイフが突き刺さったこともあってか、すぐに人狼は腕を離して、手の甲に刺さるナイフを抜いた。その傷跡は、火傷のように爛れている。

 重い衝撃に眉を寄せつつも、ノエは背後のミーアに声を掛ける。


「っ……。ミーア、無事?」

「あ、貴方に守られずとも、私は無事でしたわよ!」

「はぁ、面倒臭いな」

「ッ貴方ねぇ…っ」

「次が来る」


 人狼は、力強く二人に向かって咆哮した。

 獣臭い吐息と血肉の腐臭とが混じりあった吐息が、二人の身体全体にかかる。

 二人は素早く外套を口元まで引き上げ、匂いを何とか軽減させる。

 ノエは光を纏う指先を、軽やかに動かした。


「ッInvolutæ絡めて!」


 黒い糸は、人狼の太い首へと絡みつく。

 人狼は、それを振り解こうと無茶苦茶に首を回し、鋭い爪の付いた指で糸の表面を引っ張る。いくら伸縮性に長けているとはいえ、力任せに引っ張られると、ノエの指先の魔術経路にも痛みが走った。思わず、顔を顰める。

 だが、素早く瞑想メディテーションを行ない、糸を手繰るイメージは決して止めなかった。

 ぐぐっと、更に人狼は糸を引く。ビシッビシッと、その衝撃に指が震える。


「ッ貴方も、攻撃に特化した魔術師ではないでしょう!」

「まぁね」


 ノエはミーアに一切目を向けず、徐々に指を引いて行く。

 その動きに並行して柔軟性は失われて、より硬さは鋼鉄のワイヤーへ近付いて行く。そして、首はぎちぎちと僅かではあるものの、着実に絞め上げていく。

 だが、人狼の握力の方が強かった。

 鋼鉄ほどの強度もある黒い糸を、彼の手は勢いよく引き千切った。

 引き攣った痛みに、ノエの意識が切り替わる。


「ッ貴方手の甲、」

「ッミーア、手を」


 人狼が牙を剥いているのを見て、ノエは空いている右手をミーアへ伸ばす。その手を彼女が掴む前に、人狼の腕から血飛沫が噴いた。


「おっし、間に合ったー!お前、早すぎんだよ!」


 右手の親指と人差し指以外を折り曲げた──拳銃のような形にしたポーズで、フォルトゥナートは立っていた。その人差し指を人狼の首元へ狙っている。

 ベディはフォルトゥナートの横にヴィンセントを下ろし、素早くノエの元へと駆ける。

 しかし、その動きは人狼の前に躍り出るということになる。血を流す腕を、怒りに任せて人狼は振るう。

 ベディは僅かに目を細めて、剣を引き抜いて鋭い爪を弾く。そして、そのまま剣を指の谷間に滑らせて、そのまま上へと斬り上げる。

 硬い毛皮で覆われていない部分に当たったようで、肉は裂けて血が溢れ出る。

 その痛みに吠える人狼を置いて、ベディはノエの傍へ駆け寄った。


「ノエ」

「ベディ」

「ノエ、ノエ、手にお怪我を……」

「っへ、ぇあ、ほんとだ」


 ベディの言う通り手の甲からは、ボタボタと血液が溢れていた。

 瞑想メディテーションの影響によって痛覚が抑えられていた為か、血を流していることそのものに気付かなかった。

 ベディは、彼女の傷の痛みを思い、思わず表情を曇らせてしまう。ノエは、そんな彼に小さく微笑みかけた。


「大丈夫だよ、ベディ。そんなに痛くないし。多分、無理矢理引き千切られた影響かな」

「ノエ、すぐに止血を」

「そこ!ぼんやり話してる暇はありませんことよ!」


 ミーアが吠えるように言う。

 人狼の濁った眼は、じろりとノエとベディを見下ろす。傷つけた相手は二か所に分散している為、手近にいる方へ目を付けたようであった。

 ベディは、ノエとミーアを背に庇い剣を構えたが、ミーアはたたっと駆けた。


「ミーア様!」

「フンッ、貴方達に庇われるほど、私は弱い女じゃありませんことよ!さっきは驚いただけですもの!——見せましょう、魅せましょう!赤い私の死の舞踏デッドエンド・ラストダンス!」


 ミーアの真っ赤に染め上げられたブーツが、金色の輝きを宿す。

 彼女はその靴で人狼の振り下ろしてくる腕を次々に払い落とし、鋼鉄の硬度にも匹敵する人狼の腕に浅い傷を付けていく。


「彼女は……」

「文学魔術、文学作品を魔術に昇華した新興魔術。アリスと同じ分野の魔術だ。でも、ミーアの使う魔術は対群衆ふくすうに特化した魔術で、正直あの硬度の異形相手じゃあ分が悪い。——ベディ、剣を」

「ノエ」


 ベディは僅かに躊躇い、周囲に視線を巡らせる。ノエの為にも、自身が人形ドールであるとは、決して気付かれてはならないのだから。


 注意すべき全ての視線は今――、人狼に向いていた。


 ノエは、信頼する騎士へ乞う。


「お願い、ベディ。彼らの手助けを」

「——はい、ノエ。貴方の仰せのままに」


 騎士は、主人の言葉に躊躇いなく頷いた。

 ベディは右腕の皮手袋を外し、新調した銀色の機関義手マシーン・アームが露わになる。手に持つ剣を、右手側へと変える。

 その銀製の剣へ、ノエは契約紋のある左手を翳した。

 彼女から与えられる魔力が剣へ灯り、右手と剣の柄が徐々に一体化する。

 ベディは、誰にも聞こえぬようにそっと、目の前の守るべき主にだけ聞こえるようにはっきりと、口と動かした。


「——我が腕よ、勝利をもたらす剣と成れベドウィル・ベドリバント

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