第7話 予兆

 カタニアの町は人々の賑わう声であふれていた。

 幾分やわらいだ午後の日差しが石畳に降り注ぐ。中央に一本線が引かれ、その左右に細長い石が敷き詰められた石畳は、コーデリア王国では見られなかったものだ。


 コーデリアと異なるのは、もちろん石畳だけではない。

 通り沿いに並ぶさまざまな出店の中には、尚武の国というだけあり武器や防具の露店が多く見受けられた。店主の呼び込み声は、荒々しくも力強い。

 アサレラはそれらに興味を引かれつつも、フィロの用事――すなわち人捜しを済ませるのが先だな、と思い直した。


「じゃ、きみの探してる人を探そうか……あ」


 そう言った矢先に腹がぐうと鳴り、アサレラはおのれの腹部に手をやった。

 セイレムを発って以降なにも口にしていないのだから、腹も減るというものだ。同じく歩き続けてきたフィロも、おそらく空腹だろう。それに加えてアサレラは魔物との戦闘までこなしたのだから、なおさらだ。

 フィロの探す人物がすぐに見つかるとも限らない。むしろなかなか見つからない可能性が高いだろう。二国との国境がほど近いためか、カタニアはコーデリアの王都オールバニーにも劣らぬ人の多さである。

 となれば、探し回るのは腹ごしらえをしてからのほうが得策だろうと、アサレラはフィロへ振り返った。


「なあ、なんか食べ……」


 ないか、と続けようとしたところで、視界の端で長い髪がゆるくたなびいた。

 誰のものか確認するまでもない。アサレラの言葉をまったく無視したフィロが、風に押されるように歩き出していた。


「お、おい、フィ……」


 目の前で赤い裾が翻り、アサレラはとっさに手を伸ばす。

 そのとき、頭の中がくらりと揺れるのを感じた。


「…………っ?」


 アサレラは反射的におのれの足元へ視線を落とす。まだ汚れの少ないブーツはしっかりと地面を踏みしめている。

 なんのことはない、ただ軽く眩暈を覚えただけだとアサレラが気がついたとき、確かにつかんだはずの裾は、手の中からすり抜けていた。


「お、おい――」


 フィロは立ち止まらない。


「ま、待て、……フィロ!」


 アサレラの呼びかけもむなしく、フィロの背中はあっというまに遠ざかり、人群れの中へまぎれていく。

 一瞬の逡巡ののち、アサレラは駆け出した。




 人、人、人――。

 行き交う人々は押し寄せ押し合い、渦を巻いているようだった。

 アサレラはその隙間を縫うようにフィロを追うが、一向にその距離が埋まらない。


「待て、フィロ!」


 呼び止める声は周囲のざわめきにかき消される。

 人の波に阻まれ、追い付くことができない。縮まりそうで縮まらない距離に、アサレラはやきもきする。

 風を切って走っていると、どこからか清々しい香気が流れてくる。なにかの果物の香りのようだ。


――別に、追いかける必要はないんじゃないか?


 さわやかな香りが苛立つ思考にひらめきを呼び起こし、アサレラは足を止めた。

 セイレムで出会ったフィロに、アサレラは「カタニアまで一緒に行こう」と提案した。事実アサレラはこうしてフィロとともにカタニアまで来た。

 逆に言えばカタニアに辿り着いてしまえば、アサレラとフィロが行動をともにする理由はない。アサレラがフィロを追う必要も、フィロがアサレラの呼びかけに応じる必要もない。

 アサレラはあのとき、一緒に行こうとは言ったが、一緒に捜そうとは言わなかったはずだ。フィロが勝手に動き出したのならば、アサレラにそれを止める権利も義務もない。


――でも…………。


 わけのわからない焦燥感が、アサレラの胸の奥でじりじりと沸き立つ。このままフィロと別離してしまえば、のちのちに悔いが残るという予感がしてならない。

 アサレラが視線を巡らせると、人の頭と頭のあいだに薄紫色が上下しているのが見えた。フィロは上背があるため、人のひしめく中でもさほど労せず探し出すことができるのは、せめてもの救いだった。


「いってえな! どこ見て歩いてやがるんだ!」


「うるせえ! てめえこそ、その目玉は飾りか!?」


 背後で男たちのがなり声が聞こえる。

 やはり戦士の国だけあり、ウルティア人は血気盛んなのだろう。騎士が興したコーデリアとは毛色が異なるようだ。


――とにかくフィロを追いかけないと……。


 すれ違いざまに戦士ふうの大男と肩がぶつかりそうになり、アサレラはあわてて身をよじる。


――なんだか、さっきより人が多いような……。


 カタニアに到着した直後よりも、あきらかに人が増えている。頭が重く肩が軋むのを感じ、アサレラは辟易とする。


「離してよ!」


 この先の大通りで催し物でもするのだろうか。アサレラがそんなことを思っていると、喧騒にまぎれて女性の叫び声が高く響いた。

 アサレラが足を止め振り返ると、濃い緑色の髪をした小柄な女性が、屈強な三人の男に囲まれていた。見たところ女性はアサレラと同年代のようだ。


「姉ちゃんよぉ、ぶつかっといて詫びの一つもなしか?」


「だから、ぶつかってきたのは、あなたのほうじゃない!」


 女性は胸元で拳をぎゅっと握り、おのれの潔白を主張している。


「おう、この女、生意気じゃねえか?」


「口の利き方を覚えさせねえとな」


 男の一人が女性の腕をつかむ。アサレラの口から、あっ、と声が漏れる。


「やだ、やめてよ! だ、誰か……っ」


 女性が、怯えた目で周囲を見渡す。人々は通り過ぎるばかりで、助けに入ろうとはしない。

 誰も気がついていないのか、ウルティア人にとって暴力をともなう諍いなど取るに足らないものなのか。男に腕をつかまれた女性が、抵抗むなしく路地裏へと連れて行かれる。

 アサレラは立ち尽くす。すぐそばで行き交うはずのざわめきや足音が、耳から遠ざかっていくような気がする。


 見なかったことにして、すぐさまフィロを追うべきだ。

 あの女性がどんな目に遭おうと、アサレラには無関係だ。戦う術を持たなければ、降りかかる火の粉を振り払うことなどできはしない。無力の責はすべておのれに降りかかるのだ。

 忘れるべきだ。そう思うのに、あの声が、あの目が、胸腔に迫ってならない。


――誰か、助けて。


「…………くそっ」


 アサレラは人の流れから抜け出し、路地裏へと足を向けた。

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