第8話
――かつん、かつん。
真っ暗闇の中、靴音が響く。
ダーティたちの先を行く女の手には蝋燭。頼りない光を持つ女は、暗闇の中でも笑顔を浮かべているとわかる、しっかりした声で尋ねた。
「ぼうやは、ここに初めて来たのよね」
「はあ」
「で、感想はどう?」
「ええっと……。意外と普通……」
マックに述べた感想を、ダーティはまた口にした。
からからとカールは笑う。
「そっかあ、普通かあ」
その陽気な反応に、ついダーティはこう言ってしまった。
「なんでここ、死霊や魔霊がいないんですか?」
ダーティの素朴な疑問に、カールの足が一瞬止まった気がした。
“視えない”マックは、これまた素朴に尋ねる。
「え? いないの?」
「うん」
ダーティがこの至宝美術館に来て、まず感じた違和感はそれだった。
この至宝美術館は、魔霊の森内に建っている。
魔霊の森は、スキターニエ建国以前から存在する黄泉への通り道で、すべての死者はこの森を通ってあの世へ行くと言われている。事実、森に入ってからずっと、ほほほ、はははという、陽気な笑い声と悲鳴の中間のような音がやむことはなかったし、魔霊には遭遇しなかったものの、死霊はちらほら見かけた。
ちなみに、魔霊と死霊の違いは、人に悪意を持っているかどうか。
悪意をもって襲いかかってくれば、魔霊。そうでなければ、死霊。友好的なら、聖霊。生者側の勝手な分類ではあるが、いずれも死者には違いなく、同じくらい意思疎通は難しい。もっとも、その難しいことをやってのけた挙げ句、命令に従わせるというのが、ダーティの目指す魔剣士、つまり、敬愛すべき隊長、エレノア・ハーティリ・オウルホウトなわけだが。
しかし、この建物に近づくにつれ、彼らの声は遠ざかり、その姿はまったく“視えなく”なった。
「……」
ちらりと、ダーティは自分の腰に目をやる。そこにぶら下がるのは、兵士として支給された剣。
(やっぱ、持ってくればよかったかな……)
前回の事件で手に入れた、建国の三英雄の一人、聖霊ダーティア・エラ・パトリシア・ゲートルが宿ったタガー。『基礎を学ぶ人間が、あんな反則みたいなものに頼っちゃいけない』と王宮に来たときグラッセが、あーんと自分の腹に収めてしまったのだけれど。
「……」
そのときの場面を思い出したら、急に、ちょっと腹の中が気持ち悪くなってきた。だって、本当にあーん、だったのだ。なんであんなのが、あの小さなウサギの細い喉をするする通って腹に収まってしまったのか。本人は平然と腹を撫でさすりながら、こんなもの空間魔法の初歩の初歩だよと言ってたが、あれは自分への嫌がらせに違いないと、ダーティは固く信じている。
まだ具合のよくならない腹をなだめるために、ごくんと唾を飲み込む。そうしながら、頭はすでに別のことを考え始めていた。
(ここに霊がいない理由とか、あいつがいればわかったのかな……)
話しかける度に悪態つかれるというのに。普段当たり前の“視える”ものが“視えない”と、途端に不安になる。そして、そんな不安が思わずこんなひとりごとになった。
「何でだろ?」
「あたしは”
ダーティは思わず顔を上げる。まさか、自分のひとりごとに答えてもらえるとは思っていなかった。
「至宝美術館の?」
「そ」、ダーティの気持ちを露知らず、カールは陽気な口調で続ける。
「――ここ、至宝美術館の役割はいくつかあるけど」
まるで地獄に続いているかのような長い階段を、三人は降り続けていく。
二人がカールに招き入れられた館長室は、これといった特徴もない普通の部屋だった。が、入って正面にある執務用のデスクの向こうに見える鉄の扉。そこだけが異彩を放っており、いま三人にはその鉄の扉の向こう側、つまり、ここにいる。
「主な仕事は美術品にかけられた魔術・魔法の復活。それによる、新たな魔術と魔法の獲得。そして、その美術品を展示できるよう説得、もしくは制圧」
「制圧?」
辺りを見回しながら、ダーティは尋ねた。
真っ黒な空間には、カール、マック、ダーティのほか何も見えない。階段がついているなら、当然あるべき壁も。ただ、木でできた手すりが螺旋状の階段に合わせて、どこまでも続いている。前を行くカールの顔が、微かにこちらを向くのがわかった。
「魔術・魔法がかかった美術品を“生き返らせる”ということは、その美術品がかけられた魔術・魔法を開法――つまり、発動させること。ここで働く人間の一番の死因は、発動させた魔術・魔法に殺されることなのよ。つまり、未知の魔術・魔法に対抗すること――制圧ができなければ、死ぬことになる」
ダーティは思わず震え上る。気配で伝わったのか、くすりとカールは笑った。
「まあ、いきなり殺されるは大げさだったわね。もちろん、そんな乱暴な美術品たちばかりじゃない。例えば、さっきのサー・ナイジャル。彼は、さる貴族の娘の嫁入り道具だったのよ」
「嫁入り道具……」
(あれが?)
あんな悪趣味な嫁入り道具を持たせるってどんな親だよ、ダーティは内心ごちた。
「もとはその貴族に使えていた忠義の厚い騎士でね。嫁入り先でも娘が守られるようにって、父親が彼の姿を絵に描かせた。使われた魔法論式は、存在再現法。彼は入り口にかけられ、番犬の役割を果たしていたの。残念ながらその家が没落して、魔法論式が切れた状態で、この美術館に持ち込まれたってわけ」
「あいかわらず、楽しそうな職場だなあ。おれ、隊長辞めてここに勤めようかな」
のんびりしたマックの呟きに、思わずダーティは噛みつく。
「冗談じゃねえ! こんな所に勤めてたら、命がいくつあっても足りねえよ!」
「そうよ。大体、女と見れば誰彼かまわず口説く様な節操なし、とても職員には迎えられやしない」
「心外だな」
マックは真剣な顔で言った。
「女と見れば誰彼かまわずじゃない。おれは、お前だけは口説いたことがないのが自慢なんだ」
「エルもでしょ。まったく、そういうところはサー・ナイジャルとは違うね」
「へ? そうなの?」
カールが、がっくりと肩を落とす。
「ちょっと騎士道精神が高すぎる絵でさ。『か弱き女性に手をあげるわけには』って、女相手には、てんで使えない絵なのよ。それさえなけりゃ、美術館の正面入口に飾って、門番代わりに使うんだけどね」
カールは、心底残念そうだ。
「せっかくこの世に舞い戻ったんだからさ。ちょっとは働いても罰当たらないと思わない?」
同意を求められても。「はあ」、ダーティは曖昧な返事をする。が、マックは至極真っ当な言葉を返した。
「えー、おれだったらやだな。死んでも働かなきゃならないなんて」
ダーティは心の中で、両手をあげて、その意見に賛成した。
確かに、死んだらもう働きたくない。が、さらに上手がここにいた。
「えー、あたし、いまだって働きたくない。だからさー、死んでる人に働いてもらって、楽したいのよー」
「……館長にあるまじき発言だな」
マックの言葉に、ダーティも、こくこくとうなずく。
「だってさー、椅子に腰かけて偉そうに命令できるのが、上司の特権ってものじゃない?」
ダーティは、マックの顔を見た。できれば反論してもらいたい。――が。
「まあ、そうだな」
あっさりと、マックはカールの意見に同意した。
(おおい!)
「でもさあ、上司って意外と暇じゃないのよね」
「そうそう」
「あたしさあ、パパ・ドランがここの館長だったとき、ほんっと暇そうだなあって思ってたのよ」
「いや、あの人は暇だったと思う。なんせ、美術品を殴ることしかできなかった人だし」
「そっかあ。つまり、あたしがそれだけ有能だったのね」
「そうそう」
ダーティには、さっぱり話が見えない。まず、基本的なことから。
「あの」
「なに?」
「パパ・ドランって?」
「ああ」、気づいたように、カールは説明を始める。
「ここの先代館長よ。あたしが歴代最強なら、パパ・ドランは歴代最大の変わり者。何せ、美術品とはこぶしを交えればわかりあえるって信じてた、工芸員って言うより、ただの筋肉バカ」
「実際、でかかったし、筋肉隆々だったし、ハゲだったし」
(いや、最後のは関係ないだろ)
ダーティのつっこみに気づくことなく、マックは話を続ける。
「おれも会うたび、殴られたもんな。ほんと無駄に」
「あら、あたしも朝の挨拶代わりに、いつもこぶしが飛んできたわよ。ほんと、ケンカの好きだった人よね。おまけに、使える魔法論式は、存在認証法だけ。ま、館長としての仕事には全く差し支えなかったから、良かったんだけどね」
「……そういうもん?」
マックが真剣な顔で言う。
「あのな、ダーティ。無能な上司の下に使える部下がいりゃ、仕事って回るんだよ。恐ろしいことに」
「……そうなのかなあ」
まだ若いダーティに、上司がいなくとも仕事が務まるということの、真の恐ろしさはわからない。うなずいて、マックは言った。
「もっとも、カールは有能すぎるくらい有能な美術復元師だったんだけどな」
「へ? そうなの?」
ダーティがカールを見る。マックは言った。
「そう。ちなみに、カールの立場はおれとエルより下だけど、入隊当時の魔法論式の成績はおれたちより上だった。いまも、実力的にはそうだと思う」
「ええ? マジ?」
こう見えても、マックは上級召喚師、そして上級魔術師、さらには中級魔法論士という、すごいやつなのだ。国の盾第一小隊長の称号、そして、リリ家の血筋は伊達ではない。
「たまたまよ、たまたま」
カールは、快活に笑って言った。
「うちの親父が優秀な美術復元師だったのよ。あたしの才能は親父譲りね」
「……そうなんだ」
少し複雑な気持ちで、ダーティは答えた。
「ところでさ」
マックがふいに口を開く。
「これ、ほんとどこまで続いてるんだ?」
暗闇には、まだゴールが見えてこない。
「例の絵、第二作業室にあるのよ。つまり、地下七階。これでも最短ルートを歩いているんだけどね」
「地下七階?」
ダーティは思わず叫んだ。カールが、当然のように答える。
「そりゃ、あんた。数万点もある美術品を収めるには、それくらいの広さがなくちゃ」
なんとなく心細くなってきた。ダーティは思わず呟く。
「なあ、一体、本当どこまで降りて行くんだ?」
前を行くマックが顔だけこちらに向けて、からかうように言った。
「なんだ、怖いのか?」
「だ、誰が!」
強がってはみたものの、やっぱり怖い。何というか、底のない地獄に、降りるというより、落ちている気がする。ダーティの不安を読み取ったのか、カールが口を開いた。
「空間断絶法を体感するのは初めて? ぼうや」
「空間断絶法?」
ダーティの疑問には、マックが答えた。
「入られたら困る部屋や、物を隠すために使われる魔法だよ。おれたちがさっき扉をくぐるとき、カールがドアに手を突っ込んだだろ? あれは、存在認証法。美術品の盗難、及び逃走をさけるため、至宝美術館員、体得必須の魔法論式だ。期限は術者が死ぬまで」
「盗難はわかるけど、逃走?」
カールが足を止める。振り返った彼女は驚いたように尋ねた。
「なによ、マック。あんた、何も説明してないの?」
「んー? 口で説明するの、面倒でさ。連れてきたほうが早いと思って」
カールが、心底あきれたように言う。
「なにそれ! あいかわらず適当なやつねえ」
「いやいや、百聞は一見にしかずって言うだろ? ごちゃごちゃ、口で説明するより、見たほうがわかるって」
「そりゃそうかもしれないけどさ」
カールは、しかし、すぐに気を取り直したように「ま、いっか」と呟いた。
「ここまで来ちゃったんだもんねえ」
彼女は再び歩き出し、説明を再開した。
「魔法美術品に込められた魔法論式を取り出す方法は、すごくシンプル。まず、絵なら特殊な黒の絵の具で塗りつぶし、思い出草(メモリス)の粉を振りかける。そうすると、絵を描く前に書かれた魔法論式が浮かび上がる。魔法論式は別名、書式魔術と呼ばれているものだから、理屈としては、欠けたり薄れている文字を書き直せばいいってことなんだけど、これがなかなか難しい。昔使われていた言葉や、ある特定の民族にしか使われていない言葉で書かれたり、凝ったのになると、そいつが造った言葉で書かれてたりね。魔法を開法、つまり発動させるには大抵発音も必要だから、結局、読めないと意味もないしね。この至宝美術館の建物にも、あたしたちがまだ読めない論式がたくさん書かれているのよ」
ダーティは、ふと思った。ひょっとして、至宝美術館の建立に三十年もかかったのは、魔法論式の構築に時間がかかったからではないだろうか。それなら、内装が簡素なのもわかる。建物中に記述された論式が万が一欠けたとき、あまり込み入った内装だと論式の修復だけでなく、修繕の手間までかかってしまう。
「復元された美術品たちが、どんな歴史を語るのか。この至宝美術館の全ての論式が発動するとき、どんな姿になるのか……。ねえ、考えるだけでわくわくしない?」
突然、三人の前に扉がたちはだかった。
「あ、着いた」
その扉は下から上に向かって、大きく歪曲している。まるで、目の前に立つ人間を飲み込もうとしているかのようだ。そして、その扉には、こんなプレートがかかっている。
『第二作業室』
カールは扉を叩いて、言った。
「リジー、いる?」
(リジー? リジーって?)
ダーティの頭の中を、一人の男の姿がよぎる。声が聞こえた。
「どうぞ」
カールがドアノブを回す。ダーティは、ごくりと喉を鳴らした。
「おや、ダーティ」
あまり驚いたふうもなく、青年は言った。
「久しぶり」
マックは素早く、まくられた袖からのぞく、彼の二の腕に注目する。飛び散った絵の具に混じって、そこを黒い蔦のようなものが這っている。
(……これは)
マックは尋ねたいことの二つのうち、片方だけを素早く尋ねた。
「知り合いか?」
ダーティは珍しく、固い表情で説明する。
「うん。前の事件のとき会った、ハーディって覚えてる? あいつの兄貴」
マックは、目の前の青年と同じ黒い髪をした少年のことを思い出す。が。
(あまり似てないな)
顔立ちもさることながら、ハーディとは違い、この男の瞳は青だ。何より、身に纏う雰囲気がまるで違う。
この男、どこか薄暗い。
それに、ダーティの様子も少しおかしい。
この快活な子にしては珍しく硬い声と表情で、ダーティは親友の兄と会話を重ねていく。
「突然、家出たと思ったら、こんなところにいたのかよ」
「まあね」
「ハーディは知ってるのか?」
「知ってると思う?」
ダーティが、黙った。
二人の会話が途切れたのを幸いに、マックは口を挟む。
「カール、紹介してくれ」
「ああ、そうだね」
気を取り直して、カールが紹介を始める。
「こっちの若いのは、最近入った美術復元師でね。リジストリィ・ボルダ。リジー、こちらは国の盾第一小隊隊長、マッカラス・ロッケンジー・リリ。で、こっちの若い子が」
「知ってますよ。ダートハルト・ハリオット。ぼくの弟の、親友ですから」
カールが目を見開く。
「へえ。そうなの?」
後半はダーティにだ。
ダーティは曖昧な顔で答えた。
「ええ、まあ」
「……のわりには」
仲よさそうには見えないわねえ、とは彼女は言わなかった。
「ま、話を先に進めようか」
カールがリジーの目の前にある、白い布のかかったイーゼルに目を向ける。
「これが今回の依頼、『アンナとバルバザン』よ」
ばさり、と布がはぎ取られる。
絵の中には、むっつりした顔の美少女がいた。
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