第106話薔薇の妖精2
「ジュリア、本当にどうしたんだ」
執務が残っているのに、わざわざシャールーズが私を追いかけてきた。
「いえ、本当に、なんでもありません」
私は表情を消して、シャールーズと対峙する。表情を消すのは得意だ。シャールーズは、一瞬眉根を寄せたが、感情をすべてはき出すようにため息をついて、言った。
「わかった。何も聞かない。夜、そちらに行く」
シャールーズがきびすを返すと、軍服の裾がふわりと揺れた。
○●○●
シャールーズの初恋の相手のことで、悩むのはやめようと決めたにもかかわらず、事あるごとにそのことが思い浮かぶ。
気晴らしに、夏薔薇が盛りの庭園へと散歩に出かけた。
私は、この庭園でシャールーズと初めて出会ったと思っていて、だけれど肝心のその場所がみつからない。木香薔薇で出来た見事な壁があったはずだが、ここにあるものは、そこまで背丈が高い薔薇はない。
あの思い出の薔薇園は無くなってしまったのだろうか。
あの時の木香薔薇と同じ色をした薔薇の前で立ち止まる。
前世の記憶に寄れば、あの時にプロポーズしてくれた少年をジョシュア王子と勘違いをして、私は一方的に思いを寄せるはずだったのだ。
「ジョシュア様は良い人だった……」
私の初恋の相手になるはずだったジョシュア王子は、人柄は良かった。顔も良かった。身分はこれ以上無いほど良かった。でも、私は好きにはならなかった。
良い人だったのだけれど、何か違う気がした。
「ほう、俺の妃は俺の名がついた薔薇の前で他の男の名前を出すのか」
いつの間にか、背後にシャールーズが立っていた。眉を寄せ、眼光鋭く私を睨み付けている。腕を組み、仁王立ちで私を見下ろしている。彼の体の周囲では風が巻き起こり、静電気でも帯びているのか時折、青白く放電している。
え、ものすごく怒ってらっしゃる……!
私は、じっくり観察していた薔薇の根元近くに刺さっている細長い木の板を見た。品種名に「シャールーズ」と書かれている。誕生の記念に品種改良された薔薇のようだ。
「こ、これシャールーズの薔薇だったのね」
「そうだ。それなのに、他の男の名前を呼ぶとは」
私は、シャールーズの威圧が怖くて、一歩後ろに下がる。すると、それを合図にするかのように突如として薔薇の蔓が伸び、私の両手足を縛り付ける。
薔薇のとげは無くなっていて、とげによる痛さは無いが、逃げ出せないようにしっかりと縛り上げられてしまった。
両手は頭上で交差するように縛られ吊され、両足首もまとめて縛られ、足が地面についていない。
「ジュリア、なぜ、逃げる?」
シャールーズがゆっくりと近づいてきて、意地悪そうに笑いながら、私の頬を右手でそっと撫でる。
薔薇の蔦を急成長させて縄のように使うなんて、魔法のようだけれど、シャールーズは使えないはずだ。錬金術……?でも、力を媒介させている石や道具をシャールーズは手に持っていない。
「魔法でも、錬金術でもないぞ。神の力の一端だ。もっとも、この城内に施された仕掛けのおかげだが」
シャールーズは言葉を切って、自分の背後を振り返った。私も釣られてそちらに視線を向ける。兵士達が慌てて中庭に駆けつけようとしているのが見えた。
「神の力を発動すると、『王に危険あり』として兵士達が押し寄せてくる」
「陛下、くせ者はどちら……に?」
武器を手に取り駆けつけてきた兵士の一人が、シャールーズの安全を図ろうと彼の前へと飛び出るが、薔薇の蔦によって釣り下げられている私を見て、小首をかしげた。
「さがってよいぞ。俺の妃が他の男の名前を呟いたので、仕置きをしようとしていたところだ」
シャールーズはうっとりとした表情で、私を見ている。
兵士達は、シャールーズの様子に息を飲み込んだ後、表面上は完璧に王への最敬礼をし立ち去っていった。
「聞いたかよ、男の名前を呟いただけで仕置きだと」
「神の子、神様だけに心が狭い!」
「怖すぎる」
立ち去りながらも、兵士達が口々に私の様子をちらちら横目で見ている。そのどれもが、哀れんだ視線だった。
「さて、部屋でじっくりと聞かせてもらおう」
シャールーズは、私を縛り上げたまま私を俵を担ぐように運び始めた。
え?ここは、横抱きじゃ無いの?
「荷物みたいに運ばれるのは嫌だわ」
「人を一人、横抱きで長距離運ぶのは難しい」
「自分で歩きます」
「逃がさないために両手は縛ったままだ。罪人を連行するような状態になるが……」
「荷物みたいに運ばれたいです」
「結構」
罪人みたいなのは嫌だし、横抱きでは運べないと言われたら、この荷物運び状態が一番良いような気がしてきた。
私の部屋につくなり、シャールーズは私を放り投げるようにベッドへ降ろした。たぶん、重かったんだと思う。
投げられた反動で、私がベッドで浮き沈みしていると、シャールーズが逃げられないようにベッドに上がり、真正面に陣取った。
「さて、どうしてよりによって、あの王子の名前を呟いたか言ってもらおうか」
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