25. 救出
浦上とテッド=神楽の戦いが始まる数時間前、場所は東太平洋ロサンジェルス沖五十海里ほど。夜はまだ明けず、東の水平にもまだ薄明の気配もない。
ダニー=ダグラスは欠伸をひとつ漏らした。彼は、乗組員五人の小型漁船の船長だ。明るくなる前に港を出て沖合で朝を待つ生活ももう三十年。慣れているとはいえ、今日は妙に眠い。目覚ましの音も聞こえなかった。彼が起き上がらないと隣に寝る妻が起こしてくれるのだが、今日は彼女も目が覚めなかった。ギリギリで目が覚めたから、妻が用意してくれていた朝食を食べ損ねてしまった。ガタガタと音を立てる車で港に着いた時には、船団の仲間は皆既に港を出た後だった。ぶうたれる船員を怒鳴りつけ、自分を棚に上げるのは得意だった、さっさと出航してきたのだ。
今日の漁場までもう少しある。
「こりゃ、他の連中に取り尽くされてんかもな」
隣に座る航海士兼機関士に愚痴を垂れてみるが、速度はこれ以上上げられない。温暖化対策で使える燃料は決められている。なけなしの金で改造してエンジンの効率は最高まで上げてあるが、適切な速度で走らないと燃料が足りなくなってしまうのだ。
「最近は海産資源も細る一方だ。保護だなんだと規制ばかりで上がりもほとんどありゃしねえ。
ソロソロ終い時かねぇ」
もう何度垂れたかわからない愚痴をこぼしていた。それでも彼は漁師を辞められないでいた。
「船長! 前方に海底から何か上がってくるぞ」
まだ漁場まである、まどろみかける意識を揺り動かすかのような怒鳴り声が響いた。
「なんだと! 何かとはなんだ」
「それがわかんねえんだよ。(魚群)レーダーが真っ白で細かいことが全くわかんねえ」
「おめえ何年レーダー見てんだ。ぼけたか」
怒鳴りながら彼もレーダーを覗く。そして絶句した。
「これは何だ」
「そうだろう……」
ダニーは返事を返さず、これでもかと言う怒鳴り声を上げた。
「全速回頭、エンジン全開。この海域から逃げろ。こりゃただことじゃねえ。燃料が切れるまで逃げろ」
彼の船のエンジンが悲鳴をあげる。余裕たっぷりで回っていたエンジンが作られて初めて全速で回る。煙突から黒煙が上がった。
後方数海里の広大なエリアに渡り何箇所も海底から泡が吹き上がった。巨大な泡が潰れ波打ち海面を十メートル以上押し上げた。海底のメタンハイドレートが海水温上昇で不安定になり爆発的に分解したのだ。
泡は何度も何度も海底から吹き上がり海面を押し上げる。大量の海水の上下動はいまや津波となり、海岸に向け押し寄せた。
地震と違い前兆も何もなかった。夜明け前、寝静まる人々が警報に気がついた時には津波はもうそこまで来ていた。逃げる余裕も場所もなかった。人々は波に飲まれ押し流され海に引き込まれた。米国では津波による歴史上最大の被害が出た大災害だった。
それだけでなかった、大気中に放出されたメタンに火が点いて、爆発的燃焼も起きたのだ。先行していた船団は全滅した。ダニーは炎に巻かれながらもかろうじて生き残ることができた。
そして彼は二度と海に出ることはなかった。
この時の火災は世界の二酸化炭素量の数字に影響が出るほどだった。
米国の大災害は、まだ世界に伝わっていない。彼らも知るはずもない。
悠然と歩いてくる多和良。それを無視し浦上に攻撃するためにテッドは構える。途端、その足元に耳に響く重低音とともに目も眩む光輝が走る。『ボン』テッドの足元で爆発が起き蒸気とともに泥が飛び散った。多和良の放った荷電粒子ビームの光の塊が着弾し水蒸気爆発を起こしたのだ。多和良は構えていた魔法使いの杖を下ろす。
荷電粒子ビームは、荷電対称性への干渉を得意とする彼の得意魔法の一つだ。短い空間に高電界をかけプラズマを発生させる。その電界を多重に繰り返してプラズマの塊を作りそれを高速で打ち出すのだ。人間に命中すれば感電と火傷で人事不省に陥る。使える魔法使いは多くない
「おっと、そこまでと言っただろう」
手前の男、倉田はいつの間にか多和良の射線から外れる場所に移動しており、次の瞬間にはテッド=神楽の脇に現れた。彼も縮地の魔法の使い手だった。腕をつかもうとする倉田の手を逃れて縮地を使い三mの距離を取る。流石に疲労が溜まっており、長距離の移動はできなくなっている。
「オマエたちは何者だ。唯者じゃないな」
「私たちは魔法使いの味方だよ。
特にこの浦上くんは、私の可愛い生徒みたいなもんだ。
これ以上、攻撃の意思を見せたら……」
多和良の体から波打つ光の帯が幾本も迸る。稲妻が体を離れ側の街灯の支柱に届き火花が散った。
「君も見たところ、だいぶ疲れているように見えるが。ここは引くことを勧めるよ」
遠隔魔法の使い手同士だが疲労が溜まっているテッドの方が分が悪い。テッドは何かを思い出した。荷電粒子ビームを使う、電撃魔法の使い手のことを聞いたことがあった。二つ名を確か『電撃の
「もしや、お前は電撃の
とすればお前たちは
「ここでその二つ名を聞くとはな。まあ、その通り、浦上くんは我々の保護下にある。
そういう訳で引いてもらえないか? 雲城」
多和良はテッドの後ろの空間に語りかけた。声をかけられ、仕方なしだろう。立ち木の陰から雲城が背後に控える二人の部下と共に現れた。
「よくこの時間に那須から戻ってこれたな」
多和良が感嘆の表情を浮かべる。雲城は渋い顔を浮かべた。
「そこまで判っていたのか。それでも研究室の破壊を止められなかったとは、大したことないじゃないか」
「そりゃ我々と言えど、潤沢なリソースがある訳じゃない。動き始めたのは那須の研究室から学園に連絡が入ってからだよ。
彼の友人が連れ去られたというのは、寝耳に水だったがね」
「それは、俺たちに関係はないぞ」
「判っている。だから、いや、なおさら今は引いた方がお前たちのためだ。
それにな、雲城。お前が何を考えているか判っている。
だがな、『多元量子宇宙ブリッジ魔法』は俺の見るところ、問題点の解決は容易ではないだろう。浦上くんでもあと何年かかるか。
お前たちも、魔法の情報は手に入れたんだろう。調べて見るといい。
それに、判っているだろう……」
多和良は、今までの無表情から人の悪そうな笑顔を浮かべた。
「お前は俺には勝てない。十年前の戦いを繰り返すか?」
雲城は渋い顔で睨みつけた。だが、決断は早かった。
「お前たち引き上げるぞ。テッドお前もだ。なんだ、ボロボロじゃないか」
浦上との戦いと多和良のせいであちこちに泥の跡が残るテッドを連れ雲城は歩き去っていく。
「待て、その前に見張りがいたという場所を教えろ」
浦上が声を張り上げる。
テッドはチラと視線を向けて来たが。「全く白けた話だ」ボソボソ呟くとすぐにそっぽをむいて吐き捨てるように返した。
「知らないね。勝ったら教えると言った気はするが」
「まて、教えろ」
追いかけようとする浦上の肩に手をやり、多和良は諭すように言った。
「浦上くん。大丈夫だ。我々に任せたまえ。
これから、彼女を救出に向かう。むしろそれが我々本来の仕事(魔法使いの保護)だ。むろん君の保護も任務の内だがね」
携帯端末を見ていた倉田が報告を寄越す。
「部長、向こうも準備が整ったようです」
「おう、じゃあ行こうか浦上くん」
歩きながら多和良は説明する。
真上寺を誘拐したのは誰かわからなかった。最初は営利誘拐で警視庁が動いたが犯人からの連絡がいくら待ってもこなかった。SMSPにも学園から連絡が入ったのだが、手がかりが全くなくて困っていたところに、反魔連の東京アジトが襲撃されたという情報が入って来た。
反魔連という組織は、反魔法なのだから当然組織内に魔法使いや魔術師はいない。つまりSMSPの管轄では無いわけだ。だから反魔連の情報はあまり持っていない。だが別の組織『公安』の内偵対象ではあった。
お役所にありがちの通り、管轄違いでSMSPに情報が来ることはないのだが、反魔連を襲ったのが魔術師だったということで連絡があった訳だった。
「いや、我々のせいでは全くないのに、やたら怒っていてね。参ったよ。どうも協力者が煽り食って重症だと。工作が無駄になったとブツブツ言われたよ。
無関係に思われた反魔連のアジト襲撃と、君の保護と監視につけた倉田の報告から反魔連の動きが浮き上がって来た訳だ」
そう言い多和良は並んで歩く倉田を視線で指し示した。
「俺は監視されていたんですか」
「いやいや、保護的措置だよ。今君は我々にとって最重要人物だよ。俺も知らない上から指令が来ているからね。それに、なんたって君は俺の学生みたいなもんさ」
そう言って多和良は笑う。
「しかし、君がここにたどり着いたと聞いて心底驚嘆したよ。
落ち着いたらどうやったかぜひ聞きたいものだ」
「そ、それは……」
脳裏に圭子の顔が浮かび言い淀む。多和良はそれ以上その話題に触れなかった。
浦上は、たいそう居心地の悪い思いを抱いたものの、今は従うしかない。真上寺を救い出すためなら、今は何でもやる。そう決心していた。
「さて、そろそろだな」
多和良が立ち止まるに合わせて浦上たちも立ち止まる。
「今回の救出作戦のパートナーだよ」
木陰から姿を表した男には見覚えがあった。迷彩服に防弾ヘルメットを被り雰囲気は全く違っていたが、見間違えることはなかった。
「あなたは……」
その男は口に人差し指を当てている。浦上は喉まで出ていた言葉を飲み込んだ。彼の後ろには整列した迷彩服姿が十数名ほど目に入る。彼らは完全武装しており抱える小銃の鈍い光に胃がキュウと締まるような感覚を覚えた。これはさっきまでのテッドとの戦いとは次元が違う。暴力的なまでの力を感じる。浦上は銃弾から身を守る術は持たない。そのことが意識され、緊張で顔がこわばっていた。
「久しぶり、今は話をしている暇はない。
ここからは我々が先導する。指示には必ず従ってくれ。これはここにいる全員の安全に関わるから絶対だ」
浦上は首肯する。
直ちに隊員たちが散開し物陰に身を隠しながら目的の建物に向かって進み始めた。
浦上は自分が大変な事態に巻き込まれていることに今更ながら動揺していた。それはそうだ、ほんの数時間前までは単なる、少し武術を嗜んだ研究者に過ぎなかった。今はあまりに日常と乖離している。だが、その場を離れるつもりはない。直接参加はできなくても真上寺が助け出されたときにはすぐそばに居たかった。それが判っているのか多和良たちも今は何も言わなかった。
見張りに立っていた男が、しきりに腕時計を気にしている。
ふと、何かに気がついたのかある一点を注視する。急にドアをノックし少し開けて中に向かって声をかけた。途端中が慌ただしくなる。
武器保管ボックスを開けて銃を装備するもの、何に使うのか10cmほどの金属棒の束をベストのポケットに押し込むものもいる。
「あと、二十分ほどで迎えと援軍が来る。こっちには『お荷物』があるから簡単には撃ってこないはずだ。各自、身を守りつつ撤収に備えろ。
それから、上からの命令だから伝えるが、なるべく殺すな。一応同盟国だからな、あとで政治問題になるからだそうだ」
「なんだと、ふざけるな。撃たれても反撃するなというのか」
リーダーはそれには答えない。
「俺は伝えたからな。あとは各自の判断だ」
「判ったまず、俺が出よう。俺の攻撃は目立たない。音が出ないから相手も混乱するだろう。うまくすれば、殺さずに無力化できる」
金属棒の束を手に持つ男はドアに向かった。
「真上寺を誘拐した連中は何者なんです?」
そばで身を伏せる多和良に、ずっと心に渦巻いていた質問を投げかけた。
多和良の顔には明らかな躊躇の表情が浮かんでいた。ふたりの間に沈黙の時間が流れ、ついに多和良は口を開く。
「米国の特殊工作員だよ」
「!」
「拉致の理由は、君の魔法が彼の国の安全保障上の懸念事項だと判断されたから。
真上寺さんが誘拐されたのは、彼女の強力な魔法力がなければ、君の魔法も危機とならないからだ。そして、いずれ彼女を餌として君を自分たちが利用するためだ」
「なんだと、そんなことのために。真上寺は誘拐されたというんですか。馬鹿げている。俺たちの魔法は人類を地球を守るためのものなのに!」
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