募る罪悪感

 部室の中には、いつも通り演劇部の部員達が集まっている。

 だけど普段なら活気ある声が響いているのに、今日はまるでお通夜のように、沈んだ空気が室内を包んでいた。


「……と言うわけで、満はドクターストップがかかっちゃったから。でも本格的な練習はできないけど、演技を見て、気づいたことがあったらどんどん意見してもらうね。皆も笑われないように、しっかりやること、いいね!」


 皆の前に立つ聖子ちゃんが、力強い声で説明を終える。

 悪い空気を吹き飛ばしたくて、気合いを入れるために声を張り上げたのだろうけど。それでもまだ、奮い立たせるには不十分な様子。皆の顔からは、動揺と不安の色が見てとれた。


 放課後、いつものように部室に集まった皆に告げられたのは、大路さんが不慮の事故で怪我をしたこと。

 昨日秋乃さんを庇った大路さんは、あの後すぐに病院に行って。幸い骨には異常はなかったけど、全身を強く打っていて、特に肩の捻挫は、治療にしばらく時間がかかると言う。


「これくらい問題無いさ。すぐに治るって」


 大路さんはそんな風に言っていたけど、医者が言うには安静が必要だから、しばらくの間劇の練習をしてはいけない。とのこと。


 大路さんは大丈夫、劇には出られると言い張ったのだけど、聖子ちゃんが練習することを許さなくて。

 結局、大路さんが折れる形となったのだ。

 聖子ちゃんの判断は、正しいと思う。大路さんが劇に出られないのは残念だけど、無理をさせるわけにはいかないのだ。


 それにしても、もう本番まで時間がないと言うのに、ここに来て主役の一人が怪我。しかも大路さんは、演劇部の精神的支柱のような人だから、皆の動揺は激しくて。

 そしてそんな重たい雰囲気の中、話題の本人、大路さんが前へと出てくる。


「皆ごめん……こんな大事な時期に怪我なんてして、本当に申し訳ない」


 悔しそうに奥歯を噛み締めながら、昨日僕や雪子先輩に謝った時みたいに、深く頭を下げてくる大路さん。


 彼女の意向で、怪我をした経緯……秋乃さん達と何があったかは、皆には知らせないことにしていた。

 こうなってしまった以上、秋乃さん達ももうこれ以上手出ししてこないだろうし、余計なことを言って動揺させないための配慮だそうだ。


 だけど同じ黙っておくでも、僕が嫌がらせを受けていたのを黙っていたのとはわけが違う。

 もしも僕が早々に、聖子ちゃんや大路さんに相談していれば、あんな事にはならなかったんじゃないか。そんな後悔の念が押し寄せてくる。


 けど、悪いのは僕なのに。大路さんはまるで、自分が悪いみたいな態度をとりながら、皆に謝り続けている。


「こうなってしまった以上、今度の舞台に立つのは難しいかもしれない。だから次の公演は、代役をお願いしようと思っている。朝美、急で悪いけど、お願いできる?」

「任せてよ。こういう時の為に、私だって練習してきたんだから。劇の事は心配しないで、満は怪我を直すことだけを考えてね」


 元気よく答えたのは、西本朝美さん。

 大路さんに負けない長身な彼女が、王子様の代役だけど……はたして僕は、息を合わせられるだろうか?


「ショタくんもよろしくね。満みたいにうまくやれるかどうかは分からないけど、一所懸命頑張るから」

「僕の方こそ。足を引っ張らないよう頑張ります」


 明るく言ってくれた西本さんに、僕も精一杯の笑顔で返す。

 だけど、本当は不安だった。僕は大路さんがいたから演劇部に入って、大路さんがいたからシンデレラ役に立候補して。それなのにこんな風に大路さんが抜けてしまって、それでちゃんとやっていけるのだろうか?


 そしてそんな僕らの事を、すぐ近くで大路さんが見ていたけど……。

 じっとこっちを見つめる大路さんに、僕は目を向けることはできなかった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 大路さんが劇に出られなくなったことに、皆少なからず動揺したけど、だからと言って練習を疎かにはできない。

 今日はもう、二月七日。公演は十二日だから、残り五日しかないのだ。


 僕はこれほどまでに、カレンダーの並びを怨めしく思った事はない。

 今度の公演は、バレンタイン公演と銘打っていて、例年なら二月十四日に行われるのが普通だそうだけど、生憎今年の十四日は日曜日。勿論、学校が休みの日だ。


 だから今年の公演は金曜日の放課後に、体育館を使って行われる。

 だけどもし十四日が日曜日じゃなかったら、もう少し本番までの猶予が伸びたのにと、どうしても考えてしまう。たった二日で何かが変わる訳じゃないって、わかっているのに。


 そして、そんな気持ちが、演技にも現れてしまったかも。西本さんと初めて行った稽古では……。


「ショタくん、台詞が違うよ。前のやつを飛ばしちゃってる」

「す、すみません!」


「王子様、今日こうしてアナタと出会うことができて……」

「待って。立ち位置がおかしいよ。本番で照明が当たるとこを考えると、もうちょい右の方がいいかな」

「ーーッ! ごめんなさい!」



 そんな感じで、僕はそれまでしなかったようなミスを、三回もやらかしてしまった。

 台詞を間違えて、うまく動くことができなくて。続くミスに焦りながら、僕は西本さんに頭を下げる。


「……すみません。西本さん、もう一度最初からやらせてください」

「私は構わないけど。ショタ君、ちょっと力入れすぎじゃない? 少しは肩の力を抜いた方がいいよ」

「すみません。次はちゃんと気を張らずにやりますから」

「ああ、うん。なんかもうすでに、力入っちゃってる気がするんだけど」


 西本さんは眉を下げた困り顔をしていて。言ったそばからダメ出しされる。

 これじゃあいけない。もっとちゃんとしないと。そんな思いが、ますます余計な力を入れてしまう。


 昨日まではもう少し上手くやれたはずにのに、相手が変わっただけで、こんなにもミスを連発してしまうだなんて。

 自分でもダメだって分かっているのに、どうしても焦りが治まらない。


 すると、そんな様子を見かねたのだろう。練習を始めてからずっと僕達の様子を見てくれていた大路さんが、そっと声をかけてくる。


「少し、休憩した方が良さそうだね。何か温かいものでも飲んで、いったん落ち着こうか」

「そんな、僕はまだやれますよ」


 失敗続きのまま中断するのが悔しくて、とっさにそう叫んだけど。大路さんは首を横に振る。


「ショタくん、やる気があるのはいい事だけど、それだけじゃダメなんだ。酷な言い方だけど、このまま続けてもいい結果が出るとは思えないよ」

「―———ッ!」


 今度は返す言葉も出なくて、がっくりと肩を落とす。

 だけど大路さんの言うことももっとも。このままじゃダメなことくらい、自分でもよく分かっていた。


「……すみません」


 頭の中はぐちゃぐちゃで、どこをどう直せばいいかなんて、まるで考えられない。

 何も考えずにただがむしゃらに練習をこなせばいいってものじゃないって分かっているのに、空回りするばかり。


 だけどそんな僕の背中を、大路さんはポンと叩いてきて慰めるように、少し切ないような笑みを向けてくる。


「少し、気分転換をしよう。朝美、悪いけど、ショタくんを借りるよ」

「了解。ショタくんのこと、お願いね」

「ああ、もちろんだよ。それじゃあ、行こうかショタくん」

「……はい」


 断る理由も無いから、僕は素直に大路さんの言うことに従う。最後に西本さんの、「ついでに紅茶でも買ってきてよ」と言う言葉を聞きながら。僕達は靴を履いて部室を出て、そのまま校舎の方へと歩いて行く。


 校舎の近くまで来た時は、少し警戒した。昨日こんな風に校舎の中をうろついている時に秋乃先輩に声をかけられて、連れて行かれたんだ。

 僕があんな間抜けな失敗さえしなければ、大路さんが怪我する事も無かったのにって。ついついそんな事を考えてしまう。


 そしてやがてたどり着いたのは、中庭の真ん中にあるベンチ。

 きっと暖かくなったら、ここでお昼をとったり、お喋りをする生徒もいるだろうけど、生憎今は冬。寒いのにわざわざこんな所に出てくるような生徒はいないみたいで、周りに人の姿は見られない。


 そんな寒い中だけど、僕と大路さんはゆっくりとベンチに腰を下ろして。無言の間が生まれる。


 大路さんは何を言うつもりなのだろう。しょうもないミスを連発する僕の体たらくに、呆れているだろうか? 


 それとも、怒ってる? 大路さんが怪我をしたのは、僕がドジをふんで、秋乃さん達に捕まったせい。

 黙っていると、罪悪感に押し潰されそうになる。僕のせいで、こんな事になってしまっんだって……。

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