第316話 【真珠】秘密


「全て分かっているから。尊のも、ルーカスのも」



 ルーカスが、尊に寄せる想い。

 尊が、その想いを受け入れられない気持ち。

 そのどちらも、既にわたしは理解している──と、直接的な言葉を避けて伝えた。


 相容れない二人の心の内を直球で語るほど、わたしとて野暮ではない。


 それに加え、色恋沙汰には無縁のわたしが、恋愛偏差値高めの尊に対して、ソレを語るのは何となく気が引けたのだ。

 よって、二人がお互いに抱くであろう想いを仄めかすにとどめ、言葉の選択には細心の注意を払った。



 だが、どうしたことか、尊の顔色は見る見るうちに悪くなっていく。



「いつ……知った? どうして気づいた?」



 顔面蒼白になった尊はわたしから目を逸らすと、声を絞り出しながら、そんな質問を口にしたのだ。


 男性二人への気遣いは完璧だったと悦に入っていたわたしだが、自分の気づかぬところで尊の地雷を踏み抜いてしまったことを理解した。


 戸惑いを隠せないままに、わたしは弟からの問いに答える。


「ええと……、その……まだ最近のことなんだけど……二人の様子から、なんとなく推測できたというか……」


 尊は俯くと「そうか……」と呟き、その後は沈黙してしまう。


 こんなにも憔悴しきった弟の姿は本当に稀で、わたしの心は不安に襲われた。


 項垂れるその様子から、ルーカスとの間で、既に何か問題が起きているのではないかとの疑念も生まれる。

 ──まさかとは思うが、弟は既にルーカスの手に落ちてしまったのだろうか?


 恩師が実力行使に出た可能性を勘繰ってはみたものの、彼に限ってそれはないだろうと、すぐに思い直す。


 兎にも角にも、今は尊を落ち着かせるのが先決だ。

 そこから詳しい話を聞き、問題解決する方法を模索しよう。


 そう判断したわたしは、尊の肩に手を置き、幼子を慰めるような口調で語りかけた。



「ルーカスの気持ちに気づいたら、尊が警戒するのは仕方がないことだったのかもしれない。今まで二人の想いに気づけなくて、本当にごめんなさい」



 どうしたことか、わたしの言葉を聞けば聞くほどに、尊の身体は強張っていく。


 弟の頬を両手で包んで固定したわたしは、その双眸を覗き込んだ。こちらを向けと態度で示したのに、尊は視線だけを逸らし、わたしとは一向に目を合わせようとしない。


 この状況に、わたしは首を傾げるしかなかった。


 おかしい。

 地雷を踏んだと思っていたが、それ以外にも何か特殊な事情があるようにも感じる。


 何というか……これではまるで、尊が隠し続けた重大な秘密を、無理矢理暴いている気分だ。

 この湧き上がる罪悪感は、一体何なのだろう。



 触れて欲しくないと、弟が切望する秘密──まさかとは思うが……、いや……流石にそれは考えすぎというものだ。でも……。



 とある考えが浮かんでしまい、尊が今までお付き合いしてきた歴代の交際相手を振り返る。

 やはりすべて女性だ。知り得る限りでは、間違いない。



 推測でしかなかったが、ルーカスという極上の美男子と出会ったことにより、我が弟はでも開いてしまったのだろうか?


 尊は自分の嗜好の変化を直視できず、必死になって隠そうとしているのかもしれない。



 そういえば、今まで途切れることなく存在していたガールフレンドの姿を見なくなったのは、いつのことだったろう。

 そうだ──わたしが一人暮らしをはじめた頃からだ。


 毎週末のように、和食恋しさに我が家に転がり込んできた尊の行動からも、特定の相手がいなかった事実が自ずとうかがえる。

 期間にすれば数ヶ月の間、尊は珍しく特定の女子と深く関係していなかったのだ。



 わたしはゴクリと唾を飲み込んだ。


 尊がルーカスに向けていた、あの理不尽な態度の数々を記憶で辿る。

 わたしが諌めても、諌めても、やめなかった不躾な言動の理由が、何となく理解できてしまった。


 それは、愛情の裏返し。

 尊は、ルーカスに惹かれながらも、懸命にツレない態度をとっていたと──そういうことなのだろう。



 ──迂闊だった。

 まさか、そっち方面に心が動いていたとは、予想外にも程がある。


 わたしは驚きを隠しつつ、弟にかける言葉を探した。

 短時間ではあるが、どう話を持っていくべきかと脳内にて会議を繰り広げ、検討に検討を重ねる。


 ここで判断を誤ったら、姉弟の絆も終わる予感がしたのだ。



「尊……、好きになったらいけない人だと思って……苦しかったのね。諦めようと頑張ったのかもしれない。でも、自分の気持ちには、素直になったほうがいいと思うの」



 二人は男同士だから、例えゴールインしたとしても、両親に孫の顔を見せることはできない。

 それでも弟には、好いた人と共に、幸せな人生を送ってほしい。


 椎葉家のご先祖さま、お父さん、お母さん、本当にごめんなさい──と、わたしは心の中で手を合わせて謝った。


 尊を応援しようと決意したわたしは、物言わぬ弟を更に鼓舞する科白を口にのせる。



「心配しないで。わたしも協力する。二人の間に子供は望めないだろうけど、そういった人生も、また違った幸せがあると思うの。お父さんとお母さんを説得する時は、わたしも一緒に頑張るから」



 ──何故だろう。

 尊は驚愕に満ちた眼差しで、今度はわたしを凝視してきたのだ。


 やっとこの目を見たことに安堵したが、そこまで驚かれるような内容を口にした覚えもない。

 わたしが彼等二人の仲をすんなり認めたことが、そんなにも意外だったのだろうか。



 震える声を絞り出した尊が、わたしに問いかける。


「サーコ、お前……自分が言っている意味を……わかっているのか?」


 わたしは、力強く頷いた。


 勿論だ。

 ──愛する二人の間に、性別なんて関係ない!



 もしも万が一、両親が反対するようなことがあったとしても、わたしが二人の味方になるとハッキリ宣言しておいた方がいいだろう。尊を安心させるために。



「尊──約束する。わたしは絶対に、二人の──尊とルーカスの味方になる。だから安心して、二人で愛を育んで!」


 それを伝えた途端、尊は激しい困惑を顕にし、次いで落胆の色を見せた。



 ──おかしい。

 途中までは真剣な眼差しでわたしの両目を見つめていたはずなのに、今、弟の眉間には深い皺が刻まれている。


 姉としては、彼等二人の心強い味方になると断言したつもりだが、少し熱弁が過ぎて、引かれてしまったのだろうか。


 もう、弟の反応が謎過ぎて、完全に意味不明だった。



 どうしよう。

 わたしは失言をしたようだが、自分の言動を思い返してみても決定的な落ち度は見あたらない。



 だが、二人を祝福する激励の言葉を送ったわたしに比べ──弟ときたら、こうだ。


「愛!? 俺とルーカスが……? ちょっと、待て! どんな想像してんだよ! ありえないだろう……っ サーコ、とうとう頭が湧いたのか」


 ──と、悪態と共に、わたしへ向けて暴言を吐きおったのだ。



 正直に言えば、弟の顔色がよくなったので安堵もしていた。

 だがしかし、尊の気持ちを最大限に慮ったわたしとは違い、弟がわたしへと投げかけた言葉には思いやりの欠片すら見あたらないものだった。


 少しばかり憤慨したわたしは「実の姉に向かって、なんたる物言い」と返し、あわや姉弟喧嘩勃発の事態に突入しかける。が、尊は、わたしの怒りを躱すのが目的だったのだろう──、そのまま何事もなかったように立ち上がった。



「そうだよ……知ってる。サーコは……姉なんだ。残念なことに」



 ──残念なことに?

 悪かったな、残念な姉で。


 少しだけムッとしたけれど、何処か寂しげな尊の表情に、わたしの苛立ちは急速に萎んでいった。


 弟が見せた不安定な様子は幻だったのか。

 気づくと尊の表情は、普段と変わらぬポーカーフェイスに戻っていた。



「サーコ……どこから、そんな発想が出てくるんだ。お前は、おかしな本やらゲームやらの見過ぎだ。本当に、馬鹿も休み休みで言ってくれ。この──馬鹿め!」



 弟は『馬鹿』連発の上、わたしの頭をポンポンと叩いてから嘆息した。




 その日を境に、尊がルーカスへと向ける態度も、少しずつ軟化していったように思う。

 それに加えて、ダブルメジャーを選んでいた尊は、音楽以外の専攻が忙しくなったとのことで、以降ルーカス邸への足どりも遠のいていった。


 その後、わたしを混乱の渦中に突き落とす『人違いキス事件』が起き、尊の進路の変更も重なって、お互いに離れ離れになってしまうのだ。



          …



 何処からともなく、深い溜め息が耳に届き、追憶の世界を彷徨っていた意識が現実に引き戻される。

 二人を懐かしく思い、感傷に浸りかけていたわたしの視界に影がさした。


 影の主は──エル。

 彼はいつの間にかソファを離れ、わたしの目の前で腕組みをしながら佇んでいた。





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