第282話 【真珠】ミスリード
周りに気を配れるようになったわたしが第一に心配したのは、理香と優吾のことだった――と言うのも、恐竜展で優吾からの熱烈な口づけ事件が尾を引き、理香は叔父に対してかなりの警戒心をあらわにしていたからだ。
それも当然と言えよう。
想定外の事態――平たく言えば、突然襲われたようなものだ。
衝撃のほどは当の本人にしか分からないが、その理香の態度は、さもありなんという状況。
理香に訴えられても知らんぞ、と思いながら優吾をチラリと盗み見ると、叔父は理香に向かって歩を進めるところだった。
優吾が理香に近づこうと行動を起こした瞬間、咲也が阻止しようと一歩前に踏み出る。
咲也の行動に優吾は溜め息をつきながら「
その口振りから、どうやら咲也と優吾も仕事上で面識があることが伝わった。
理香は優吾の科白を受け「咲ちゃん、わたしはもう大丈夫だから」と言って、叔父と対峙する。
先ほどとは打って変わった毅然とした態度を見せた理香は、挑むような眼差しを優吾へと向けた。
これから何が起きるのだろうと、微かな緊張がその場を席巻したのだが、その次の瞬間――叔父は彼女に対して頭を下げ、先ほどの非礼とも言える行為を詫び、その理由を人前にも関わらず包み隠さず伝えた。
つまり「理香のことを愛している」と、周囲の耳目を憚ることなく、告げたのだ。
公開告白そのものの事態に、わたし達は静まり返った。
――衝撃以外の言葉が、みつからない。
今までの叔父を知るわたしにとっては、彼が誰かに対して頭を下げる姿なんて、まったく考えられなかった。
しかも、理香への想いをハッキリと口にしたのだ。
彼の態度に愕然とするしかなかったのは理香も咲也も同じだったようで、二人揃って思考停止に追い込まれている様子が、手に取るようにわかった。
優吾はそんな理香に対して、何かを手渡していた。
放心状態の彼女は、うっかりそれを受け取ってしまったようで、慌てて突き返そうとしていた。
けれど、優吾が彼女の耳元で何かを囁くと、理香の動きは止まり、それを甘んじて受け入れたようだ。
優吾は理香に対し、今まで拝んだことのないような優しい笑顔を向けると「必要なければ捨てればいい」と伝えていた。
地球館入口にて、優吾は理香へ爆弾発言を投げつけたあと、何事も無かったようにアルサラーム御一行様と共にその場を後にした。
別れ際、エルからの目配せにより今夜の約束確認をされたので、わたしはしっかりと首肯した。エルはそれを見届けると小さく頷いてから去っていった。が、案の定、ラシードは寂しそうな表情を見せる。
わたしはラシードに「明日、お揃いのキーホルダーをホテルまで貴志に届けてもらうから、楽しみにしていてね」と伝えた。
兄と晴夏に謝罪を兼ねてお揃いで購入しよう算段していたキーホルダーを、ラシードにもプレゼントしようと思ったのだ。
青い双眸を細めたラシードは、一度わたしに抱きつくと、そのまま大人の後を追いかけて行った。最後に残った優吾の秘書・東郷氏がこちらに向けて会釈をすると、彼等のあとに続いた。
「これ、どうしよう……」
今まで黙っていた理香が、茫然とした声で呟いた。
彼女が手にしていたのは、何かの鍵だ。
優吾の持つマンションの鍵?――にしては、レトロな形状だ。
それとも何が別の用途があるのだろうか。
詳しいことは分からないけれど、気になることがあったので、わたしは理香に質問を向ける。
「ねえ、理香は加山ンと、お付き合いしているんでしょう? その……余計なお世話かもしれないけど……大丈夫なの?」
わたしの言葉に、理香は困惑したような表情を見せる。
「わたしが? 良ちゃんと? お付き合い?――前にも言ったと思うけど……してないわよ? どうして、そうなるの?」
へ!?
「いや、だって――二人とも仲良かったし、理香だってヤキモチ焼いていたよね? 『天球』でのコンサート最終日に加山ンがモテモテになっていた時も、それから今日――加山ンが女子高生と出かけることに対しても……」
天邪鬼な理香のこと――てっきり照れ隠しで、始まったばかりの交際を否定しているのかなと解釈していたのだが、彼女が言い続けているように、彼氏彼女の関係にはまだ至っていないのだろうか?
いやいや、そんな筈はない。
お前達二人は知らないだろうが、十年後に理香は加山姓を名乗ることが予定されているのだから。
「ヤキモチ? ああ、だって兄妹みたいに育ってきたから、そういった感情くらい持つわよ。あんただって穂高が知らない女の子と出かけるってなったら、ちょっとモヤッとするんじゃない?」
兄が知らない女の子と?
ちょっと想像してみたところ――うん、確かに少しだけではあるが、モヤッとするかもしれない。でも、まだ兄は幼くて、正直なところ実感がわかない。
ああ、でも、そうだ。
伊佐子時代、モテ男くんだった弟の尊が婦女子と出かけると知った時は、かなりモヤモヤしていたことを思い出す。
「でも、加山ンも理香も、お互いのこと好きだよね?」
理香は事もなげに頷く。
「ええ、好きよ。それは兄妹というか……幼馴染みとしてね――正直、もう良ちゃんには見放されちゃったんだろうなと思っていたから、まだ大切に想ってくれたと知って、かなり嬉しかった――でも、あんたが何を期待しているのか分からないけど、残念ながらそういった色恋の間柄じゃあないわよ?」
そうなのか?
まさか二人の関係は、始まってさえいなかったとは!?
わたしは乙女ゲーム『この音』にて、未来の二人の関係を知っていたが故に、完全なるミスリードで認識違いをしていたのかもしれない。
ということは――優吾も、理香の心に立ち入る隙があるということ?
「優吾のこと、どうするの? 公開告白っていう、なかなか勇気のいることをやってのけて――豪胆なのか馬鹿なのか、よく分からない叔父だけど。姪としては、ちょっとだけ、見直したかも」
わたしの言葉に理香は珍しく口籠ってしまう。
先ほどのキスと公開告白を思い出しているのだろうか、心なしか頬が赤い。
「どうする、って言われても――わたし、どうしよう……どうしたらいい? だって、アイツなのよ? 一体何があったって言うの?」
優吾から手渡された装飾の施された鍵を見つめながら、理香は胸元をおさえている。
駄目だ。
いつものキレのある理香じゃない。
微妙に乙女モードに入っているようだが、咲也はかなり心配そうな表情をのぞかせている。
恐竜展から移動する際、優吾が語っていた言葉を思い出す。
『
そうなのだ。
どう考えても、あの理香が、妹役とはいえ、何とも思わない男とひとつ屋根の下で暮らすとは考えられない。
もしかしなくとも、優吾と理香は互いに想いあっていた?
けれど、あの二人の厄介な性格が邪魔をして、素直になれずにすれ違いだけを繰り返し、優吾が何かをやらかしたことで理香は彼から離れて行った――のではないだろうか?
それはわたしの勝手な予想なので、正しいかどうかは分からない。
でも、その優吾は、理香に会えない時間で考えを改め、変わった。
そして今日、理香に再会できたことで、その想いをハッキリと定め、彼女に手を伸ばしたのだろう。
優吾は、なりふり構わず、理香を手に入れようと動き出した。
ここまであの叔父を変えてしまう『恋心』とは、何と恐ろしい感情なのだろう。
あれ?
でも、それって……やはり、わたしの知る未来が変わる可能性があるということ?
わたしを介して、予定調和が狂ってしまっても大丈夫なのだろうか?
不安が生まれ落ち、立ち止まりそうになったところ――わたしの視界にエルが映った。
――ああ、そうだ。
わたしの存在は、既に彼の運命を大きく変えてしまったのだ。
それも人間の生き死にというレベルでの大きな改変だ。それに手を貸していたことを改めて認識する。
――そして、それについては全く後悔していない。
理香と優吾と加山の関係が変わることがあったとしても、今更の事態なのかもしれない。
理香が今後誰を選ぶのか、答えが出るのは数年先。
どんな結果になるのかは分からないけれど、彼らの選んだ結末を見届けるしか
そう結論づけたわたしの視界に、貴志の腕時計の文字盤が飛び込んできた。
時刻を確認したわたしは、ハッと息を呑む。
「あ! もうこんな時間!
わたしは一刻も早くやらねばならぬ事を思い出し、居ても立ってもいられず慌てて走り出した。
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