第267話 【真珠】再会 後編


「お前もなのか!」



 ラシードが晴夏に対して叫び声をあげた。



 何事かと思い、二人の会話に意識を奪われ、耳を澄ませる。


 晴夏は、自分自身もわたしと太陽神シェ・ラの前で誓いを交わしていると伝えたようだ。


 何故、そんなことを彼が知っているのだろう?


 そう疑問に思った瞬間、兄が「僕が伝えておいたんだよ」と耳元で囁いた。


 劇薬優吾を貴志へ紹介し、手持ち無沙汰になった兄はこちらに戻ってきたようだ。



「万が一の事態を考えて、昨夜寝る前に晴夏くんに伝えておいて正解だった。まさか、こんなところでアルサラームの王子達に遭遇するとは、僕も思わなかったからね。真珠を守るために、晴夏くんにも協力してもらわないと」



 わたしは兄を見上げる。

 昨日『伊佐子さん』と呼ばれて以降、彼はその話題を出して来ることはなかった。


 この様子から、兄のあの言葉に他意はなく、本当にわたしを守ろうとする気持ちから口にのせた事実が分かり、ホッと安堵する。


 けれど、今はまだ『伊佐子』の話をするのは時期尚早。

 もう少し、お互いに成長してからだ。




 兄の視線の先にいるラシードと晴夏を、もう一度視界に入れる。


 どうやらラシードは、晴夏を太陽神の御前でわたしと誓い合った相手と認識し、神の末裔である自分が受け入れなければならないと判断したようだ。



 それでも、どの部位で誓いを立てたのかが非常に気になったようで、晴夏にしつこく質問している。



「ぶつか……いや、触れたのは鼻だ」



 晴夏の言葉に、ラシードは愕然とし、微動だにしなくなってしまった。



 自分が口づけた頬よりも、晴夏が触れた鼻の方が優先度の高い誓いになることを理解したラシードは、ガックリと肩を落としている。



 今にも泣き出しそうなラシードの様子に晴夏はギョッとし、何を思ったのか咄嗟に慰めはじめた。


 妹の涼葉を宥める様子と重なり、晴夏本人もつい反射的に慰めてしまったような雰囲気ではある。


 機嫌を取り戻したラシードは、晴夏の手をつかんで太陽神シェ・ラの偉大さを説くと語りはじめ、晴夏が困惑し始めているようだ。


 そろそろ、晴夏を救助する必要がありそうだ――と思ったところ、ラシードはエルに名を呼ばれ、そちらを振り向くと同時に晴夏の腕を解放する。



「シード、そろそろ行くぞ」



 声のした方向に目を向けると、名刺をばら撒き終わった優吾及びに、エルと貴志が並んで立っていた。


 恐ろしいほどに、激しく目立つ三人だ。


 彼らの背後には既に入場待ちの来館客で数メートルに渡って列ができている。その客達のものすごい視線が、彼らに向けられていることにも気づいてしまった。



 あそこには絶対近寄るまい、とわたしは己の心に固く誓う。



「シード、真珠に儀式を。ここで正式な別れの挨拶をしておくんだ。後で館内で会えたとしても人が多ければ『祝福の別れ』を贈ることはできないからな」



 ラシードはエルの言葉で居住まいを正し、アルサラームの言葉で祝詞のりとを唱え、わたしを抱き寄せると、最後にその唇で再びこの頬に触れた。


 ラシードの真剣な眼差しに、これは聖なる儀式なのだなと理解したわたしは、逃げずにそれらを受け入れる。



「太陽の『祝福』を与えし我が友に、幸あらんことを」



 ラシードが膝を折って、わたしの手の甲に額を当て、スッと身を引いた。



 次いでエルがひざまずき、ラシードと同じ言葉を口にのせ、わたしを抱き寄せたあと最後に瞼へ口づけを落とす。



「『太陽の祝福』と『月下の契り』を与えし我が女神に、幸あらんことを」



 エルも、ラシードと同じく、わたしの手の甲に額を寄せた。


 その後、わたしの目を見て微笑んだエルは囁きを落とす。



「今日、お前は『小さな嵐』と出会う。いや……再会する、と言った方が正しいのか? 心して行動しろ。不安を覚えたならば、呼べ――私はいつでもお前のことを、『太陽と月の』で待っている」




 小さな嵐?



 わたしはエルの言葉に首を傾げた。


 エルは黒曜石の瞳を細めると立ち上がり、今度は貴志の瞼に唇で触れ、ラシードがわたしに対して行ったものと同じ別れの挨拶を交わしていた。



 優吾はそれを興味津々で見つめ「へぇ、王家に伝わる『剣』と『盾』の誓いか? これは、面白いことになっていそうだな――真珠」と、わたしの顔を見てニヤリと笑った。


 根こそぎ魂を食われるような感覚に、わたしは引きつった笑顔を優吾に返す。


 そんな恐怖を姪っ子に抱かせるとは、全くもって悪魔のような叔父だ。



 ラシードとエルは安全面を鑑み、開館前の時間で混雑が必至の特別展を見学する許可を得ているらしい。

 特別展の見学終了後は、常設展に移動するので、もしかしたらそこで再び会えるかもしれないとエルは教えてくれた。


 ラシードは、何がなんでもわたしを連れて行くと主張して譲らなかったが、そこは丁重にお断り申し上げる。

 王族であるならば、我が儘を言って周囲を困らせるなと諭し、教育的指導をすることによって母親役を務め上げ、彼の背中を見送った。


 学芸員の方を先導にして、優吾と共に一足早く入館して行くラシードは少し拗ねた様子を見せる。


 こちらを何度も振り返っては立ち止まり、エルに名を呼ばれては前に進み――まるで牛歩戦術のような行動を繰り返し、科博の建物の中へと消えていった。



 そういえば、別れ際に理香とすれ違った優吾が、彼女に対して何事かを囁き、楽しそうに笑っていたのが印象的だった。


 理香は驚きに目を見開き、その後何故かわたしと兄を見つめていたのが、少しだけ気になった。


 もしかしたら――なんという親類を紹介してくれたのか!?――といった、お怒りの顕れだったらどうしようと、ちょっと不安になる。



 彼らの背が完全に見えなくなった後、理香はニッコリと笑顔を見せ「あの、腐れ外道が!」と吐き捨て、咲也までも「あの、性的倒錯者め!」と罵っていた。



 優吾は何を言って、理香の逆鱗に触れたのだろう。


 そして、咲也よ。

 お前は、まさかとは思うが、優吾に手を出されたりした過去がある訳ではないだろうな! と、要らぬ心配をしてしまう。


 いや、でも、三人ともに初対面のような態度だったことを思い出し、わたしの勘ぐり過ぎか? と早々に結論を出す。



 しかし、この二人――この短い時間に、齋賀優吾の本質を見抜くとは、天晴れ! 本当に恐れ入った。



 優吾は、誰が見ても毒薬のような危険人物だということも判明し、あの叔父を恐ろしく感じていた『真珠』の気持ちは間違いではなかったと、納得もする。



 有害汚染物質を垂れ流しながら国立科学博物館の中に消えていった叔父に対し、わたしは手を合わせた。



 勿論、優吾の無事を祈った訳ではない。

 何故ならば、ヤツは痴情のもつれで刺されたとしても、絶対に死なないように死神と契約を交わしていてもおかしくない男だ。


 わたしはただ単に、切実に願ったのだ。



 頼むから科博の展示物をお前の禍々しい瘴気しょうきで、けがしてくれるなよ!――と呪っ……祈ったのである。



 そしてわたしは理香と咲也を尊敬の眼差しで見つめる。


 二人の、優吾に対する超能力級洞察力に驚嘆し、拍手喝采を送ろうと手を叩こうとしたのだが、その動きは兄によって阻止されることとなった。



 兄は煌めく王子スマイルを見せると、何故かわたしの服の埃を払い始める。



 どうしよう。

 わたしはずっとゴミクズ塗れだったのだろうか。

 まったく気づかなかった。

 ものすごく恥ずかしい。



 次いで、兄はハンカチを取り出すと、ラシードが口付けた頬と、エルが触れた瞼を、この上なく丹念に拭き取ってくれた。



 兄の行動と、父の態度が重なったのは、どうしてだろう。

 やはり親子なのだなと、その動きを黙って受け入れる。



 わたしは念の為、虫除けスプレーを再度噴霧することを余儀なくされた。



「真珠、その虫除け、わたしにも貸してちょうだい」


 理香の声が聞こえ、わたしはそれを手渡した。



 虫除けと言う名の、優吾避けなのだろうか? などと思ってしまうほど、理香はスプレーをかけまくっていた。



 いいぞ、理香、その調子だ。

 絶対、優吾に関わってはいけない。

 アレは女を不幸にする男だ。


 それに、お前には加山がいるのだからな!

 ――と、わたしはついでに、加山ンにもエールを送った。





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