第252話 【幕間・真珠】告白と『約束』
「正統な血を継ぐ、月ヶ瀬の直系は――
当主と名乗るべき唯一の人間はな
この世には、もう……
貴志――お前しか存在しないんだ」
重々しい声で語られた祖父の言葉を、わたしが完全に理解できるまでに暫しの時間を要した。
その間に、貴志は全てを悟ったのか、思いもよらない事実に声すら出せずにいる。
貴志の腰に腕をまわし、抱き着いたままの姿勢で彼の顔を下から見上げた。
必死に気持ちを落ち着けようとしている彼の表情が、わたしの視界を埋める。
左手を額に当てながら俯く彼の瞳が、微かに揺れて見えるのは、混乱の渦中に突然投げ込まれた故なのか。
――知らなかった。
月ヶ瀬家の直系が、貴志だったなんて。
『この音』では、まったく触れられることのなかった真実に、わたしも動揺を隠せない。
貴志が本家の末裔だとしたら、その実父の正幸も直系の血筋だ。
でも――だとしたら、祖父は?
先ほどの、祖父の言葉の意味は?
「
祖父は自らの出自について、言及する。
祖父の育ての両親は、月ヶ瀬本家当主・
二人は長年、子宝に恵まれなかったらしい。
「子供のいない二人の間に、月ヶ瀬の遠縁にあたる家柄から、本家の嫡男として養子に送り出されたのが……生まれて間もない頃の儂だ。幸造という名前も、育ての両親――信造と幸から一文字ずつ与えられ、彼等はこの上もなく慈しんでくれた――まさか自分が養子だとは思いもよらないほどに……」
その後、今まで子供に恵まれなかった貴志の祖父母夫妻に、実子――正幸が誕生する。
「両親は弟の誕生を、とても喜んでいたよ。儂も勿論嬉しくてな……母と共に正幸の世話をよく焼いたもんだ。まだ儂も幼かったから、本人は手伝いをしていたつもりでも……実際には余計な仕事を増やすだけだったと、成長してからは家族団欒時の笑い話にも上がる……とても幸せな家庭だった」
祖父も、貴志の実父も、お互いが実の兄弟ではないという事実を知らず、分け隔てなく愛情を注いでもらった――と、昔日を懐かしむ祖父の瞳は、とても穏やかだ。
「儂が両親の実の子ではなく、養子だと知ったのは、大学の進学を決めた頃のことだ」
月ヶ瀬の事業を今後、どう発展させていくのか。
尊敬する父親の背を追うようにして決めた進路に胸躍らせていた時、ある火急の連絡が本家に届いた。
「たまたま自宅にいた儂が、その知らせを受けてしまったことから、自分の出生の秘密が発覚することになったんだ」
運命を狂わせた火急の連絡――それは、今まで存在さえ知らなかった『生みの母』の臨終の知らせ。
その女性の最期の願いは「ひと目でいい、手放してしまった我が子に会いたい」だったと言う。
「動揺の中、本家の両親と共に駆け付けたよ。だが、結局――生みの母の死に目には……あえなかった」
静かに語る祖父の瞳が、複雑な色を宿した。
「儂は何も知らず、
祖父は、そこで言葉を詰まらせ、目を閉じると深く息を吐く。
「いや……年寄りの思い出語りはここまでだ。ここからは、感傷的にする話ではない」
祖父は再度息を吐き出し、深呼吸をすると、その表情を変える。
「貴志――お前が儂と千尋の実子ではないと気づいてから、月ヶ瀬の跡を継ぐのは自分ではなく、美沙子が
若かりし頃の祖父は、悩み、そして己の出自についての真実を弟に伝えたようだ。
そして、月ヶ瀬を率いるのは正幸の役目だと身を引き、自らは補佐にまわることを宣言した。
正幸は当時、音楽の道に進むか否か――その選択をしている最中だった。
けれど、兄の苦しみと自分の存在意義について悩み、彼は二足の
企業経営と音楽――両方の道を進む……茨の道だ。
正幸は、米国の大学に進学する道を選択した。
大学同士が提携しあう総合大学と音楽大学二校同時に通うプログラムで、二専攻をメジャーにして大学院課程までを修了。
その後は、月ヶ瀬の仕事をこなしつつ、音楽家としても一線で活躍する技術を磨きつづけ、経営者としても頭角を現す――それは、どれほど過酷な生活だったのだろう。
「正幸は、自分が事業に関わることを決めた時、儂に『約束』を取り付けたんだ。それは『二人が実の兄弟ではないと言う話は、金輪際、お互い口にしない』――それが、正幸が経営に携わるため、あいつが儂に提示した条件だった。
正幸とのその『約束』以来、この話は、妻である千尋にも、他の誰にも……話したことはない」
その大切な弟との誓いを、今になって反故にすると決めた理由は何なのだろう。
祖父の思惑が分からない。
――何故、今?
彼はこの話を、貴志に語っているのだろう?
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