第183話 【真珠】『貴き志』
貴志が頭を抱えたまま溜め息をついた後、真剣な眼差しになり、今度はわたしの瞳を見つめ返す。
わたしは反射的にピンッと背筋を伸ばして、話を聞く態勢を整えた。
「真珠……お前、今夜話があると言っていただろう。俺もいくつか話しておかなくてはならないことができた。夕方の会議出席後、時間をとる。俺はこの後、エルと出掛ける用事ができたから、部屋で昼寝をしていても良いが……どうする?」
エルとお出掛けとな⁉
本当に、いつの間に二人で仲良しこよしになったのだろう。
「車で出掛けるの?」
昼寝はたっぷりしているが、自分の体力に自信がないため、まずは移動手段を確認する。
「いや、エルが台風の最中の地下鉄運行状況を知りたいというので、有楽町線で一度池袋まで出る予定だ。
八年後を目処に月ヶ瀬が竣工させるアルサラーム地下鉄構想の立案者が
そう言えば、エルは様々な公共事業で国民生活を底上げした英雄だったと、『この音』のラシードが語っていた。
たしか最たる物は、地下鉄を含めた地下都市を作り上げた事業だった筈だ。
その一大プロジェクトに月ヶ瀬グループが関わっていたのか。
地下鉄の名称は忘れてしまったが、たしかアルサラームの古語で『
そこまで思い出したところで、わたしはハッと息を呑んだ。『貴き志』──
「貴志……、だ」
心臓がドクリと跳ね、胸元から熱いものが込み上げてくる。
不覚にも目頭が熱くなった。
「どうした? 真珠?」
彼の名前を口にしてから動かなくなったわたしを心配したのか、貴志がわたしに問いかける。
わたしは自分の頭を左右に小さく振ることしかできない。
喉元に、苦しいような悲しいような、何とも表現しようのない物寂しい痛みが生まれ、上手く声が出せないのだ。
息を深く吸い込み、震える声で、わたしは必死に言葉を紡いだ。
「エルにとって貴志は、小さい頃から本当に……『大切な友人』だったんだね」
涙声になりながら、そう伝えるのが精一杯だった。
『この音』の中でエルは、貴志と再会することなく、その人生に幕を閉じたのだろう。
二度と会うことのない『友情の祝福』を与えた唯一無二の友を想いながら。
ああ、今やっと──
エルの言っていた『嫉妬』の意味が、本当の意味で理解できた気がする。
…
「貴志、そろそろ『音色捧げ』を始めたいが、まだ取り込み中か?」
エルの声が届き、二人揃ってそちらを振り向く。
そこには、シェ・ラ・シエル=アルサラーム第三王子殿下──アルサラーム神教の教皇聖下が、穏やかな微笑みを浮かべて立っていた。
出会いの印象こそは最悪に近かったが、彼はとても篤い心を持った人物なのだろう。
先入観だけで、苦手意識を持ってしまったが、今やっと、エルの本質が見えた気がした。
「我が女神、先程は愚弟が失礼を致しました。まだ、お苦しいようですが……もう暫し休まれますか?」
この瞳に溜まった涙を目にしたエルが、心配そうな表情になる。
わたしは満面の笑顔で「大丈夫」と、エルに答えた。
目を細めた時に、涙が溢れてしまったけれど、それは貴志が拭ってくれた。
まだ、エルがわたしに与えた『祝福』の儀式が残っている。
シェ・ラに奉納することが第一の目的だが、わたしのための演奏でもある。
集中しなくては失礼にあたる。
「わたしはもう大丈夫。それよりも、エルの演奏が聴きたい」
身を乗り出して伝えると、エルは恭しく伺いを立てる。
「我が女神──ご希望の曲などは、ございますか?」
エルは右手を胸に当て、わたしからの返答を待っている。
「ラヴェルを」
わたしは、その問いに迷いなく答えを出した。
エルは驚きに目を見張ったようだが、すぐに我に返ると口を開く。
「何故、ラヴェルを望むのか……理由は聞きません。けれど、貴女は私の今までの苦悩すべてを……やはり、お見通しということ……」
自嘲の笑みを洩らす彼は、そのまま言を継ぐ。
「『あの曲』を弾けと……そう仰るのですね」
わたしは静かに頷いた。
あの曲──『この音』にて、ラシードが『主人公』に心を開いた場面で、過去への償いを吐露しながら弾いた曲。
兄であるエルに思いを馳せて奏でた──ほのかな憂いを帯びた、優美で繊細なピアノ独奏曲だ。
『亡き兄』が好んで弾いていたと『ラシード』が語ったラヴェルの調べ──邦題は『亡き王女の為のパヴァーヌ』
わたしは聴きたい。
彼の想いに彩られたこの曲を。
エルの本当の心は、『パヴァーヌ』の中に息づいている予感がする。
「我が女神の仰せのままに」
エルはわたしの手を取ると、その甲に
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