第83話 【番外編・真珠】ルーシーと咲子と『貴志クンを囲む会』 後編


 『守り隊』の皆さんが解散した後、咲さんがわたしを抱き上げながら嬉しそうに笑った。


「真珠さん、とても楽しい時間になりましたわ。『守り隊』一同、貴志さまと直接お話をできる時間をいただけて本当に感謝しております。またいつか、お会いできる日を楽しみにしておりますわ」


 そう言って、わたしの唇の真横に彼女が口づけを落とそうとしたその瞬間――


 貴志の掌が、咲さんとわたしの間の隙間を埋めた。




サク―――そこまでだ。悪ふざけが過ぎる」




 貴志が、低い声でそう告げる。

 咲お姉さまに対して、静かな怒りを湛えているようだ。


 彼はわたしに、その両腕を差し出す。


「真珠、こっちに来い」


 戸惑いながら貴志の腕と、咲お姉さまを交互に見る。


「あらあら、怖い。心配なさらなくても大丈夫――なにも貴志さんから、お姫さまを奪おうなんて考えておりませんわ。では、真珠さん、こちらに唇を寄せてくださいませ。今日の記念に」


 そう言って、咲さんは自分の右頬に人差し指をトントンと置く。


「咲っ いい加減にしろ!」


 貴志が完全なるお怒りモードを発動させた。


 ど……どうしよう。

 どうしたらいい?


 わたしはお姉さまに記念のキッスをするべきなのか、否か。


 貴志と咲さんの顔を、何度も何度も見比べる。


 咲さんは穏やかな笑顔だ。

 対して、貴志は噴然とした表情を秀麗な面にあらわしている。


 理香を見る。

 少し苦い顔をしながら、うんうんと頷いている。


 これは、咲さんのほっぺにチュッとしろという合図なのか?

 それとも貴志に従えということなのか?


 まったくわからんぞ、理香よ。


 でも、貴志に対して目を逸らす等の態度の悪さが続いていたこともあり、これ以上彼の機嫌を悪くさせるのは得策でないことだけは、わたしにでも分かる。それは絶対に避けなければならない。


「咲お姉さま、申し訳ありません。皆さんの前では恥ずかしいので、またの機会に……」


 謝意を示すと、彼女はわたしの唇に人差し指でそっと触れた。


「本当に可愛らしい。では、またの機会に」


 咲さんは、その相好を崩す――まるで貴婦人の微笑みだ。


 その表情にうっとりしていると、彼女はわたしの頭頂部にそっと唇で触れ、その後、わたしを貴志の腕に預けた。


 ホッとした様子でわたしを抱きとめた貴志に、何故かかなり強く抱きしめられる。


「貴志?」


 貴志が何故こんなに安堵しているのか分からず、わたしはその瞳をジッと見つめた。


 眼差しが交わる。


 ――目は逸らさなかった。



 貴志が、その冷たい手をわたしの頬に当てる。


「ああ、やっと真っ直ぐ俺の目を見たな」


 彼はそう言って、双眸を細めた。

 やすらぎを覚える、とても穏やかな微笑みだ。



 咲さんは、貴志のその様子を嬉しそうに眺めている。

 彼女は、きっと貴志のことをとても大切な友と思っているのだろう―――そんな想いの伝わる微笑みを、口元に刷かせている。



 彼女のそんな様子をうかがっていたわたしは「見つけた」――と思った。



 わたしの周りに初めてまともな大人女子が現れたのだ。

 少しずつ距離をつめさせていただき、今後悩みは彼女に相談しよう。


 まともな大人女子をゲットだぜ!――と、わたしの心は歓喜に打ち震えた。



 その瞬間―――咲さんが、わたしを抱き上げる貴志にガバッと抱きついてきた。



 今のわたしは、背の高い貴志と咲さんに挟まれたサンドイッチの具状態だ。


 ものすごい力で、とても苦しい。


「貴志さん、いいえ――貴志。お前には本当に恩義を感じているんだ。お前だけは俺の仕事を―― 一度たりとも馬鹿にせずにいてくれた。それがどれだけ僕を救ってくれたか……、本当に感謝してもしきれない」


(へ? 咲お姉……さま?)


 いま、俺って言ったよね?

 喋り方、急に変わったよね?

 仕事ってなんだ?


 わたしは、何が起きたのか分からず、サンドイッチにもされているので身動きがまったくとれない。


「咲、離れろ。真珠にも気安く触るな。俺に、男と抱き合うような趣味はない」


 貴志は冷たく言い放った。


「いや、それは俺もないから安心しろ。これは感謝の気持ちだ」


 咲さんが、笑いながらそう言う。


 ちょっと待て――え? え? え?



 咲さんは男の



 そういえば晴夏が不思議そうに彼女――いや、彼を見ていた気がする。


 晴夏を見ると、ナルホド合点がいったという表情をしている。


「ああ、お姫さま。ごめんね。騙すつもりはなかったんだよ。俺はね、歌舞伎の――舞台役者なんだ。女形おやまを演じることが多かったから、それを同級生から馬鹿にされることが多かったんだ。でも、こいつだけは――貴志だけは、俺のことを認めてくれていた。それがどれほど心強かったか……」


 ――待って!


 いまサラッと彼女は――いや、彼は、とんでもないことを言い放った。


 じゃあ、わたしは、女の子同士でケーキの食べさせあいをしているつもりでいたけれど、知らなかったとはいえ、男性とあんなことをしていたってことなのか!?


 駄目だ、頭が回らない――


 咲お姉さまと繰り広げたアレコレが脳内を巡る。


 もうどうして良いのか完全に分からなくなった。

 固まった身体と表情で、わたしは茫然と呟く。



「る……ルーシーさんに相談しないと……」


 もう何も――瞬くことさえ……できなかった。



          …




 頭の中は、強風が吹きすさんでいる。


 それは、貴志も唖然とするだろう――男性とあんな、あんな、食べさせあいっこをしていたとは。


 高荷咲子―――本名、高荷咲也サクヤ 21歳。


 歌舞伎界のホープ。名跡――芸名は六代目市川綾之丞あやのじょう。屋号は維駒いこま屋。江戸時代から続く家門で、梨園の上層に位置する家柄の次男坊。


 子供時代に襲名し、舞台にて活躍。

 『綾サマ』と呼ばれ、女形を演じさせたら若手では当代随一といわれる売れっ子役者。「女武道」に「色悪」から「つっころばし」演技にも定評がある……らしい。



 彼は子役としても顔が売れていたため、毎年避暑に訪れるこの地では演技の勉強を兼ねて女性の恰好をして過ごしていたようだ。



 本物の女性らしさを求め実地訓練とは、根っからの役者魂に恐れ入るばかりだ。



 中学生の頃、まわりの悪ガキ達から「女男」と囃し立てられることが多く、誇りを持って舞台に立っていた故に非常に悔しい思いをしていたが、貴志だけはそれを「お前らは子供か」と撃退してくれていたようだ。


 貴志は、そんな境遇の咲也の心の拠り所になっていたらしい。


 貴志が転校した後は、自分の手でその悪ガキ達をやり込めるまでに成長したが、星川リゾートで再会した貴志は以前の様子とはまったく違い、心を閉ざしがちな状態―――そんな彼を目にして心を痛めていたようだ。


 貴志が心配で、避暑のたびに彼を見守るうちに、貴志のファンたちに「お姉さま」と崇め奉られ『守り隊』の隊長になってしまった――そんな事を説明された気がする。


 貴志にはかなりの恩義を感じていたので「それも一興」と、女性をまとめる役を買っていたようだ。

 そこには打算もあった。つまり、どこまで自分の女性としての演技が通用するのか――それを試す良い場になったと、語っていた。


 女性を纏めることで、彼女達の心理がわかるようになり、役作りの上でもおおいに役に立った――と、ソファにふんぞり返って足を組み、歓笑する。


 咲お姉さまのような嫋やかな風情は全く見られない、凄みのある笑顔がまるで二重人格のようで怖かった。



 いや、二重人格どころではないのだろう。

 彼は役者だ。

 数多の人格の仮面を被って、人に夢を見せるのが仕事。そう思わせることができるのだから、本物の――魂からの役者なのだろう。


 こんな人がいるなんて知らなかった。

 しかも、ゲームの『この音』にはいっさい登場しない。


 わたしは口から魂を半分出しながら、貴志に抱きかかえられるようにして別棟林立エリアへと向かう。



          …




 理香が不思議そうに訊いてくる。


「ところで、真珠。ルーシーさんって誰なのよ?」


 貴志も、同じ質問を投げかける。


「フロントで宿泊客リストを確認したが、そんな名前の客は滞在していなかった」


 わたしはその科白に愕然とした。


(かの有名なルーシーさんを知らないだと!?)


「ルーシーさんは、エチオピア語ではディンキネシュさんとも言うんだよ。本当に知らないの?」



 貴志と理香は仲良く――


「誰だそれは?」

「なによそれ。誰よ?」


 ――そう言っていた。



 晴夏も、不思議そうな顔をしている。



 穂高兄さまだけが分かってくれたようで――



「ああ、それって、あれかな。アウストラロピテクスのルーシーのこと? 一時期、人類の母って言われていた」



 ――と、理解してくれた。



「お兄さまっ そうです! そのルーシーさんです!」



 わたしは感動のあまり、兄にガバッと近寄った。


 貴志はわたしが急に動いたのでバランスを崩しそうになって「いきなり暴れるな」と文句を言っている。


「知ってます……よ、ね?」


 貴志も理香も、晴夏も知らない状況に、かなり自信をなくしながら兄に訊いてみる。



「いや……普通は知らないと思うけど……。僕は科博に行った後、ウェブサイトを全部読んだから知っているだけなんだ……」



 科博――あそこは、地球史、人類史の宝庫。

 いわば悠久の浪漫の玉手箱――わたしの知的好奇心及び探究心をくすぐる場所だ。


 けれど、それが万人に対しての常識ではなかったとは!?


 ――衝撃だ。


 科博に展示されていた内容を、椎葉姉弟はほぼ網羅している。

 両親にのせられた感はあるが、競争するように覚えたのだ。


(そうなのか!? わたしと尊が、おかしいお子様だったのか?)



 ルーシーさんは、一時期「人類の最初の祖先」とまで言われたアファール猿人――アウストラロピテクスだ。


 現在はラミダス猿人のアルディさんにその座を奪われてしまったが、わたしの中では、今も彼女の印象の方が強い。


 「種の保存」からくる破廉恥妄想を相談するには、その昔「人類の母」とまで言われたルーシーさんに話を聞いてもらうのがベストだと思ったのだ。


 来週のどこかで訪れる予定の国立科学博物館――そこに展示されている彼女のレプリカに、話をして心を落ち着けようと思っていた。


 そして、わたしの頭の中は、そんなアホな計画を遂行しなければと真剣に悩むくらいには切迫した状況にあったのだ。


「来週、科博に行くから――『生命に課せられた壮大な役割についての悩み』を彼女に聞いてもらおうと思っていただけ……です。で、話すためには自分の気持ちを纏めないといけないので、なにをどうすべきかTO DOリストを作って、整理しようと思っていたん……です―――ねえ! なんでみんなしてそんな目で見るの?」


 わたしが話しをすればするほど、貴志と理香、それに晴夏は唖然とした表情になってくる。彼らが奇妙なものを見る目でわたしを凝視している。瞬きさえしてくれず、大変いたたまれない気分になる。

 


 わたしが悲しみに打ちひしがれていたところ、貴志が突然笑いだした。


「本当にお前は、突拍子もないことばかり次々とよく思いつくな。呆れるのを通り越して感心する」


 理香は「科博か、懐かしいわね」と言っている。


 晴夏は、不思議そうな顔をしている。国立科学博物館に行ったことがないのかもしれない。


 そして兄は、目を細めてわたしのことを見守っていた。






 理香が時計を確認した。


「やだ、もうこんな時間。真珠、晴夏、あなた達は1時間昼寝をして、そうしたら練習再開するわよ。わたしもその間に伴奏を仕上げておくから」


 そうして、晴夏は紅子のいる別棟へ、わたしは理香の棟へ昼寝の為に向かった。



          …



 その日の夜、貴志に『星川』まで送り届けてもらった時に、お隣の『天ノ原』の扉が開いた。


 ――高荷咲也だ。


 化粧もカツラも女装も外し、シャツにスラックスというラフなスタイルだ。


 涼しげな目元が印象的な、スッキリとした顔立ちの美青年――昼間、白猫ラブちゃんと一緒に写っていたあの写真の素敵な男性、あれが咲也本人だったようだ。



 彼はこれから『天球』の酒処『アンドロメダ』というバーへ繰り出すとのこと。


 咲也に「一緒にどうだ?」と誘われた貴志は、時刻を確認し、少し付き合うことにしたようだ。


 『チェロ王子』と『六代目綾サマ』――全く異なるタイプの男前二人衆。


 その二人が酒を酌み交わし、旧交を温める写真がSNS上を賑わせたのは、その日の夜半過ぎのこと。


 もう暫くの間は、『チェロ王子』ネタが巷間を飛び交うことになりそうだ。



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