第7話 月ヶ瀬穂高 2

「穂高、大丈夫か? 疲れたな? 起きられるか?」


 病院の廊下――待合室の長椅子に座り込んだ僕は、真珠のバイオリンケースを抱えたまま、いつの間にか眠っていたみたいだ。

 声がした方を見ると、お祖父さまが僕の顔を覗き込んでいた。


「今、榊原さかきばらが迎えに来るから、一旦家に戻って休め。真珠にはしばらわしが付いているから。」


 窓の外を見ると日が傾き始めていた。

 救急車で救命センターに運び込まれたのは正午過ぎだったから、もうかなりの時間が経っている。


「真珠は? 真珠はどうなってるの? もう大丈夫なの?」


 心配になって、お祖父さまの目を真っ直ぐ見詰める。


「まだ……目を覚ましとらん。なぁに、そんなに心配しなくても大丈夫だ。もうすぐ、誠一君も来るはずだ。」


 お父さん…これから来るのか。

 きっと直ぐにでも駆け付けたかったに違いない。


 月ヶ瀬のグループ会社を任されている責任もあり、どうしても外せない仕事というのがあるのかもしれない。


「はい……、分かり……ました。一度、家に戻ります。でも! でも……また、来ます」


 そう言ったところで、横から声がかかった。


「会長、お車の準備が整ったようです。榊原から病院の玄関前に到着したと連絡が入りました」


 お祖父さまの秘書さんだった。


「わたくしが穂高さまを榊原の元まで送り届けますので、どうぞ病室へお戻りください。美沙子さまが……」


 秘書さんが何か言いかけたところで、お祖父さまが手で制した。お祖父さまは秘書さんに僕を車まで送るよう告げた後、真珠のいる救命室へと向かっていった。


 秘書さんと一緒に病院の表玄関まで行くと、運転手の榊原さんが待っていてくれた。


「穂高坊っちゃん、お疲れになったでしょう。座席で眠ってしまっても大丈夫ですよ。いつもより、更に安全運転で帰りますから。」


 榊原さんは、そう言って気遣わしげにドアを開けてくれた。


 榊原さんはお祖父さまよりは若くて、お父さんよりは年上の背のあまり高くないおじさんだ。


 知っている人の優しい笑顔を見て、僕はなんだかホッとして、少しだけ涙がにじんでしまった。


「ありがとう……ございます……」


 榊原さんと、秘書さんにお礼を言って、僕は車に乗り込んだ。

そのまま、車の中で眠ってしまったようで、気づいたら自宅のベッドでの上で寝ていた。


 榊原さんが僕を運んでくれたのかもしれない。

 あとで忘れずにお礼を言わなくちゃ。


          …


 真珠が倒れた日の翌日、僕はお祖母さまと一緒に病院に持っていく物の準備を手伝った。昨夜ゆうべは、お父さんも美沙子さんも、お祖父さまも帰ってこなかったから、皆が必要としているだろう物を鞄にしまっていく。


 お祖母さまが木嶋さんと朝食の準備をしている時に、真珠が救急治療室から出て、救命センター内の病室に移ったことを教えてくれた。でも、まだ意識は戻っていないらしい。


 榊原さんの運転で、病院に向かう。

 昨日、僕を部屋まで運んでくれたのは、やっぱり榊原さんだった。きちんとお礼を伝えることができて良かった。


 お祖母さまが「真珠が目が覚めたときに何もないと味気無いわね」と言って、病院の売店でお花を買っていくことになった。


 僕は、どうしても早く病室に行きたかった。歩いていた看護士さんに真珠の病室を聞くと、すぐ近くだと分かったので、お祖母さまには申し訳なかったけれど、先に真珠のところに行かせてもらうことにした。


 病室の前で、ドアをノックした。

 暫く経っても返事がない。


(誰もいないのかな?)


 不思議に思った僕は、少しだけ扉を開けて中を覗いた。

 扉の奥には更に中扉があった。


「お邪魔します」と呟いて、中扉の前まで進む。


 すると、お父さんと美沙子さんの言い争う声が、僕の耳に届いてきた。




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