第三話 【開戦の烽火】




 魔王軍の船を捉えてから一日が経過した現在、葵たちは昨日の夜の報告を受けた時よりも数キロだけ前線へ移動し、そこへ司令部を設立した。

 作戦指揮を行う中枢であり、怪我人の治療なども受け持つかなめとなる場所だ。

 そこには雨風を凌げる程度のテントが沢山張られている。


 その一棟の中で、各国の軍の代表と副代表、召喚者からの代表が集められた。

 連合国から二名。

 王国と帝国と神聖国、そして召喚者から三名。

 共和国から四名。

 公国からは五名。

 計二十三名が大きい机の上に敷かれた地図を眺め、真剣な面持ちでその場に立ち会っている。


「魔人たちとの接敵は、斥候の情報から考えて早くとも明日にでも姿を見せると思われます。その前に、この地点にある丘陵で奇襲を仕掛けます」


 地図の一点を指さし、誕生日席にいるラティーフはいつも通りのラフな格好で、しかしいつもとは真反対の丁寧語を使い、その場にいる全員に届く声で言い放つ。

 人間の中で一番実力のあるのは帝国の王だが、他国からの信頼度や人を纏める実力を加味するとラティーフに軍配が上がるので、この会議においての纏め役はラティーフが行っている。


「その攻撃役はこちらの葵に行ってもらいます。いつこの地点に魔人たちが姿を見せるかわからない為、葵は常に斥候から情報を貰っていてくれ。魔力は魔力供給の魔術陣で補う為、魔術師が役に立たなくなることを懸念し、回復部隊の半数と召喚者の数名から魔力を徴収します」


 ラティーフから見て左側面にいる葵の方を見て、決まった作戦を端的に話す。

 それに不満を漏らすものは誰もいなかった。

 自由奔放で有名な帝王すらも、その決定に無言で頷いている。

 予め決まっていたから、というのが大きいだろう。


「その攻撃は綾乃でなければ無理なのですか?」

「その通りだ、龍」


 葵の左隣にいる龍之介が心配そうな顔でラティーフに問いかけ、それに最近ようやく見慣れ始めた真剣な表情のラティーフが肯定する。

 おそらく、龍之介が不安に思っているのは葵のことだろう。

 いくら葵が他の召喚者と仲が悪く、自由気儘に動いているとはいえ、龍之介からしたら大切な生徒であることに変わりはない。

 そういう部分が教師として人気を誇っている所以でもある。


「そもそもこれは葵が言い出したこと。俺たちはその作戦が最善だと考え、乗っかった。説得したいのなら俺ではなく葵にな」


 ラティーフの言葉に驚いた表情を見せる。

 龍之介だけでなく、隣にいる翔も似たような表情になっているから、なんだか面白く感じる。


「綾乃……本当なのか?」

「はい。でも先生が心配しているようなことにはなりませんよ」

「? どうしてだ?」


 葵の言葉に龍之介は頭上に疑問符を浮かべる。

 この場で答えてもいいのだが、もし開戦前に魔人の斥候がこの会議を聞いていたら対策をされかねない。

 こんな場所に魔人族が来ているとは思えないが、念には念を入れておきたい。


「あとで教えます。それよりラティさん。続きを」

「わかった。葵の一撃の後、俺たちは基本スリーマンセルを崩さずに魔人と対面する。また、これまでの情報から魔人たちは魔物を使役する術を持っていてもおかしくない為、それも警戒すること。これは開戦前に各軍へ伝達しておいてくれ」


 ラティーフがそれぞれの団長たちを見回し、全員が頷くのを確認する。

 じゃあ次だ、と地図に乗せた指をスライドさせ、最初に差した丘陵から離れた平地を差す。


「最初はここに治療部隊を置きます。マルセラ様以下、聖歌隊はこの地点より少し前線寄りに配置し、治療部隊の守護と前線への支援をお願いします」

「承知しました」


 ラティーフから見て右隣の側面でテーブル上の同じ地図を眺めている、神聖国の最上位の身分である教皇マルセラにラティーフが指示を出す。

 帝王と同じで、一国を治める長が自ら戦場へと赴いている珍しい例だ。

 と言っても、神聖国の聖典には「力を持つべきものはそれを行使する義務がある」という言葉があるらしいので、それに従っているだけなのだろう。

 初代勇者の件を身近に感じていた時と同じような空気を感じるが、それよりは大分と柔らかな雰囲気を感じる。

 単にマルセラの持つ雰囲気がそう感じさせるだけかもしれない。


 白を基調とした祭服を見事に着こなしたマルセラは、ラティーフからの申し出を快く了承し、魅惑的な笑みを浮かべる。

 これが大事な会議でなければ勘違いする人が出てきてもおかしくないような妖艶さだ。


「それ以外の戦闘を行わない、あるいは行えない人員は、ここと前線の指揮伝達を行う役目を担ってもらいます」


 ここで言うところの人員とは、自身の戦闘力に自信を持てなかった、あるいは戦く覚悟が決められなかった召喚者、あるいは戦力として役に立たないと自覚し、しかし人の世の為に何かしたいと大戦に参加を希望してくれた一般志願の人員のことだ。

 彼らへの伝達は、あとでラティーフが纏めてやってくれるので心配はしなくていいだろう。


「葵は最初の一撃ののち、ソフィアからの情報を頼りにし、幹部クラスが出たらそちらに対処できるよう遊撃に回ってくれ」

「わかりました」

「龍や翔たちは、事前に話したペアを崩さずに敵対してくれ。特に日菜子は必ず守ってくれ。日菜子の魔術は大局を左右できるくらいの影響力を持つからな」

「はい!」


 ラティーフはパレードの時に来ていた服と同じ服装の龍之介や翔へと告げた。

 それに龍之介はしっかりと頷き、翔ははっきりと返事をする。

 日菜子は大規模な魔術をポンポン扱えるわけではないが、精密な魔術を多数展開できると言う意味でかなり有用だ。

 下手に大きな魔術を狙うより、小さな魔術を積み重ねられる方が相手からするといやだったりするものだ。


「あとは、まぁ作戦とも言えないが、各々の判断で動いてください。最終目標は大戦の勝利だが、その前に自分の命を守ることを優先して欲しい。一人の命が多くの命を救う場合だってある」


 ラティーフが全員を見回しそう告げる。

 蒼穹の瞳で見据えられ、その真剣さを再確認する。

 嘘でも詭弁でもなく、ただ事実としてそれがあると言うことを理解させられた。


「話は以上です。質問がある人は?」


 ラティーフの問いかけは、テント内の静寂に溶け込む。

 それはつまり、質問がないということだ。

 それを確認し、ラティーフは頷く。


「では解散。それぞれ、今話した情報は伝えておいてください」


 その言葉に全員が頷いて、大戦前の会議は終了した。

 それぞれ、順番などなくテントの外へと歩みを進めていく。

 葵たちもそれに漏れず、スタスタとテントの外に出る。

 会議はほんのわずかな時間で終わったし、時間的に言えば三十分もないくらいだが、外に出た時の空気はとても懐かしく感じた。

 緊張で張りつめていたからそう感じるのだろうか。


「葵様」

「どうしました?」


 葵がテントから出たところで、同じくテントから出てきたソフィアが話しかけてきた。

 いつものドレス姿ではなく、魔導学院の制服に葵たちと同じ国宝クラスのマントを身に着けている。

 ソフィアの可愛さや可憐さよりも、格好良さが前面に出ている。


 そんな決戦衣装とも言うべき服に身を包んだソフィアの雰囲気は、決戦前の告白とかそういうものではない。

 真剣な視線を向けてくる。

 だから、葵も真剣に答える。


「あとで恩寵の確認をさせていただいてもよろしいですか?」

「確認……ああ、なるほど。構いませんよ。いつ――とかは言わない方がいいですかね?」

「そうですね、その方が嬉しいです」

「わかりました。では後で」

「ありがとうございます!」


 ぺこりと丁寧に頭を下げて、ソフィアはタッタッタと走り去っていった。

 彼女の性格から考えると、これから色々なところに挨拶回りに行くのだろうか。

 学院の制服は女子もズボンを穿いているので、いつものドレスよりもだいぶ走りやすそうだ。


「綾乃。さっきの話のこと、詳しく聞いていいか?」


 ソフィアとの会話が終わるのを見計らって、一緒にテントを出た龍之介が話しかけてくる。

 その内容は予想が付いたことだし、何も特別なことはなかったので、予め考えていたことを話す。


「はい。他のみんなも一緒に説明しちゃいたいので、集めてもらっていいですか?」

「わかった。ついてきてくれ」


 葵のお願いに頷いて、龍之介は背を向ける。

 進む先はこの会議に来なかった他の召喚者たちの元だ。

 スタスタと歩みを進める龍之介と追随する翔についていき、ものの一分足らず歩いたところで一つのテントの前に着いた。

 テントの前には召喚者様と書かれた看板が立っており、さながらテレビに出演する人の楽屋のようだ。


「翔は女子たちを呼んできてくれ」

「わかりました」


 龍之介の言葉に頷いて、翔は隣のテントへ向かった。

 ドアという要素がないためノックができないが、テントには備え付けの呼び鈴の役目を果たす鐘があるので、それを鳴らすことで中にいる人を呼ぶ。

 テントくらいなら声を掛ければ一発じゃないか、とも思ったが、このテントに使われている素材が防音布というものなので、声が届きづらいから難しい。

 雷の音や爆発音などは聞こえるから、そこまで戦場に向かないわけでもない。


 一分もしないうちに一つのテントに召喚者の全員が集まり、彼らの視線の先に葵が立っている。

 彼らが向ける視線は今までのような嫌悪や疑念のような負の感情ではなく、純粋な興味を持った視線なのが幸いし、居たたまれない気持ちにならなくて済んでいる。


「では綾乃。さっきの会議での話――綾乃が最初に行う奇襲のことを話してくれ」

「わかりました。ラティーフさんから直接お願いされている方もいると思いますが、知らない人の為に改めて話します――」






 * * * * * * * * * *






 暗かった空が赤みを帯び始め、夜明けが近いことを示す肌寒い明け方。

 沢山のテントが張られた平野を睥睨できる岩肌の剥き出た小高い丘に、一つの人影があった。

 その影は耳が人よりも少し長く、一目で人間ではなく滅多に見かけない種族であることが確認できる。

 シルエットからして女性で、その身に宿す雰囲気は静かなものだった。

 まるで一人を愛し孤独に生きる、とでも言わんばかりに、まだ夜が明けていないと言うのにテントの辺りを忙しなく動き回る人たちを見下ろしている。

 そんな孤高の人影の元に、一人の少年が歩み寄る。


「ここにいたんですか」

「……ああ、葵か」


 ゆっくり振り向いて、その声の存在を確認し、ポツリと呟いて再び平野を見下ろす。

 そこにどんな感情を含んでいるかわからない。

 もしかしたらどんな感情も抱いてない可能性もある。

 とにもかくにもわからないから、とりあえず葵は隣に座る。


 座って、同じように平野に立ち並ぶテントを見下ろす。

 何も言わずに、ただ同じものをボーッと眺めるだけの時間は、あと一日もすれば戦場で戦っているであろう人間の過ごし方とは思えなかった。

 だけど、今も慌ただしく動いているであろう人の流れを見ていると、どこか落ち着けるような気がする。

 その落ち着きは、用いた手段という意味ではあまり褒められたものではなくとも、冷静さを得るという意味ではいいものだろう。

 自分よりも焦っている人間がいると焦りが落ち着くような感覚と似ているのだろうか。


「実は、ナディアさんにお願いがあってきたんですよ」

「お願い?」


 そんな静寂を、葵は自ら壊した。

 ナディアも静寂を求めてこの場に来たわけではないのか、葵の言葉にすぐに反応する。

 不思議そうな顔をしてテントから葵へと視線を転じる。


「はい、お願いです」


 テントからナディアへと視線を転じ、真剣に黄金の瞳を見据える。

 葵が何を言うかわかってもいないだろうに、そんな視線を真正面から受け止めてくれるナディアに感謝を抱きつつ、葵は口を開く。


「俺と一緒に、戦ってくれませんか?」

「……一緒に、というのは、二人でってこと?」

「はい」


 葵のお願いに、ナディアは口元を手で覆うようにして思案するような表情を見せる。

 葵はその間、何も言わずにナディアの答えを待った。

 無言の時間がしばらく流れ、そよ風が優しく髪を撫でたころ、ナディアが顔を上げた。


「理由を聞いても?」

「理由は二つあります。まず一つは、俺が一緒にいて欲しいから。ナディアさんがいてくれれば心強いし、俺じゃ気が付かないことも気づいてくれるかもしれない」

「……次は?」

「…………ナディアさんを一人にすると、死んじゃいそうな気がするから」


 根拠は一切ない。

 本当に、ただそんな気がするからというだけだ。

 理論立てて説明しろと言われてもできない。


「――だから、俺はナディアさんと一緒に戦いたい」


 主観的には我が儘を言っているだけなのだが、傍から見れば告白のように見えるだろうか。

 たとえそうだとしても、今は他人の気持ちよりナディアの答えの方が重要だ。

 だから、瞳に真剣さだけを宿し、真っ直ぐナディアの瞳を見据える。

 ジッと見据える葵の瞳を、ナディアの瞳が見返す。

 ナディアの瞳に映る自分がどんな表情をしているのかも全部わかるが、それでもなお見つめ続ける。


「……わかった。いいよ」


 その見つめ合いに折れたのは、ナディアだった。

 瞳を伏せ、呆れたようにそう告げた。


「ありがとうございます」

「ただ、一つだけ条件」

「何でしょう?」

「今の敬語は距離感じるから嫌」

「な、なるほど? えーっとじゃあ、出会った時みたいなラフな感じがいいですかね?」

「うん。それで」

「わかりました」


 ナディアの返事に頷いて、葵は満足そうな顔で立ち上がる。


「じゃ、大戦が始まる前に呼びに来ます」

「わかった」


 ナディアに背を向け、来た道を戻る。

 ちょっとした丘ではあるが、直線でテントまで戻ろうとするとそこそこ高い壁を下りなければならないので少し迂回する形になる。


『葵様、失礼します』


 スタスタと緩やかな坂を下っている途中で、葵の脳内に聞き覚えのある声が響いた。

 戦場このばに来るまでの一か月、召喚者への“鬼闘法”の鍛錬の合間に並行で行っていたソフィアの恩寵の確認で幾度も体験した不思議な感覚だ。


『ただいま斥候より、魔王軍の先頭部隊が予定のポイントまで一時間の距離に来ていると報告が御座いました。実践での確認となってしまい申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いします』

「――来たか」


 予定していたよりも早い段階での到着に少しだけ驚きつつ、しかしやるべきことははっきりしているので冷静に対処する。


「わかりました」


 ソフィアには聞こえるはずもないが、状況の整理も兼ねてそう返事した。

 状況が状況なので踵を返し、つい今しがたの約束通り、ナディアを呼びに行く。


「ついでに“転移”で送ってもらうか」






 * * * * * * * * * *






 夜が明け、太陽が意気揚々と天へ昇り、大地を暖かく照らしてくれる飯時の時間。

 幾度となく行われた数多の先頭で生命力の化け物と名高い雑草すらも生えなくなった荒野を、百人ほどの人間と少なくともその倍はいるであろう魔物たちが悠々と歩いている。

 尤も、傍から見た時の様子が悠々なだけであり、実際は周囲を隈なく警戒し、いつでも交戦の準備は整えている。

 この戦いで功績を上げることができれば、今まで犯してきた罪を無罪で放免されると言う約束の元集められた犯罪者たちは、誰もがその無罪放免を夢見て借りた魔物とともに邁進する。


「ん? あれなんだ?」


 戦闘を行く一人の男が前方から流れてくる暗雲を見て疑問を呈した。

 自然界においてあれほど早く雲が動くなど、台風でもない限りあり得ないのではないか、というくらいの速さで流れてきている。


「ただの雲だろ。人為的なものなら魔力の痕跡が視えるはずだろ?」

「……確かにな」


 隣にいた男は自身の瞳を指さして言った。

 確かに、魔人である男たちの瞳は魔力が視える。

 それがないならただの雲だろと言われ、疑問を抱いた男は納得せざるを得ない。

 とは言ったものの、負の予感をひしひしと感じさせるその暗雲に警戒を全て解くことはできず、念のため警戒しておく程度に留めておくことにした。


 歩みを止めずにいると、やがてその暗雲が彼らの頭上に差し掛かる。

 未だに警戒を解いていない男はしっかりと瞳でその暗雲を捉え続ける。


 そしてその異変に気が付いた瞬間、耳をつんざく轟音とともに極大の雷が直撃した。



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