43 剣と頭脳①

 真っ暗な空間にカイルは立っていた。軍服を身にまとい、武器はない。足場は見えない。出口も入口も見えない。見えるのは、彼の目の前に立ちはだかる子供だけ。その子供は見覚えのある姿形をしていた。

 ボサボサで所々頭皮が見えている黒髪。顔や腕など服で隠せない所には痣が目立つ。右目は眼帯に覆われ、赤い左目はカイルの事を真っ直ぐに見つめている。左腕はだらりと下がったままで動く気配がない。


「僕には夢がある。名を上げてもう一度へ戻ることだ。そのためには……両足がなくたって強いことを証明しなきゃならない」


 空間の中で響くは声変わりする前の、今より少し高いクラウンの声。


「命を預け、運命を共にするのがデュオだ。意志のない人形マリオネットじゃデュオにならん。それは、ただのソロだ。ソロでは最強になれない」


 初めて会話した日に言われたクラウンの言葉が響く。目の前に立っていた子供は死んだ魚のような目でカイルを見上げていた。その顔に表情はない。よく見ればその右手にはカイルが愛用するファルカタを抱えている。

 ファルカタは刺突、斬撃の双方の用法に適した頑丈な剣である。だが剣の形が変わっているが故に癖がある。軽く湾曲した刀剣であり、半分から三分の二程は片刃、先端は両刃。片刃と両刃を持ち、よくある剣と違って湾曲した剣身のため扱いにくい。

 元はディスガイアでもフェルメールでもなく、アルカナと呼ばれる南の隣国の武器。暗器以外を手にしたのはクラウンに出会ってから、魔法学校の入学を控えるようになってからのこと。武器を選んでくれたのはクラウンだった。


「俺は何のために戦う?」


 ファルカタを抱えた子供が無表情で問いかける。子供に触れようとするが、可能な限り手を伸ばしても僅かに届かない。指先が子供の眼帯を掠める。


「戦い方はわかる。鴉は楽だ。任務で戦うだけでいい。人と何を話せばいいかわからない。ディスガイア語、読めない。聞き取れても上手く話せない」


 子供が話すのはディスガイア語ではなくフェルメール語。フェルメールで育ったカイルは最初、ディスガイア語を知らなかった。ディスガイアに来てから学ぶも満足に話せたことは数える程。ディスガイア語の読み書きも出来ず、声が出なかった時はフェルメール語の筆談でクラウンとの意思疎通を図った。

 今のカイルはディスガイア語を話せるし読み書きも出来る。声だって出せるようになった。クラウン以外の他人と話すことも出来るようになった。戦う事しか知らなかった当時とは違う。


「一度、目の前で人が死んで、悔しかった。もっと強ければ守れたのにって。もう目の前で人が死ぬのを見たくない。大切な人、身近な人は特に。そのために今、戦ってる」

「俺は、何者?」

「……クラウンのデュオ。俺が剣でクラウンは頭脳。俺はクラウンの剣だ。俺が近距離攻撃と魔法発動を、クラウンが遠距離攻撃と思考を。二人で補い合って生きてきた」


 「クラウンの剣」は自分をさげすむ言葉ではなく、クラウンと対等であることを示す言葉。クラウンが思っているような意味ではない。だからこそ、「クラウンの剣」と胸を張って言える。決して自分をクラウンの所有物と思っているわけではない。


「大切な人って、誰?」

「クラウン、司祭様、セージ、ミント、ライム、ツキヤ、アンヤ……これまでに少しでも深く関わったことのある人達」

「戦える? あいつら、化物だ」

「戦えるかじゃない。戦うんだ。守るために戦う。大切な人を、大切な人達が暮らすこのディスガイアを守るために。そうだ、俺……戻らなくちゃ」


 ようやく思い出した。ここは夢。現実に戻らなければ戦うことすら出来ない。けれども右も左も上も下も何もかも真っ暗な空間に出口が見えない。ただカイルと子供が浮いているだけのこの空間からどうしたら出られるのだろうか。


「大切な人って所詮他人だろ。どうして他人のために戦える?」

「……他人だと思ってたよ、目の前で皆が殺されるまで。でも、他人じゃなかった。他人と割りきれないから、こんなにも苦しくて悔しくて、十年経った今でも、一度だって忘れたことがない」


 それはユベラ養護院襲撃事件での苦い記憶。当時のカイルはクラウン以外を助けようとせず、デュランが養護院の子供達を殺すのを黙って見ていた。ようやくデュランの前に立ちはだかっても、クラウンのために院長を犠牲にしてしまった。

 失ってから気付いたのは殺された子供達や修道士、院長への思い。後になってから「どうしてあの時助けなかったのだろう」と後悔ばかりしてしまう。他人だから関係ないと思っていたけれど、そうじゃなかった。


「一緒に話したり行動したりすると、他人は他人じゃなくなっていくんだ。いなくなってほしくない、これからも一緒にいたい、会いたい。他人に命賭ける理由なんて、それで十分だ」

「後悔しない?」

「しない。もう、見殺しにするのは嫌だ。他人だからって無視して、後で苦しい思いするのは……もう、嫌なんだよ!」


 今でも瞼に焼き付いている。突然の襲撃者に怯え、逃げ惑う子供達。子供達を守ろうと立ちはだかる修道士。そんな中カイルは、右手でクラウンだけをどうにか背負い、院長室に逃げた。他の子供達や修道士の一部が遅れて院長室にやってくる。

 カイルがクラウンを守るべく院長室を飛び出すとそこには、死体が転がっていた。デュランが鎌を振るう度に血が舞う。他人だったはずの子供達は、修道士達は、カイルが立ち向かっていればまだ生きていたかもしれない。後ろめたさは一度だって消えてくれはしなかった。


「これ、やる」


 幼き日のカイルによく似た子供がファルカタを手渡す。両手で受け取ったファルカタはずしりと重い。それをいつものように腰に身につける。ファルカタを身につけるのを待っていたかのように、子供が一点を指で示す。

 その先には、先程まで見えなかった白い光が見える。真っ暗な空間の中で唯一明るいその光は、やけに眩しく見えた。子供が寂しそうに笑って口を開く。


「出口はあっち」

「ああ」

「もう、迷わないんだな?」

道標クラウンがいる。戦う理由がある。もう大丈夫だ。あの時の俺とは違う」

「気をつけろよ。俺もあんたも、痛みに強い分弱い。次は――」

「言わなくてもわかる。気をつける。だからお前ももう、過去から解放されろ」


 場所がわかればあとは出口に向かって全力で走るだけ。カイルの目に迷いはない。真っ暗な空間に突如現れた光。そこに向かって可能な限り速く足を動かす。幼き日のカイルによく似た子供は真っ暗な空間から人知れず姿を消した。

 白い光の出処に辿り着いたカイルが光に向けて一歩足を踏み出す。その刹那、それまでいた暗闇が眩い光に飲み込まれ、消えた。カイルの視界も真っ白になる。


「カイル、起きろ。いつまで寝ているつもりだ? 僕と共に戦うんだろう?」

「ああ」


 どこからか聞き慣れたデュオの声が聞こえてくる。応じるべく紡がれた声は嗄れていた。

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