敗戦
「いくぞ!!」
小細工は不要だった。
一撃目から頭上に構えた木刀を振り下ろし、折袖がそれを刀身で受ける。同時に“重ね”が来る。綺麗に返された衝撃はまるで重力を失い身体が浮く様な錯覚を生むが、仕組みが分かれば耐えられる。地面を踏みしめ、これを逆手に返された衝撃を全て奪い取る。
「ぬ……」
「やったか!?」
ガクリと膝を落とした折袖の喉元に木刀の切っ先を向ける。
「見事……“重ね”とは成らずも”崩し“といったところか」
「……あぁ、俺に“重ね”は出来ない。あれは相手の力量を見積もる経験値があってこその技だ」
俺が行ったのはその前段階だった。
相手の衝撃を受け流し、体制を崩させるだけの技。
「それを一夜とせずに理解し、試行錯誤する……それは、今までに私がとった弟子が長年できなかった事だ」
どこか悲しげに語る折袖だが、その事情に関心はない。
「……」
むしろ、気がかりはもう一方の違和感だ。
彼の言動がまるで命をかけて望む試合とは思えぬほど軽い事だ。
「……初めから、負ける気だったのか?」
「……気づかれたか。いいや、負ける気はなかった……ただ、私の目的は勝たずとも得られたというだけだ」
「……最悪だな」
俺は、その一言で理解した。
俺には、折袖の事情に自分勝手だと罵る資格は無い。それでも、少ない嫌悪を覚えた。
「セバスちゃん、どういう事?」
「……」
決着を見て俺の背まで近づいた真央が不思議そうに聞く。
俺は彼の事実を語るべきか迷った。心のどこかで彼女にはこの世の中の汚いものから少しでも遠ざけていたい気持ちがあったからだが、命を狙われた真央は当事者。知る権利はあるだろう。
「私の妻の患う病の治療費は莫大だ。そして私は末期の癌患者だと言えば察しはつくか?」
「……勝てば懸賞金、負ければ保険金……」
「そういう事だ」
「そんなの、酷い……」
酷く、醜い話だ。
突然需要を表した“勇者”という職業には法整備が追いついていない。それはTVでも既に問題視されているていどによく知れた事情だが、その際たるものが危険行為でありながら無資格で行える勇者行為とその保険の適用問題であり、折袖はその先駆けと言えた。
「卑劣な行いだという事は百も承知。その上で私が決めたこと……今まで蔑ろにしてしまった妻への償いだ」
折袖はそう言ってやるせなく苦笑した。
怒りは湧かなかった。ただ落胆があった。戦いの中で技術を認めた相手、見せつけられた父の様に大きな背中が突然霧と化す様な落胆。同時に彼への関心が薄れた。その時だった。
「違います!! 私は奥さんにとって酷いと言ってるんです」
「!!?」
真央は怒鳴る様にして言った。
さっきまでの戦いでも動じることなく、木々に居座っていた野鳥たちが飛び立つほどに深く濃い感情が込められた声だった。
「折袖さんがどんな旦那様だったか、私には分かりません。もしかしたらご結婚にも事情はあるかも……でも、それでも好きじゃない人と長く一緒になんていられません。好きじゃない人に償おうなんて思わないはずです!!」
「!! ……むぅ」
驚いた。
真央は、巻き込まれた事に怒っているのではなく、折袖の家庭を慮って怒っていた。命を狙われて尚、ただ折袖とその妻のために怒ったのだった。そして、その声は今までの戦いのどの場面よりも折袖を怯ませていた。
「例え治療が出来ても、その為に頑張った人が悲しんでいたり、いなくなっていたら、その人は……誰に感謝すればいいんですか? 誰に、怒ればいいんですか? 置いていかないであげてください。誰もいないところにいるのは辛い事なんです……」
「……」
目元には涙が滲み、手は強く握られ震えていた。
真央は、折袖とその妻のことを想い、その言葉には真央自身の経験を重ねていたのだろう。そんな本物の言葉だから、それは折袖に届いた。
「忠告、感謝しよう……まるで妻が言いそうな言葉だった。これはやられたものだ」
「……」
折袖は苦笑していた。
さて、ここで終戦、和解という選択肢はあったろうか。
「……」
「……」
少なくても、俺たちにはなかった。
折袖の事情のいくつかが垣間見えたとはいえ、それは彼の事情に過ぎない。俺からすればしばらく拠点になるだろうこの場所の目撃者は1人でも少ないに越した事はない。
今も俺の木刀は折袖の喉元に迫っている。
いくら鍛えても人間である以上、このまま喉を一つ突きすれば、それは致命傷にもなるだろう。それだけに迷いが出た。人を危害する躊躇いは相手が武器を捨てている事で更に増大した。
「……甘い!!」
「なっ……なに!?」
バックステップ/白刃取り/重ね
俺の迷いを見透かした折袖は、その隙をつき後方に半歩距離をとった。
俺は、その動きに対応しようと前に踏み出したがこれが失敗だった。既に突き出した木刀は折袖を追う為に追尾するが、腕の伸びた状態からの前進での接近は遅く、これを容易に掴まれてしまう。それが決め手だった。
折袖が俺の木刀の先端を握った瞬間、地面が反転した。
仕組みを知った以上、気づけたはずの落ち度だ。折袖は、俺の木刀を媒介に“重ね”を放ってみせたのだった。
形勢は逆転、そもそもこの“重ね”は受ければ転倒する性質上、本来は必殺の技だ。
「油断……いや、殺生に覚悟が足りなかったようだな」
「……そこまで、見透かされているのか」
攻勢に転じて忘れかけていた事実を思い出し、背筋が冷えた。
そうだ。この男は俺とは実戦経験が違う明らかに格上の相手だった。今更の危機感、彼がその気なら俺は既に何度も負かされている事実を改めて思い知らされる。相手を仕留める事に迷う。そんな贅沢はそもそも許される立場ではなかったのだ。
「……くそ……」
仰向けに倒された俺と、それを見下ろす折袖。
折袖の手には俺の木刀がある。その気ならば俺も真央も詰んでいる状況だが、どう思考しても打開策がない。
「ここまでだ……私は山を降りる」
「!? なぜだ?」
思ったことがそのまま口をついた。
それをみて折袖が口元を緩めた。
「お前の剣の才能、その続きが見たくなった……それに……」
折袖はそう言って真央に視線を移した。
戦いの中、絶えず放っていた気迫が嘘のような年相応の穏やかな笑みを浮かべて言った。
「君の言葉に妻の面影を見てしまった。今の私ではどうにも君たちを斬る気になれないのだよ」
……
私の持ってきた仕込み刀は置いていく。
強くなれ。お前の決めた道を生き抜ける覚悟を決めろ。
折袖はそう言い残し、俺たちの前から去った。
俺はしばらく倒された姿勢のまま起き上がる事もせずに両腕で顔を覆っていた。
「セバスちゃん……大丈夫?」
「……ごめん。俺、強くなるよ……」
「……」
結果だけ言えば、この初陣は敗戦だった。
命があったのも、真央の説得があってこそで、俺がした何かが折袖を退けた訳でもない。
悔しかった。
どうしようもなく悔しかった。真央を連れ出し、助けたつもりになっていた。でも、結局何もできなかった。覚悟も足りず、危険な目に合わせてしまった。
あらためて強くなると言った俺の声に真央は何も言わなず静かにうなづいた。
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