魔王の従者

 ここにいてはいけないという思いが1番強かった。

 月影真央を連れて世間から姿を隠して生きるという選択肢を願ったが、それが困難なことは俺が1番分かっている。自給自足の困難さは試験体験もあるし、そもそも彼女が俺についてきてくれるとも限らない。ただ、それ以上の選択肢はなくて、俺の気持ちはいつからかそれだけを目指していた。まるで砂場に流された水が決まった目的地へ流れる様な既定路線の結末だ。


 自室に戻り大きな肩掛け鞄を見る。

 そこには食料以外の全てのサバイバルグッズがある。長期的な自給自足を考慮した時、消耗品が嵩張る事は悩ましい問題だ。2リットルの水より水の濾過手段、缶詰より野菜の種が望ましいが、それらで生活を得る為には多量の労力を要し、それらはその日に必要な食料確保や寝床の整備に必要な時間を圧迫する。自給自足と言ってもその生活基盤を確立するまでの潤沢な飲料物や準備が必要なのが現実だ。加えて、ハンドルを回すタイプの発電機とスマートフォン。サバイバルに似つかわしくない存在だが、これらは非常に重宝する。電波の制限はあるが、天候を知るラジオの代わりになり、食用の野草を知る為の図鑑にもなる存在が手のひら大の機器で事足りるのだ。


 保存の効くものを優先して食料を詰めるとその重さはなかなか馬鹿げている。


「鍛えていたのがこんな形で役に立つか……」


 思わず苦笑した。

 荷物はこれで全てではない。数日分の水分と保存の効く缶詰類を加え、紺の羽織に鬼の半面と木刀……『従者』の衣装を手に、俺はかつて拒絶された月影真央の家へと向かった。


 目を凝らせば自室の窓から見える距離。

 それでいて遥かに遠くなってしまった彼女の家を前に息を呑んだ。彼女の気持ちは魔物化した者にしか分からない。


「それは、そうだ……」


 俺は、所詮人ごとだ。

 当たり前だけど、俺の気持ちは魔物化した人の気持ちではない。どうしようもなく好きな人が魔物化した男の気持ちでしかないし、それは変えようがない。だから、これで良い。


 ドアをノックするが反応はない。

 鍵は、開いていた。無用心……或いは、諦めているのだろう。あの頃よく通った真央の家は小綺麗な一軒家だったが、今のそれは空き家にしか見えない。常に塞がれた雨戸、手入れのされていない庭木、塀に書かれた暴言落書きに、壊されたドアノブ。


「……」


 俺は勘違いをしていたのかもしれない。

 何が『魔王の従者』だ。家の周囲を守り、畏怖の喧伝をしていた実、あの頃の俺はここに来る事が怖かった。真央に拒絶されるのが怖くて、それしか出来ないでいた。彼女への悪意を全て防げてもいないのに、している事に安心し、安心しようとして現実を見ていなかった。


「無事……なのか?」


 ふと口をついた。

 脳裏に過ぎったのは真央に悪戯を考えた同級生の顔だった。無事なのか、真央は本当に今もここにいるのか、そもそも生きているのかさえも分からず、静まった家内が焦燥を加速させていく。


「真央……?真央!!」


 思わず声を張り上げた。

 弱さだった。直接踏み入る勇気を持てず、一刻も速く真実を知りたい自分勝手が漏れ出した声だった。


「……!」


 微かな音だった。

 しかし、それは俺に安堵と勇気をくれた。不思議なほどの力を感じ、同時に思い出した。俺を突き動かすのはいつも彼女の、月影真央への気持ちだった。


「真央……だよね?」

「セバスちゃん?……なんで?」

「……」


 真央の声だ。

 暗く閉ざされた家の二階から聞こえた声は、息を潜める様なか細さがあったが、あの頃と変わらない優しい響きがあった。


「私、ひどい事言ったのに……もう来ないでって言ったのに……」

「……」


 複雑な気分だった。

 真央のお母さんから聞いた言葉、どこかで真央の言葉ではないと信じたかったけど、真央に非はない。それくらいあの時の俺は無力だった。それに、その悔しい気持ちがあったから今の俺がある。


「ごめん。でも来た。真央が嫌でも、俺がそうしたかったから来たんだ」

「……ありがとう。でも……」

「俺は、真央とここを出る為に来たんだ」

「!! それは、無理だよ」


 強い拒絶。

 ありがたい事に、口では拒みつつも俺の話を聞いてくれていた真央がそれを閉ざそうとしたのが分かった。それほど、外は真央にとって酷い場所なんだろう。それほど酷い場所になるまで、俺は彼女をここにいさせてしまったのだ。


 でも、それくらい分かっていた事だ。

 俺が階段を上がり真央に近づこうとすると、ドアが閉まった。真央が部屋に閉じこもったのだろう。


「……ごめん、開けるよ」

「いや!! 嫌だよ!! セバスちゃん……なんでこんなこと!!」

「……」


 嫌がる彼女に無理に迫る。

 躊躇がないといえば、嘘だ。それでも、止まる気はない。腰に差した木刀に触れる。俺が守るべきは真央の意識じゃなくて、真央の心だ。その為にはここにいてはいけない事を俺はもう経験している。


「……ごめんっ!!」

「あっ!! ……」


 力を込めるとドアは簡単に開いた。

 拒絶が弱かったわけじゃない。ずっと引きこもっていた真央には力がないのだ。開いたドアと一緒にふわりと倒れ込んだ彼女に近づく。


「セバスちゃん……え!? その顔!!」

「ごめん……でも、俺はこれ以上後悔したくないんだ」


 そっと抱き起こした彼女と目が合い、彼女が強張る。

 気恥ずかしいものだが、これが俺の決意だった。


「俺は、今も魔物化被害者の気持ちは分からないよ。でも、分かる努力は辞めたくないんだ」


 紫の羽織に鬼の半面と木刀、まるで厨二病かコスプレの様な姿だ。

 滑稽な姿だがこれが『魔王の従者』、自ら人を捨て、魔物を嘯いて魔王の側近となる事を決めた俺の姿に相応しい。


「馬鹿だよ……セバスちゃんは昔から……」


 そんな事、わかっている。


「真央だって変わらないよ。真央は昔から変わらない美人のままだ」

「バカだよ……んっ!!」


 我ながら勢いに任せた、強引で、格好の悪いキスだ。

 だがもう、言葉はもういらない。伝えきれていないのは想いだけだから、それ以外に出来ることはなかった。抱き寄せた肩も、触れる唇も全てが柔らかい。腕に力を入れて強く干渉していなければ溶けて消えてしまうのかと思うぐらいに小さく、弱々しい彼女を離さないこと、ただそれだけが心を占めていた。


 



 


 

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