デカラバ!

もりひろ

デカラバ!

奇人変人



 その声はどこからともなく飛んできた。

 バイトを終え、帰路である長い石段を上っているときだった。

 夜の九時。すでに辺りは真っ暗だ。

 閑静な住宅街には似つかわしくない、ドスの利いた男の声だった。


「止まれ。止まらんとうつぞ!」


 ぴたりと足を止め、俺は振り返った。野球帽に黒のジャンパー姿の男が猛然と石段を駆け上がってくる。

 その手には、ナイフ。

 一瞬で俺の体は固まった。


「来るな。……それ以上近づいたら、こいつの命はねえぞ!」


 突然のできごとに俺はなすすべなく、簡単に人質とされた。

 そこへ、べつの男がやってきた。一段一段を踏みしめるように、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。

 その男は拳銃を構えていた。


「おい。いいか、よく考えろ」


 拳銃を構えている男が言った。

 私服警官かとも思えるけど、拳銃を持っているやつが正義の味方かというと、必ずしもそうではない。

 ヤクザな世界が、俺の頭の中で勝手にドンパチを始めた。


「そんなやつをヤったところで、お前になんの得がある? そんなやつ一人ぐらい、なんて、お前は思っているだろうが、そんなやつでも──」


 俺の後ろのやつを落ち着かせるためなのか、拳銃の男が空いてるほうの手を出した。やめろと口の動きだけで言う。

「そんなやつ」連呼が引っかかったけれど、この状況じゃあ、的確なツッコみも挟まれない。

 すると、ナイフの男が急に俺を放した。一目散に石段を駆け上がっていく。

 その次の瞬間、上に向かっていたはずの背中がひるがえった。男はよろけながら何段か踏み外し、最後には、石段の中央にある手すりにくの字で引っかかった。


「九時十分、現行犯逮捕」


 拳銃から手錠に持ち直した男が、手すりでのびている男を後ろ手にさせる。輪っかをはめると、腕時計を確認していた。


「橘(たちばな)」

「うい。お疲れっす」


 もう一人、男が上からやってきた。

 トレードマークにでもしてるかのような派手なスカジャン。パンパンと手を叩き、石段にあったナイフを拾い上げる。

 そいつと拳銃男の二人がかりでのびてる男を手すりから起こし、正体のない体を引きずるようにして石段を下りていった。

 辺りを見渡せば、見物人がちらほらと集まりだしている。

 残りの石段を慌てて上り、俺はふと振り返った。スカジャンの男がこっちに目をやってからパトカーに乗るところだった。

 デカ……だったのか?

 手錠を持っていたし、そうだとは思う。けど、いまいち納得がいかない。

 そのもやもやは、家に着くころにはむかむかに変わっていた。






 相変わらず、警察からはなんのアクションもなく、数日がたった。

 この町の幹線道路沿いにあるコンビニで、俺はバイトをしている。

 午後一、いつものように商品補充をしていると、客の男が声をかけてきた。


「ねえねえ、店員さん。それ、いくら?」


 俺は棚から目を離し、顔を振り向けた。

 二十代後半ぐらいのでかい男が立っている。

 その男がなんとなく気にくわなくても、お客はお客だ。俺は精いっぱいの笑顔を作った。


「どれですか?」

「きみの素敵な笑顔。プライスレス?」

「は?」


 なにを言ってるんだと、俺が表情に出しても、男はニコニコしたまま。

 気持ち悪い。

 それとなくシカトして、作業を再開させたら、その男は店内にくまなく響き渡るほどの大声を出した。


「店長さーん。おたくんとこのバイト、お客をないがしろにしてますよ」

「はあ?」

「教育がなってないっすよ!」

「ちょ、ちょっと──」


 俺はとっさに巨体を押しやり、外へ出る。

 お客さんの邪魔にならないところまでいって、睨みつけてやった。


「なに。なんなんですか、アナタ。あんまり変なことばっかしてると営業妨害でケーサツに電話するよ?」

「たちばなけんご」

「はい?」

「俺の名前。橘憲吾」


 ──たちばな。

 どこかで聞いた名前だと思った矢先、信じがたいものが目の前に出てきた。

 最初は二つ折りだった黒革の手帳は、開くと上のほうに顔写真、下のほうには記章がついていた。金色の。


「……ケーサツ?」

「このあいだはどうも」

「このあいだ?」


 アナタが警察のヒトだとわかっただけで、いまのこの状況はまったくもってわからない。

 俺がそう顔をしかめていると、橘という刑事さんは、自分の腕で自分の首を締め出した。


「きゃあ! お巡りさん、ぼくを助けて!」

「……」

「きえええ!」


 最後は、跳び蹴りでしめていた。

 お客さんの車がすぐそこにある店先で、派手なアクションはやめてほしい。

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