第10話 雷の精霊

――いま魔獣奉賛士サイーの名の下に、そなたにすべてを与えよう


 すべて? すべてって何だ。俺に何を与えてくれるというのか。


――その眼で受け取りなさい


 やめろ。眼から何かが、何かが入ってくる。眼が閉じられない。やめてくれ。


――ランシャよ


 サイー、あんた俺にいったい何をしたんだ。


――ランシャ


 リン㚴、俺はいったい。



「ランシャ、無事ですか」


「リン姉……」


 違う。リン姉ではない。明け行く赤い空を背に、心配げな顔でのぞき込んでいるのはリーリアだ。その向こうには、遠巻きに怖々こちらを見つめるタルアンの顔も見えた。


「姫……様」


「目が覚めたのですね。良かった」


 リーリアの笑顔を見て、ようやく自分の置かれている状況を理解する。慌てて体を起こそうとするが、重い。体が岩になったかのように重く固かった。ランシャの肩にリーリアの小さく暖かい手が置かれた。


「無理はいけませんよ。もうしばらく横になっていなさい」


 再び寝転んだランシャは、荒い苦しげな息でリーリアにたずねた。


「サイー様は、サイー様はどうなったのです」


「あなた、覚えていないのですか」


 驚いたような顔のリーリア。眼が疼く。両手で顔を押さえるランシャの口から漏れ出す声。


「あれは夢ではなかったのですね」


「サイーは亡くなった、はずです」


 そうだ、サイーの体は光となって消え去ってしまった。ならばあれも、眼の中に何かが侵入してきたあの感覚も事実なのだろうか。


「ああ、事実さ」


 小さいがよく通る声がランシャの耳に聞こえた。周りに居る誰かの声だろう。


「違うんだな、それが」


 まるで自分の心を読んでいるかのような言葉。偶然だろう、とランシャはボンヤリとした頭で考える。


「だから偶然じゃねえってよ」


 ランシャは驚き目を開ける。リーリアはお付きの使用人と何やら言葉を交しているし、タルアンはまだ遠巻きにこちらを眺めている。ドルトは見えるが、荷物運びや飯炊きの姿は見えない。自分に話しかける者は近くには居ないように思える。


「納得したか?」


「誰なんだ」


 ランシャのつぶやきに、リーリアが顔を向ける。


「どうかしましたか?」


 小さな声は笑う。


「バーカ、オレっちの声はおまえにしか聞こえてねえよ。頭ん中で喋ってみな」


 ランシャは言われた通り、頭の中で話しかけてみる。


(おまえは誰なんだ)


「オレっちの名前はレキンシェル。長いか。まあ長いわな。特別だ、レクでいいぞ」


(そのレクが、いったい何の用だ。何を知ってる)


「いっぺんに聞くんじゃねえよ、欲張りか。順に教えてやる。まずオレっちがこうしておまえに話しかけてるのは、挨拶をしとこうって思ったからだ」


(挨拶?)


「ああ、おまえがオレっちを受け継いだんだからな。一応話を通しておくのは当然だろ」


(受け継いだ? 何を)


「だからオレっちをだよ。まあこれはおいおい説明してやる。次に知ってる事だが、結構知ってる。いろんな事を知ってるから、何から話せばいいのかわからんのだけど、とりあえず当面問題になるのは、おまえの体の中にあるサイーの遺産だな」


(サイーの遺産……あの眼から入ってきた?)


「おう、理解早えじゃねえか。そうだ、サイーはおまえの眼からすべてを送り込んだ。あの一瞬で、魔獣奉賛士としてのありとあらゆる知識のすべてをだ」


(そんな事、できるはずが)


「できるんだよ、それが。もちろん、おまえが普通の人間じゃ無理だった訳だが」


(俺は普通の人間だ)


「ああ、確かに体のほとんどは普通の人間だ。だが、おまえはその眼を持ってる。晶玉の眼ってヤツをな」


(しょうぎょくのまなこ?)


「おい、ランシャ!」


 大きな声に驚いて目を開けると、隊長たちがのぞき込んでいる。


「どうした、立てねえのか」


「起き上がれないようなのです」


 リーリアの説明を受けて、隊長は困り顔を見せた。


「まあ、あんな事があった後だからな。どっかおかしくなっても不思議はない」


 ナーラムはランシャに同情するが、隊長はこう言う。


「だからって、この状態で連れて行く訳には行くまいよ」


 ルルがうなずく。


「昨夜のアレで怪我人も出てるしね。そいつらと一緒にリーヌラに送り返すしかないんじゃないか」


「待……て」


 ランシャは上半身を起こした。岩のように重い体を、懸命に引っ張り上げた。


「俺は、大丈夫だ。まだ、行ける」


「全然大丈夫にゃ見えないがな」


 腕を組む隊長を、にらみつけるランシャ。


「大丈夫だ!」


 冗談じゃない、こんな事で報奨金を逃してたまるか。それに。ランシャの視界にリーリアが映る。


「いいねえ、頑張るねえ」


 耳元に小さく聞こえるレクの声。


「そうだぜ。おまえはこの旅から絶対に下りちゃいけない。最後まで食らいつくんだ。最後の最後までな」


 ランシャは立ち上がった。どう見てもフラフラだったが、それでも立ち上がって歯を見せた。そこでリーリアが提案する。


「ではいかがでしょう、キリリアの街までサイーの輿こしに乗せて行くというのは。それでも回復しないようなら、そのときはリーヌラに送り返すという事で」


 隊長は幾分苦々しい顔をしていたが、王族のリーリアにここまで言われて断る訳にも行かない。


「キナンジ、こいつを輿に放り込んどけ」


「あいよ」


 小太りのキナンジはランシャを軽々と肩に担ぎ上げると、ドルトの背中に飛び乗り、輿の中に文字通り放り込んだ。


「馬鹿野郎、病人を投げるヤツがあるか」


「えーっ、言われた通りにしたのに」


 隊長とキナンジの声が外から聞こえる。ランシャは仰向けに姿勢を変えただけで力尽きた。襲い来る猛烈な眠気と疲労感。その耳に聞こえるレクの声。


「心配するな。別にどこかが悪い訳じゃない。慣れるのに時間がかかってるだけさ……」


 いったい何に慣れなければならないというのか。それを考える間もなく、ランシャは意識を失った。




 奉賛隊の居る場所から徒歩で半日の距離、峠道を越えた向こう側にキリリアの街がある。その街外れの茶店のテーブルに、朝っぱらから小さめの壺のような水タバコを置いて煙をくゆらせる大柄な老婆が一人。ほとんどが白くなった髪を後ろでまとめ、肩には真っ赤なショール、大きな鷲鼻の先にあるデカいホクロが印象的だ。


「おお、バーミュラ。ここに居ましたか」


 老婆に近付く恰幅の良い男。護衛を二人連れ、いかにも裕福そうな青い衣を身にまとう。黒々としたヒゲをたたえた口元に笑みを浮かべ、親しげに歩み寄ってくる。バーミュラと呼ばれた老婆は、興味なさげにこう言った。


「おまえさん、誰だっけね」

「何を言っているのですか、ホサントンですよ、先週もお会いしました」


「そうだっけかい。最近頭がボケちまってね。面倒臭い事はすぐ忘れるようになっちまった」


 バーミュラはガハガハと笑った。ホサントンは最近キリリアにやって来た商人で、市場にそこそこの規模の店を出している。その程度は覚えているが、おくびにも出さない。


「おお、それはいけませんね。お体にはお気をつけください。ところで一つお願いがあるのですが」


 ところで、と言うより、それよりも、と言いたいのであろうホサントンは話を進める。


「もうすぐこの街に、リーヌラから奉賛隊がやって来ます。率いているのは、あの魔獣奉賛士サイーです。噂に聞いたのですが、バーミュラはサイーとお知り合いだとか」


 じれったそうなホサントンを横目にタバコを口に含み、ゆっくり煙を吐き出す老婆。


「……サイーかい。ああ、昔馴染みではあるよ」


「それは凄い。そこでですね、できればサイーに私を紹介していただけないかと」


「そいつは無理だね」


 にべもなく断るバーミュラ。しかしそれで諦めるホサントンではない。


「そこを何とか。もちろんお礼は十分にさせて頂きます。ここは大魔導士バーミュラだけが頼りなのです。お願いします」


「おだてたってダメさ。無理なもんは無理なんだよ。何せ」


 バーミュラはニヤリと笑った。


「サイーはもう死んじまってるんだからね」




 朝食の後、重軽傷者合計七人にドルト一羽と食料を分け与え、リーヌラに向けて送り出すと、奉賛隊はキリリアに向けて出発した。ギルホークの断崖に沿って北に進み、ようやくその端を越えた頃にはもう真昼。しばし休憩を取った後、峠越えの細い街道に入った。


 ドルト二羽がすれ違うのがやっとの道幅。峠と言っても草木が生えている訳でもなく、熱い太陽の下、ただ剥き出した岩肌が延々と広がるだけ。隊長は武器を持った傭兵を最前と最後尾に配置し、曲がりくねった道を駆け足で進ませる。


 前か後ろから攻撃されるならまだマシだ。この状況では側面から直接真ん中を狙われたら対処の仕様がない。そして、それがあり得る地形だった。しかし武器も少なく、こちらには怪我人が居て、しかも相手の都合はわからない。ならば前後を守るか真ん中を守るか、どちらかを選ぶしかない。これは賭けだった。


 やがて先頭が峠の中ほどを通過した頃。


 かっ、かっ、かっ、かっ、かっ。まるで笑い声のような音を上げながら、拳ほどの岩が転げ落ちてくる。隊長は尾根を振り仰いだ。


「落石来るぞ! 避けろ!」


 慌てて前に走る者、後ろに下がる者、隊列は大混乱になった。地響きと共に雨あられの如く降り注ぐ岩石。逃げ遅れた二人とドルトが一羽、斜面を下に押し流される。そこに。


 声もなく尾根から駆け下りてくる、いくつもの影。黒い僧衣に鳥の翼のような仮面。ナーラムが叫ぶ。


「おい聖滅団だぞ!」


「わーってるよ! ナーラム、キナンジ、ルル、ついてこい!」


 大剣は昨夜失った。もう予備のナマクラで戦うしかないが、とりあえず素手でやり合うよりは救いがあると言えるだろう。野盗山賊の類いならともかく、相手はダナラムの聖滅団だ。連中の目的はリーリア姫に間違いない。逃げ惑う飯炊きや荷物運びを避け、暴れるドルトの足をかいくぐり、転がる岩を飛び越えて隊長たちは走った。




 突如起こった地響きに、タルアンとリーリアを乗せたドルトが暴れ出す。輿は揺れると言うより振り回された。


「なんらっ」


 タルアンは舌を噛んで天井にぶつかり、リーリアは窓枠にしがみつく。その体が一瞬浮き上がると、突然叩き付けられた。ドルトに固定されていたベルトが切られ、輿が落下したのだが、それを知るのは後の事。すべてが斜めにひしゃげた輿の入り口に立つ黒い影。黒い僧衣に、鳥の翼を模した不気味な鉄の仮面。それが輿の中に半身を突っ込み、リーリアに手を伸ばす。


「ジャイブル!」


 絶叫と共に放たれる稲妻、吹き飛ばされる黒い影。タルアンは逆さまにひっくり返りながら、黄色い指輪をはめた右手を突き出している。その目の前に浮かぶ姿。黄色いマントに黄色い肩までの髪。さほど大きくないタルアンの手でも、両手なら包み込めそうな小さな体の少女。


「我が名は雷の精霊ジャイブル。古の盟約により、指輪の持ち主たるそなたの敵を討ち倒そう」


 しかしタルアンはひっくり返ったまま、口を開けて呆気に取られている。


「うわ……ホントに出た」


「自分で呼び出しておいて、うわ、とか言うヤツがあるか」


 ジャイブルは不機嫌そうに頬を膨らませた。


「あ、ゴメン、いや、魔法なんて使うの初めてだから」


「こなたは魔法で使役されている訳ではない。契約だ契約。サイーに聞いたであろう」


「ああ、そう言われたらそう、だったような気がします」


 ますます不機嫌になって行くジャイブルを、何でこんな事しなきゃいけないんだろう、と思いながらタルアンは作り笑顔でなだめた。そこに現れる二人目の黒い影。しかしジャイブルの放つ稲妻が、一撃で葬り去る。


「そなたは雇い主としては最低だが、契約は契約だ。守ってやるからありがたく思え」


 ジャイブルはツンとアゴを上げた。


「はあ、ありがとうございます」


 タルアンはようやく体を起こし、リーリアと不思議そうに顔を見合わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る