桜の記憶

 だがしかし、それら以上に危険を感じたのは男の身体そのものだった。


 屋根に跳躍した桜をゆっくりとした動作で見上げてきた男の顔は、人間のそれではなかった。


「お、おい……、あれってまさか、狼男か?」


 ガキの頃に絵本で読んだ記憶のある造形。


 身体の作りは人間とほぼ同じだが、その表面には獣毛が生え繁り、顔の輪郭は犬や狼に瓜二つの化物。


 威嚇するように剥き出しにしている犬歯はゾッとするほどおぞましい。


「あれは――獣人……?」


 凝視するように相手を見つめ、桜は呟くように言葉を漏らす。


「獣人?」


 獣人と狼男は同義語で良いのだろうか。


 そんな場違いな疑問が脳裏を掠めるが、さすがに問うている余裕などはない。


「あいつを知ってるのか?」


 代わりに、もう少し本質的な質問を口にする。


「……うん、曖昧だけど前に見たことあるような……」


 自分の記憶を探るような、どこか不安定なトーンで桜が答える。


「てことは、あいつもお前がいた世界の住人って可能性があるわけか?」


「たぶん、そう……かな。この世界にはあんなのいないもんね?」

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