第18話 本物

お互い全てを見せ合った仲だというのに、何故こんなにも躊躇ためらいと背徳感を覚えるのか。

トイレという狭い空間がそうさせるのか、それとも、性交と排泄は次元が違うのだろうか。

腕を伸ばして俺だけ扉の外に、というのは距離的に無理だった。

だから、せめて背中を向けて美月の方は見ないようにする。

「見たら殺します」

勿論、盗み見するつもりもない。

ただ、衣擦れの音や、片手でパンツを脱ぐのに手間取る様子が、より耳から伝わってくる。

そして雨の音。

軒先からの雨垂れの音。

狭く静かで、お互いの息遣いさえ届きそうな空間。

美月が、「ん」という、羞恥をこらえるような声を漏らす。

来る!

何故か俺まで身体に力が入る。

その刹那、ほとばしる水音が──水洗の音が閉ざされた密室に轟いた。

……だよな。

こんな状況だし、女子なら流しながらするよな。

いやぁ、個別浄化槽と水洗化工事は高くついたが、こんなところで役に立って良かった。

うん、これで良かったんだ……。

「……終わりました」

「あ、ああ」

振り向くと、少し顔を赤らめた美月が俺を睨んでいた。

ポンポンと、その頭を叩く。

お返しとばかりに、美月は洗ってない手を俺の服に擦り付けた。

何故だろう、エロいというよりは子供のトイレに付き添ったような感覚がする、と言えば、それはそれで美月に失礼だろうか。

背徳感やドキドキが無かったと言えば嘘になるが、愛しいような微笑ましいような気持ちが勝っていた。

それに、何となく距離が近くなったように思えるのは、気のせいではないだろう。

別に喧嘩していた訳でもないし、指輪を失くしたことで俺が怒るはずもないのだが、美月は罪悪感と後悔にさいなまれ、自分の不注意を責めて閉じこもっていた。

俺もどこか、それに対して身構えるように接していた気がする。

それが、手錠をされて、一緒に寝て、二人でトイレに入って、何となくきほぐされてきた。

俺は手錠を見た。

まさか、な。

いや、有り得るか。

美矢がこうなることを見越して手錠を掛けたのだとすれば、俺はアイツには頭が上がらない。

まあこんなことが無くても、最初っから頭が上がらないのだが。


幸い、美矢は昼過ぎには帰ってきた。

美月は何も恨み言を言わないどころか、手錠を外すとき、少し名残惜しいような顔をした。

何だか俺も寂しく感じたが、大をもよおしてはさすがにキツイものがあるので、お互いこれで良かったのかも知れない。


気持ちが落ち着いたとはいえ、美月が指輪を諦めることは無いだろう。

かといって、俺は見つかるとは思っていない。

美月が稲を植えた田圃たんぼは五枚ほど。

三畳ほどの小さいものから、八畳くらいの大きさまで。

それらの水を抜いて探すのが、いちばん可能性が高く現実的ではあるが、ウチが所有している田圃でもないし、何日かかるかも判らない。

長引けば稲の生育に影響も出るし、大掛かりになればなるほど、美月は罪悪感をこじらせそうだ。

ならば──

「探すのは休日だけにしろ」

「嫌です」

……だろうな。

雨も小降りになったし、本当は今からでも行きたいに違いない。

とは言え、際限なく探し続けられても困る。

「期限は十日間だ」

それまでに何とかなる、はず。

美月は心細そうな顔をした。

「いろは」

「なんすか?」

「手伝ってやってくれるか?」

「そりゃ、あたしと遊んでたせいかもだし……」

まあ可能性としては、あの時が一番高いか。

「じゃあ、一人では行動しないこと、雨の日は中止すること、期限は明日から十日間。いいな?」

「雨の日を除いて十日間?」

「含めて十日だ」

「……もし、見つからなかったら?」

「新しいのを買ってやる」

「……」

新しければいいというものでは無いのだろう、美月は不安と不服が混じったような顔をして、強く唇を噛んだ。

「十日目以降も、休日は探していいですか?」

「ああ。休日はお前の自由だ。ただし、一人は駄目だ」

「タマちゃん、私も手伝うから」

美月は美矢を見て、いろはを見て、最後に俺を見た。

本当は誰にも頼りたくないのだろうが、頼らざるを得ないことも理解している。

「判りました」

我儘わがままは封印した。

さっきまで唇を噛んでいたが、今は歯を食い縛っているように見える。

我慢の表情の奥に、見つけてやるという決意が窺えて、本当に見つかればいいのにと思った。


睡眠不足だったのと、明日に備えてということもあってか、美月は夕食と風呂を済ますと、早々に「おやすみなさい」と言って部屋に入った。

「あたしも早起きしなきゃ駄目っすかね?」

「そりゃあ、お前が運転して棚田まで連れて行ってやらなきゃ、アイツは身動き取れんぞ」

「……了解っす」

いろはは朝が苦手なようで、起きてくるのはいつも最後か三番目だ。

「それからもう一つ」

「なんすか?」

「お前の演技力に期待している」

「は?」

「美矢」

「はぁい」

「お前には記憶力を期待してる」

「記憶力?」

二人が顔を見合わせる。

「いろはは美月を完璧に騙せ。美矢は指輪の再現に協力してもらう」

「え? それって……」

「俺は明日、宝石店に行ってくる」

「つまりあたしは、あらかじめ用意した指輪を、さも見つけたように演技しろってことっすか!?」

「そうだ」

「ということは、私の記憶力って、タマちゃんが着けてた指輪の状態について?」

「ああ」

二人に指輪を買ったとき、サイズの変更などで出来上がりまで一週間ほどかかった。

今回もそうだとして、わざと傷を付け、美月が着けていた指輪の状態に近付けるための猶予が三日ほど。

美月しか知らない特別な傷があるならお手上げだが、大体の雰囲気程度なら再現できるだろう。

傷というより、金属の曇り具合といったところか。

「注文してから本物が出てきたら?」

「それならそれで構わない。それに、俺にとってはどっちも本物なんだ」

一つめだろうが二つめだろうが、俺が美月を想って買うことに変わりはない。

「偽も──別物だってバレたらどうするんすか?」

「その時は、正直に話す」

「最初から買って渡したら、多摩さんも文句言わないんじゃ?」

「それは駄目だ。失くしただけでなく新たに買ってもらったとなれば、アイツは更に自分を責める」

「……甘やかし過ぎでは?」

いろはの言うことも判るが、曲げるつもりは無い。

「構わん。これが美矢であっても俺は同じことをする。だから──」

俺は二人を見た。

俺の意を汲み取ってくれたのか、二人は笑って頷いた。

いろはは楽しそうに。

美矢は力強く。

どちらも、この人は仕方ないなぁという呆れを滲ませていたけれど。







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