3話 現状把握と今後の模索 2/2
個人情報、マイナンバー、戸籍、権利関係、銀行口座……そのほかいろいろなもの。
今後僕がこの姿のままだと仮定した上で障害となり得る「僕という人間のデータ上の要素」。
昨日までの僕にはきちんとしたそれらがあって、一応だけど大学卒業とそのあとの時々のバイトの経歴くらいはあって。
血縁金融関係も履歴もなんの変哲もない……普通の、今の時代によくいる成人男性としてのものが揃っていたんだ。
まぁこの経歴だと「きちんとしたもの」って言えないかもしれないけど。
ニートだし。
いや、ときどきバイトするからフリーターかな……聞こえはそっちの方が良いし。
夢を追ってますって感じがするし。
夢なんて寝てるときしか見ないけど。
「働くのがだるかったので」とか言えば特に不審には思われなくて理解だけはしてもらえる、そういう情報。
このご時世だしひとり暮らしの男ならその辺にいくらでもいるだろう情報。
その辺にいる目立たない男だったからそれで良かったんだ。
いざというときの切り札「両親が亡くなったショックで鬱になっていたので……」っていう嘘だとは言えない言い訳があるしな。
実際そうとしか見えない経歴だし、これ言うと空気が重くなるけど誰でも1発で黙る僕のとっておきだ。
死んじゃった人たちをダシにするのもどうかって思うけど、これくらいはいいよね。
悪いことを言っているわけじゃないんだから、……だよね?
ともかく父さんたちのおかげでそれなりの貯金とか引き継いだ土地という資産もある。
ニートには過ぎた遺産だ。
鍛えてはいないどころかモヤシもいいところだけど引きこもりではないレベルには健康で、病気も何もない健康に近い成人男性としての体も持っていた。
これだけあったから、たとえ急に何かがあってもつぶしはいくらでもきいた。
僕だってバカじゃないし、いちおうその程度は考えた末にニートになったんだから。
この世界はお金がなければ生きて行けない。
無かったらニートしてないでどっかの会社員してただろう。
あったからこそ、こうして立派にニートやってた訳だけど。
……だけどそれから一夜にして一転して困ったことになった。
この幼女の姿の僕は……この顔的にも親類縁者はなしだし、もちろん戸籍も学校に通った経歴や通院記録、その他もろもろ一切合切なし。
名前も考えたけどめんどくさいから止めた。
呼ばれてとっさに反応できなかったら疑われるだろうし。
……そういえば、いくつか虫歯を埋めたあとのある歯はどうなっているんだろうか?
あとで確認しておこうかな。
いやいや、それはあとでだ。
それは今はどうでもいいんだ。
とにかく、どこの記録にも書類上でもデータ上でも町の監視カメラ上にも、すべての記録の上で存在していなくて存在するはずのない人間ということになってしまう。
ましてやこの見た目、確実に目立つしいちど見られたらまず忘れられないだろうし。
このまま警察や病院に行くか電話してすべて正直に話しても、子どものいたずらか嘘つきな子どもか、それとも家出少女……幼女の戯れ言としか思ってもらえない。
この歳じゃ家出ってならなくて「早く帰りなさい」だろうけど。
どれだけ僕の言うことを信じてくれたとしたって、間違っても以前の僕と同じ人物だとは認めてくれるはずもない。
普通に考えるならそうなる。
常識的に人は別人にならないもの。
マンガとかじゃないんだしな。
悪い方向に転がると……そのまま身元不明ってことで保護されちゃって帰れなくなって。
あちこちをたらい回しにされて、親がいないってことになって……孤児院的な施設とか精神病院に預けられるだけ。
正直そこまで悪い扱いじゃないだろうけど、まず間違いなくここには戻って来られない。
だって僕がいたっていう証拠がどこにもないんだし、僕が嘘をついていなくて嘘をつかされていないなんていう証拠は、僕以外に誰にも持てないんだから。
これが情報化社会か。
いや、昔でも身寄りを保証してくれる人がいなければこんなものだろう。
――――――――――――と、いうことは。
よほどのことがない限り公的機関からの支援は受けられないだろうし、そもそも見つかったらアウト。
だって家出か捨て子扱いだもんな。
子供には親がいるのが当たり前。
その親が物理的にいないんだからどうしようもない。
せめて数年は年上の外見ならって何度も思う。
本当に、切実に。
せめて普通のどこにでもいる女の子って感じならごまかしようもあるって言うのにな。
欲を言えばおとといまでの僕と同じ成人女性なら「性転換手術しました」も通せそうだし。
……………………………………………………。
…………一応、念のため、万が一に考えておく。
今ばっと思いつける最悪のシナリオは、こうだ。
どうにかして警察に見つかって保護されて、拉致監禁の被害者とか不法入国の捨て子だとかネグレクトって決めつけられて。
しかも住んでたって主張するのはここだから……これまで住んでいたこの家から突然に姿を消した元の成人男性の僕が、犯罪がバレて逃げたって決めつけられて。
今の僕はこれまでのすべてを手放すことになって、おとといまでの元の僕の風評的には最悪の「幼女拉致監禁事件の犯人」としてすべてを取り上げられて……僕と母さんたちとか親戚や卒業はしたはずの学校にまで汚名だけを広げて残して消える、ということ。
絶対卒業アルバムとか誰かから入手するんだ。
それでそんな風に見えなかったって言われるんだ。
普段はあまり話さなくて友だちがいなかったって。
お昼の時間帯にテレビをつけっぱなしにする僕は詳しいんだ。
……………………………………………………。
……これは考えすぎだって思うけど、もしそうなったとしたら今の僕は不便になるし元の僕は不都合になるし……なにより僕を育ててくれて残してくれた父さん母さんに申し訳が立たない。
あと親戚のおじさんとかにもすっごく迷惑かけちゃうよなぁ。
だって、まず連絡が行っちゃうのがそこだし………………ああ。
「はぁ――……」
こんな状況なのに、なんでため息は無駄にかわいく感じてしまうんだろう。
僕の口から漏れてきた声に少しだけ癒やされたけど、でもどうせ考えておくなら今のうちって……思いつく限りの最悪のケースを想定してみたせいで思いっきり落ち込む。
凹む。
めり込む。
季節のイベントのたびに「これはテレビとネットの外だけの話で僕にはまったく関係がない」って実感するときくらいに凹む。
同世代が出世したとか結婚したとか子どもが何歳になったとか、そういうことを耳にしたときくらいにやけ酒を飲みたくなる。
「あ――……」
……ため息しか出ないな、ほんと。
………………………………。
………………………………数年。
何年か。
数年だ。
10年には届かないけども長い時間。
いくら今の肉体年齢が幼いからといっても、これだけの時間が経てばさすがにどれだけ幼い顔つきだって成人しているとみられるくらいの年齢になるはず。
最低でも成人……いや、大学生くらいで充分だよね、そんな姿になるまでの時間が必要だ。
それまでのあいだ、どうにかして人目につかないようにして生きていく必要がある。
もし元の体だったらあと10年くらいは余裕だし、もともとニートのままのつもりだった。
今まで通りにほとんど家にいて、気が向いたら外出をする生活をすればいいだけだったから。
読みたい本とかマンガ、見たい映画やしたいゲームなんか探せばいくらでもあるし、現に消化できないものが山積みだし。
最低限のものがあれば手にあるものだけでも余裕だった。
それで満足できるからこそこういう生活してきたんだし。
大学卒業後の引きこもりを除けば何年間のニート生活よりも、ほんの少し長い時間なだけ。
だけど、この体だと行動がかなり制限されることになる。
今の僕はどう見ても小学生の外見だから、服装や口調でがんばってもせいぜいが中学生。
近所づきあいはほとんどないけど会ったらあいさつくらいはする顔見知りは何人もいる。
お隣さんなんかは僕の昔のこととかまで知っているし。
長年一人暮らしだと分かっている男の家に……高く見積もっても女子中学生が出入りするようになるのが目に入って、ちょっとでも不審に思われるようなことがあった時点で、たぶん、終わり。
最初にお隣さんからのお巡りさんでおしまいだ。
最近は特にそういうのに敏感な世の中だしこればかりは考えすぎということもないだろう。
もしかしたら「親戚です」であっさり通るかもしれないけど、これは希望的すぎる。
そんなにあっさり解決できたら苦労はしないんだ。
……今僕にできるのは、とにかく慎重に行動してなるべく興味を持たれないように過ごすこと。
あとのことは、そのうちに思いつくだろう……たぶん。
………………………………。
「………………………………ふぅ」
真剣に長時間考え続けるなんて慣れないことをすると、とっても疲れる。
しかも思いっきりネガティブなことだし。
ここ最近は年単位で同じようなことしかしてこなくて同じようなことしか考えてこなかったから、脳にものすごく負荷がかかっている感じがするし。
……そういえば、脳みそはどうなっているんだろう?
サイズ的にどう考えても縮んでいるはずだけど……すでに記憶とか知識とかが欠けていたりなんてするはずないよな、まさか。
そのせいで何かに気がついていなかったり、忘れていることにさえ気がつけなくなっていたり……?
………………………………。
席を立……下りてもう一度さっきと同じ動作をして2杯目のコーヒーを煎れて落ちつこうとした。
だめだった。
僕は僕自身をだませなかった。
煎れる両手は冷たく震えているし、コーヒーは苦いだけで口の中に渋い感じが広がるだけでどうしようもない。
血の気が引くってのはこんな感じだったか。
つらい。
テレビの、CMのあいだの1、2秒の黒い画面にぱっと映る僕がしている顔も心底嫌そうな表情だ。
幼くてちょっと眠そうな顔がうげーって顔をしてる。
……子どもは顔に比べてバーツが大きいから表情がはっきりと出るんだな。
気をつけておこう。
本気で嫌そうなのが誰にでも分かるくらいだし。
………………………………。
さて。
このまま考え続けていたら頭も心も……引きこもっていたときの終盤みたいにおかしくなっちゃいそうだ。
もうおかしくなっている可能性も多分にあるんだけど、それを確かめるすべは。
……………………………………………………。
それを、僕がおかしいかどうかを確かめるために、まず始めにしないといけなさそうなのは……。
思いついた「最初の確認」と、それができたらご近所に見られたとしても女の子ではなくせめて男の子供だって見せかけるための服装。
理想は髪の毛も隠して黒髪黒目の少年って錯覚させたい。
そのためには外に出なきゃならない。
なんてことだ。
メジャーとかないから身長も分からないし、子どもの服のサイズなんて分からないし。
服だって普段から適当な店で店員の人に勧められるままに買っているから見当もつかないし。
理想は通販なんだけど……返品交換を繰り返すのは出かけるだけよりも面倒だし。
あと時間もかかるし。
いや、時間は無限に近くあるからいいんだけど今は急ぎだし。
そもそも受け取りはともかく返品が積んでいる。
この世界は対人恐怖症にはつらい仕組みなんだ。
昔の服でとりあえず形にはなってるけど違和感がすごいし。
だから外に出なきゃならないんだけど。
「……………………………………………………むー」
この状態。
お下がりを着た小学生って感じの姿で外に出なきゃならないのかぁ。
あー。
はぁ……だるい。
このまま何も考えないで二度寝したい。
でも、出たくないけど出ないと手詰まりなんだよなぁ……。
それが分からないわけじゃないし無視して平気でいられるほど図太い神経をしていない。
だってニートだもん。
……生きるって、めんどくさいこと。
この上ないんだな。
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