65,ラチエン通りと真夏の果実の花
「機関車が死んだ」
「「は?」」
まどかちゃんといっしょに香川屋分店に寄ったら、肉や揚げ物のショーケース越しにカメから言われた。
初夏に向かって生暖かい潮風がラチエン通りを吹き抜ける土曜日の昼下がり。揺れる松葉は緑。来る夏の嵐に備えて力を鍛えているよう。
入店早々機関車が死んだなんて訳のわからんことを言うものだから、私とまどかちゃんは同時に固まった。
「だから機関車が死んだんだよ」
「デゴイチ?」
とりあえず、私が唯一知っている機関車の名前を挙げた。
「違う」
「貴婦人?」
続いてまどかちゃんも機関車の名前らしきワードを言った。貴婦人だなんて高貴な名前だね。
「違う」
「じゃあ何さ」と、私。
こういうとき自由電子くんがいたら良かったのにと、きっとまどかちゃんも思っている。
「
聞いたこともない名前だ。
「弁慶の泣きどころの弁慶?」と、まどかちゃん。
「そう。演劇で披露するために段ボールで弁慶をつくったんだけど、かくかくしかじかで演劇自体が中止になったんだ」
「せっかくつくった演劇セットの弁慶が行き場を無くしたってわけだ」と、まどかちゃん。
「それ、どこにあるの?」私が訊ねた。
「
デークマ。茅ヶ崎駅北口にある大型ディスカウントストアの、昔から茅ヶ崎に暮らしていた市民間での愛称。2018年現在、家電量販店に吸収され営業しているが、7月中に閉店して新しいビルに建て替えられる予定。来年の今ごろは更地になっているだろう。
カメの言う倉庫は現在デークマ店舗のものとしては使われておらず、いくつかの団体が持つアイテムの倉庫となっている。その一つが、カメが座長を務める劇団『湘南えぼし座』。
「
「何人かいるからダイジョブだろ」
香川屋分店ではカメのほかにカメの奥さん、お母さん、おばあちゃんが働いている。3人いればなんとかなるのかな。
ということで、私たちは自転車を漕いで倉庫にやって来た。陸上競技部の練習で利用するスポーツ公園に行く途中の
トラックにアイテムを搬入するため、コンクリートで嵩上げされたところに塗炭と鉄骨で組まれた2階建ての倉庫がある。中はなかなか暗くて、窓からかろうじて陽光が射し込んでいる程度。天井が高く、倉庫オブ倉庫といった感じで蒸し暑い。
「わっ、すごい何これ!」
「これ、段ボールでつくったの?」
まどかちゃんもその、暗闇に佇む漆黒の車体を見上げて驚いている。
「おう、つくったのは
「カメは何に関わってるの?」
「それはまぁ、色々だ」
「そっか。それでさ、私、まみちゃんに頼まれて、ちょうど機関車が出る演劇をつくろうと思ってたんだよね」
「ほう」
なんだ、湿気た反応だな。
「それで、せっかくだからこの機関車、使わせてもらえないかなって」
「おお、いいな! だが断る!」
「「なんでだよ!」」
まどかちゃんと声が重なって、思わず二人で顔を見合わせた。
「たとえ日の目を見なくても、セットはバラさなきゃ次に進めねぇ」
「列車っていうのはね、嵐とかでね、たまに止まるもんなんだよ。走り続けるだけが旅じゃない。立ち止まって見る景色もまた乙なもの。そうは思わないかいカメちゃん」
「そうだよカメ。たまには私らの暴走機関車に身を委ねるってのも、乙な旅だろ?」
「まどか、沙希に同調してるようで言ってること真逆だな」
「バレたか」
「もう、まどかちゃんったらイケズ」
「まあいいよ。好きにしろ。いまのところ次の公演の見通しも立ってないし」
「そうなの? なんかしでかしたの?」
「俺が何かしでかさない日なんてない」
ない、と語尾を強調して言うあたりがカメらしい。
カメが何かしでかさない日がないのはたぶん本当だけど、ここ茅ヶ崎はイベントが盛りだくさん。ハワイアンなフェスティバル、お笑い、コンサート、茅ヶ崎が舞台になったアニメのイベントなどが目白押しで、公演するためのホールの予約が取りにくくなりつつある。
私たちの劇もいつ公演できるかわからないけど、そのへんはまみちゃんがどうにかするだろう。私らはまず、脚本に集中。
汽車に乗って茅ヶ崎を訪れたジャスティスヒーローは、茅ヶ崎市民文化会館大ホールで何を見せてくれるのか。‘針路‘の定まっていない受験勉強そっちのけでストーリーを組み立てようじゃないか。
「白浜沙希、フルーツの香りがする、夢のような女子。ここらでいっちょ、真夏の果実の花でも咲かせてみせようじゃあ、ありませんか」
腰を落とし、両手を前後に伸ばす歌舞伎の構えで、私は意気込んだ。よし、やるぞ。
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