当時の記録だと、輿に乗っていたところを引き出されて
殺されたみたいですね。
この人、存在はしていた様ですが、実際に活躍したかどうかは
全くわかりませんね。
信長の最後に関して、私が一番信憑性があると思ったのは、
この時代の某お坊さんの回想録です。
それには織田信長は本能寺を脱出したものの、
重傷を負っており、儚くこと切れたと…。
金ケ崎の撤退戦の事を考えても信長が簡単に自害するとは思えないのですよ。
秀吉の死の直前、信長が夢に現れ、【儂の子供たちを不幸にしたのはうぬなのだ、
もうこの世に置いてはおけぬわ】と言って、秀吉を布団から引きずり出した
(実際に秀吉は布団から出ていた)話は実話ですから怖ろしい。
鳥居元忠はまだ10歳くらいの時から家康のお守係だったので、
その絆は他の武将とは比較にならなかったと思います。家康から見たら、
信頼できる兄貴だった事でしょうね。その兄貴を死地に置いていくあたり、
家康もまた戦国武将です。
一番好きな武将の項にて応援を送らせていただきます。
非常に斬新で興味深い切り口のお話でした。
剣豪将軍の最期はかっこいい;;
自主企画に参加していただきありがとうございました。
作者からの返信
有難うございます!足利義輝は、とても出来る人故に操る側の人間には都合が悪い為に命を……という室町幕府末期に一番輝いた将軍様でした。
編集済
はじめまして。あひると申します。
このような死の直前を中心に描いている小説は初めて見ました。
色々想像しながら拝見させて頂いています。
※今川義元はあの世で太原雪斎と顔を合わせた途端、「貴殿は儂から一体何を学んだのだ?」と言われた後に説教地獄を味わったと思います。
作者からの返信
あひるさん、ありがとうございます。
どら焼きパンケーキ中佐です。
義元公は、雪斎先生から大目玉を喰らわされて涙していそうですね。
戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)27 安国寺恵瓊《アンコクジエケイ》への応援コメント
実際の吉川広家は関ケ原前日の9月14日に徳川方に降伏を申し入れており(井伊直正、本田忠勝が連署している。これは一次資料です)、これは同じく毛利側の首脳だった安国寺恵瓊も了承した上だった事は間違いないので、広家を恨むのは筋違いですね。
家康が遠からずやってくるのがわかっている状況で右往左往し、大垣城に碌な防衛戦力の集結も出来なかった西軍首脳陣(吉川広家+安国寺恵瓊)は、家康の赤坂着陣で精神崩壊したのでしょう。彼らが降伏した事実は三成には伝わっていなかった様なので、味方を見捨てるあたり、こいつら碌な武将じゃありません。