第17話 海浜アウトレットモール⑥
喜多嶋は天井を眺めて動かない。
――今、自分に何が起こったのか。
そのことを理解するのに必死だった。
瑞樹の手のひらに拳が当たろうとした時にはもうこの体勢だった。
感じた一瞬の浮遊感。
これは、間違いなく――!
「投げられた、んだな」
唖然としすぎて声の出ない喜多嶋に代わって、瑞樹が答える。
勿論、行ったのは瑞樹ではない。出来ることにはできるのだが、場所が場所だけに危険過ぎた。
一体誰が、と辺りを見渡す中、一人だけ何の動揺も見せずただ冷たい眼差しで喜多嶋を見下ろしている。
「ニーナっ!」
名前を呼ばれ、はっ、と我に返ったニーナの瞳は心なしか、普段よりも金色に輝いているように見える。
ニーナは立ち上がっていたが、彼女と喜多嶋の間は机で隔てられている。が、瑞樹はこれを彼女がやったのだと確信していた。
そう感じたのは、なんとなく、だ。
確固たる証拠がある訳でもない、曖昧な理由。
そんな勘に近いものだろうと、少なくない数の事例を当ててきた瑞樹は疑わない。余計な探りを入れるよりは、野生の勘というべきものを信じた方が良いことを知っている。
しかし、感じた事を感じたままに喜多嶋達に告げるような真似はしない。
所詮は勘でしかないし、そこを信じて貰えたところで「どのように」したのかまでは説明出来ないから。
発想豊かな彼らなら――あるいは魔法の存在を案外簡単に納得してくれるかもしれないが、そのためには最低限の説明は必要だ。
瑞樹は実物を見れたから良かったものの、残念ながら魔法とは何かや仕組みまで、人に教えるほどの知識を持ち合わせていない。
現在それを解明している最中なのだ。
「ご、ごめん……」
「……後で説明してもらうぞ」
中途半端を恐れた瑞樹はこの場でニーナに話を聞くことをせず、喜多嶋達と別れることを決めた。
ニーナの傍にいるべきだと判断したから。
「なんでも一つ言うことを聞くって言ったよな。悪い喜多嶋、今日俺達に会ったことは忘れてくれ。ボールの件も含めて全部チャラにするから、記憶から消してくれると助かる」
「はぁ?」
喜多嶋は不満そうに立ち上がったが、瑞樹とニーナの目を続けて見ると、やがて熱も冷めたのだろう、ようやく落ち着きを取り戻した。
「ま、しゃぁねぇか。そういう約束だったもんな」
「悪いな」
後ろで固まっていた二人にも異論はなく、素直に頷いている。
「じゃあな、瑞樹。また学校で」
そう言い残すと彼らは無言で店を出ていった。
何かを注文する訳でもなかった三人に店員が「またのお越しを」なんて言うはずもなく、二人しか客のいない店内に、扉の開く鈴の音だけが響いた。
「それで、さっきのは何だ?」
鈴の余韻が耳を反芻する中、瑞樹が小さく口を開いた。
冗談っ気の混じらないシリアスな様子が、口調からニーナに伝わる。
間違っても
数分前の出来事を必死になってどう話すかを考えていたニーナだが、ついには自分もややこしくなってしまった。
「わからないの」
「わからない?」
「そう」
瑞樹には行ったのは本人がどう分からないのか、そちらの方が分からなかった。
「一発目は瑞樹は避けるんだなーって思えたけど、その後のは当たってしまうように見えて……。そんなの駄目! って思ったら身体が急に熱くなって」
――しかし何をしたのか、一切理解していない。
無意識なのだ。
その時の感情は覚えていても、そこが抜けている。だから、分からない。
「魔法――なのか?」
その答えは既に瑞樹の中で完結しており、どこか信じきれていない自身に言い聞かせるためのものだった。
瑞樹の認識の範囲内で言えば、魔法とは科学で証明出来ない不思議なこと、である。正確には不思議なことを引き起こす力のことだが、ニーナのいた世界のことなど、瑞樹は知りようが無い。
ニーナの意思がどうだろうと、仮説の立てようのないほどの超常現象が起きた。
それだけは確かだった。
「でも鍵の反応はあるから、魔法を使ったのは間違いないみたいだよ。何故かは知らないけど」
「ちなみに今何でもいいから使えるか?」
「駄目だった。原因も同じみたい」
普段意図して使用することは出来ないが、無意識に魔法を行使することは有り得る。
なんとも迷惑は話だ。
今回に至っては見ていた人は少なかったし、居たとしても対策を取っていれば何の脅威にもならないお馬鹿トリオのみ。
店員が見ていたとしても、会話の流れ的にも瑞樹が投げたんだと勘違いするだろう。
しかし人通り多いところでとなれば
タダでは収まらないだろう。広がる騒ぎを抑えるために警察が来て、事情聴取、何も答えられないニーナは怪しまれる、念の為にと瑞樹にも監視――。
ニーナが無意識だと言うのが更に厄介なことになる。
今までは魔法が使えないことに安心していた。だのに、これからは無意識下の魔法の行使にも気をつけなければならない。
(一刻も早く魔法について理解しなければ。対策なんて出来たもんじゃない)
空間移動の成功も、魔法の行使の制限も、全ては魔法自体を詳しく理解することから始める必要があると、瑞樹は考えた。
「ま、今はいいか。それよりニーナ、オムライスを少し貰っていいか? まだ別のもんも食いたいだろ?」
しかしいくら考えようと、目の前で美味そうに食事を始められたら思考が中断されるのは仕方ないものだ。
それに瑞樹は空腹だった。
「本当だね? うん、ならいいよ!」
そのオムライスはひんやりと冷たかった。
その後ニーナから財布を返して貰った瑞樹は――予想以上の減り具合に驚いたが――微妙な表情の店員に伝票を渡し、素早く会計を終える。
瑞樹達が向かったのは東エリア。食器を含め、買いそびれたものは全てこのエリアこのにあるから。
エリア自体が一つの建物の様なものであり、それぞれに三つの出入口がある。
他のエリアから入って来るとよりよく分かるのだが、エリアごとに雰囲気が全く異なる。それはまるで異なる店に来たみたいに。
人によりどのエリアが好きか意見が割れるところであり、瑞樹はこの東エリアが最も好きだった。
売っているものの種類が均一ではなく、たまに何故これが売れないのかというような画期的な商品まである。
どのエリアよりも客数が少なく、それでいて最も人気のあるエリアだ。若者――特に学生が多いが割合でいえばおよそ三割に過ぎず、どの世代の人間にも興味をそそる商品がある。
瑞樹ですら初めて見るようなものが並んでいる。目的の食器店に着くまでにいくつ目移りしたか。
誰もが買い物を楽しめるという店側の見直しによって出来たこのエリアは、ニーナにとってまさにパラダイス。
瑞樹の隣で少しの羞恥心も見せず、子供のように心と体を踊らせていた。
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