第106話 それぞれが大切にしているもの

「とは言っても、ウチの鉱山は未だ銅鉱石、その一欠片ひとかけらすらも出ていない廃れきった鉱山なんだがな、それでも良ければ……って話だぞ」

「…………それは俺を哀れんでいるから、そんなことを口にしているのか?」

「うん? ふふっ。いいや、違うさ。俺も一度は戦地で死んだ身だから、今のお前の心内が誰よりも理解できる。それにお前は運の良いことに傍で支えてくれる妻がいるだろ? それなら今からでも人生をやり直せるはず……そう思って誘っただけのこと。嫌なら別に断ってくれてもいい」


 デュランは今のケインの姿を過去の辛い経験をしてきた自分とを重ね合わせ、手を差し伸べることにした。

 それに彼の父親に頼まれ、そしてその妻のマーガレットが不憫であるとの思いもそこにはあった。


「俺には……いや、俺は……っ。…………だが、本当に良いのか? またお前のことを平気で裏切るかもしれないんだぞ。俺はそういう男なんだ。それでも同じことが言え……」

「ああ、別にそれでもいいさ」


 ケインは拒絶して欲しいがために、自ら不利になる言葉を口にするのだが、生憎とデュランから息つく間もなく、あっさりと肯定されてしまった。


「っ!? な、なんでそんな簡単に人を……」

「……人を信じられるのかって?」

「あ、ああそうだ。普通の人間なら、俺のような男を信用するわけがないんだ」


 これまで人を心の底から信用したことの無いケインにとって、今のデュランの言葉は信じられないものだったに違いない。

「何かの罠ではないのか?」そんな困惑の表情をしたまま頷くと、続きを急かす。


「そうだな……確かに普通の人間ならば、お前のことなんて信用しないだろうなぁ」

「それじゃあ!」

「だがな、自ら命を絶とうとしたんだ。その覚悟さえあればどんな困難が待ち受けていようとも、何でもできるはずだろ? それこそ一度でも自ら死ぬことを選択した人間ならば、それ以上失う物はない。……違うか?」

「……そう…だな。死ぬことを思えば、何でもできる……」


 ケインはデュランのその言葉に納得するように頷いてみせた。

 それは暗に彼が裏切らないようにとの釘を刺す意味合いもあっただろうが本質的には違ったのだ。


 死さえ厭わぬ覚悟を持った人間ならば、不可能を可能へと変えることができる。

 たとえ借金まみれで今日明日にも家々を失うことになろうとも、必ず再起することができるはずなのだ。


 彼自身がそうであったように、ケインもまた必ず人として成長できるのだとデュランは踏んでいた。

 そしてそれが将来自分の助けになるであろうとも考え、手を差し伸べることにしたのかもしれない。


「それにな」

「えっ?」

「それにもしもだな、ルイスのヤツに家を借金の形に盗られそうになっちまったら、利子も元金も支払わずに堂々と踏み倒しちまえばいいんだ。最悪それで破産しようとも別に命まで取られるわけじゃない。むしろ『ヤツにくれてやるんだ!』……それくらいの気持ちを持っていれば、家を失うことなんて造作もないことだろ? それに一時は家を失ったとしても、後から取り返せばそれで済む。物は失っても取り返せるが、人の命までも元通りにできるわけじゃない」

「持たざる者は強し……か」


 デュランのその言葉を聞いてケインは何かを納得するかのように頷くと、こう言葉を続けた。


「なるほどな……確かに俺はこれまで守ることばかり考えてきた。だから負の感情に苛まれ、悪いことばかり考えるようになっていたのか。そうか……何も持たなければ、それ以上失う物がないんだよな。はははっ。な、なんで俺はこんな簡単なことに気がつかなかったんだろう。そんなことは当たり前なはずなのにな……。デュラン、お前にそう言われるまで俺はそんなこと考えたこともなかった」

「それだけ心の余裕が無かったんだろうな。人は心にゆとりが無ければ、良い考えなんて生まれるはずがない。それに伴って周りの人の気遣いや優しさを無下にしちまうものだ。しかもそれは自分で失ってみて初めて気づくことが出来るものなんだ。ケイン、お前はまだ本当に“大切なもの”を失ってはいない。だからそれを大切にしている限り、何度でもやり直せる……きっとそうなんだ」

「……デュラン」


 ケインの言葉を聞き、デュランは彼に言い聞かせる形でそう言葉を紡いでいくのだが、それはきっと自分自身に対しても言い聞かせていたのかもしれない。

 彼の表情はやや悲しみに影を落とし、それでもケインの方に顔を向けると無理に笑みを浮かべている。


 デュランが口にした大切なもの……それはケインのことを支えてくれている、妻のマーガレットに他ならない。


 デュラン自身、彼女を失ってしまったため、そんなことを口にするだけでも辛いはずだ。

 それでもなお、ケインに向かってそんなことを口にしたのは、マーガレットのことを大切にして欲しいと願う、デュランの気持ちの表れだったのかもしれない。


 自分と同じく彼女を失うその前に……。

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