第73話 突然の来訪

 それから一ヵ月ほどが瞬く間に過ぎ去った頃には、デュラン達は『悪魔deレストラン』の経営を上手く軌道に乗せることに成功していた。

 ……というのも、市場で知り合ったあのマダムと呼ばれる店主が毎日のように昼食を食べに来てくれたおかげで、市場を訪れる客達の間でも店の評判が広まり、少しずつではあるが利用してくれるようになっていたのだ。


 当然のことながら黒パンとスープだけでは客単価が著しく安いため、それほど儲けが出ているということもなく、どうにか日々の食材費やアルフとネリネの賃金、それと僅かばかりの利益を得るに留まっていた。

 だが、それでもどうにか店を開けている間は食べていくことができるため、少ないながらも安定した収入源となりつつあった。


 そしてそこから更に数ヵ月程が経ち、デュランが生きて街に戻ってきてから十ヵ月になろうかといったある日のことだった、マーガレットが結婚式をしてからずっと疎遠になっていた、ルインが彼の元を訪ねてきた。


「ルイン……か」

「……お久しぶりですわね、お兄様」

「ああ、そうだな。あれからもう……十ヵ月ほどになるか?」

「もう……そんなになるのですね」


 二人はどこか他所他所しくも、挨拶を交わす。


 デュランはケインと親戚となってしまったルインのことを、心のどこかで避けるようになっていた。

 きっとマーガレットのことを思い出すからなのか、それとも義理とはいえケインの家族になったからか、彼自身は何とも言い表せない複雑な気持ちを抱いていたのかもしれない。


 ルインもまたデュランがリサとくっ付いたことを後に知り、これまでと同じように振る舞うわけにもいかずに彼の元を訪ねることもしなかった。

 だが今日に限って何故、彼女は彼の元を訪ねてきたのだろうか?


「今お兄様は『どうして俺の元を今更訪ねてきたんだ……』と、でも言いたそうなお顔をしていますわね」

「…………」


 デュランはルインが自分に行為を寄せているのを知りながらもリサのことを選んでしまった手前、バツが悪そうにしながら何も答えられずにいる。


「否定なさらないのですね」

「……ルインだって俺に否定してほしいわけじゃないんだろ? だからそんな言い回しをしてるんじゃないのか?」

「ふふっ。そうですわね……お兄様だけはいつも変わりませんわね」


 互いの性格を十分に知っているルインとデュランは、軽口を叩くように久しぶりのやり取りをしている。

 どこか自分達が置かれているこの状況が可笑しいと思っているのか、ルインは少しだけ口元を緩ませた。


 だがその表情はどこか影を落としており、やや自虐的ともいえる微笑みにデュランの目には映っていた。


「今日ここへ来たのは、理由があって参りました」

「理由?」

「ええ、実はケインさんのお父様……ハイル様の容態が最近思わしくないんです」

「そうなのか?」


 ルインにそう告げられたのだが、デュランとしてはあんまり関心がない話題であった。

 実際問題デュランの父親フォルトの弟であるはずのハイルは彼が亡くなった際、家や財産挙句の果てにはデュランの当時の婚約者であったマーガレットまでをもすべて奪い去り、ケインへと与えた張本人なのだ。

 

 だからデュランにしてみればハイルに対して憎さこそあれ、好意的な関心を示すこともできるわけがなかったのだ。


「それでお医者様からは、持ってこの数日だろう……と、既に余命宣告されてしまいまして」

「……それが俺と何の関係があるんだ? まさか自分の最期だから顔を見せに来いって、わざわざ俺のことを呼びに来たわけじゃないんだろ?」

「いえ、そのまさか……ですわよ。でなければ私がこうして訪ねたりしてくるわけがないと、お兄様だって既に理解していらっしゃるのでしょう?」

「…………」


 心のどこかで外れて欲しいと思いつつも、ルインの言葉を聞いてしまったデュランは何とも言えない表情をしてしまう。


 ハイルは自分の父親の弟であり、デュランにしてみれば叔父なのである。

 色々な仕打ちをされてはきたのだが、自分の父親と同じ病で亡くなろうとしているので彼は喜ぶべきなのか、悲しむべきなのかどちらとも分からない感情に苛まれてしまっていたのだ。


(どんなに酷い人だろうとも、最期くらいは仕方がないか)


 デュランには思うところが無いわけではなかったが「死に際の老人の頼みなのだから……」と、どうにか自分を納得させた。


「ああ、分かった。よし、今から会いに行ってやる」

「……ほ、本当によろしいのですかっ!?」


 デュランの言葉が意外だったのか、それとも最初から断ることを前提に訪ねてきていたのか、ルインは驚きの表情を隠せずに目を白黒させながら少し大きな声を出している。


「言ったはずだ。『行く』とな。なんだ俺が行くとは思わなかったって表情しているんだな、ルイン」

「えぇ……っ……い、いいえ……でもまさか……」


 未だに信じられないと言ったルインを尻目にデュランはリサ達に店を開けることを告げると、店の裏にある小屋からメリスを引っ張りながら表で待っているルインの元へとやって来た。


「メリス……アナタも久しぶりね。元気にしていたかしら?」

「ヒヒーン♪」

「そういえば、すまなかったな。メリスのこと、長い間借りっ放しにしちまって」

「いいんですわよ。メリスもお兄様に懐いていたようですし……それに……」

「それに?」

「……あっ、いいえ。なんでもありませんわよ」


 ルインが一瞬何かを言いたそうにしたのだが、そのまま口を噤んでしまったためデュランは聞けずじまいとなってしまう。


(それに……メリスが傍に居ることで私の代わりにお兄様のことをずっと見守ってくれる。もしもそれが無くなってしまっていたら、私とお兄様との間には何も無くなってしまいますもの。あのとき一緒にメリスに乗ってお兄様に抱かれた温もりや熱い口付けをかわした感触。それと今も抱いているこの気持ちが、まるで夢を見ていたかのような儚いものへとなってしまう)


 ルインは今もデュランに対する気持ちは、あのときと何一つ変わってはいなかったのだった。

 だが非情にも人の運命とは時に残酷であり、ルインの想いを添い遂げることを許そうとはしなかった。


(それでも私はお兄様のことを諦めませんわよ。何故なら、私はルイン・ツヴェルスタ。ツヴェルスタ家の女は諦めの悪いことで有名なんですもの……。この程度で諦めるくらいなら、最初からお兄様に好意を寄せたりするもんですかっ!)


 ルインは想い人であるデュランに久しぶりに会ったことで、自分の中にあった淡い恋心をより強い恋心へと変えようとしていた。

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