第20話 ルインの嫉妬心

(お兄様のお顔がとても近いですわ。これなら騎乗の弾みでそっとお兄様の唇へと口付けをしてもバレないかもしれませんわね。……いえ、ダメよルイン。本当に今考えてたことは絶対に顔に出してはダメだし、いくらチャンスがあろうとも実行してはダメ。それに何より今のお兄様はわたくしのことなんかよりも……)


 体温と鼓動を感じ取れる距離に居るはずのデュランに対してルインはどうしてなのか、彼がとても遠くにいるような存在へと感じ始めていたのだ。


(なんだかお兄様がこんなにも近くに居るだけれども、その心はどこか遠くにいるように感じてしまうわ。この気持ちはもしかして……)


 そこで前を向く彼の瞳に自分の姿は映ってはおらず、別の人物へと向けられているとルインは察してしまう。

 そして先程まで感じていた違和感の正体に彼女は嫌でも気づいてしまったのだ。


(ああ、そうよね。そうだったわよね。今のお兄様が必死になっているのにはちゃんとした理由があるんだものね。それは私のお姉様のために……)


 何故なら彼は自分の姉であるマーガレットのため、急ぎ駆けつけようと必死に馬を操っているのだ。

 それも姉達が明後日に行うはずの結婚式を止めさせるため、1秒でも早く姉の元へ辿り着きたいに決まっている。


 もし自分がその相手ならば、デュランはこれほどまで必死に馬で駆けつけてくれるだろうか?

 ルインは少しだけ目を瞑ると自分の姉であるマーガレットと自分とを重ね合わせ、そこへ自分が思い描いているデュランの姿を想像する。


(悲しいけれど……それはないと言えるわよね。お兄様は私のことを『妹』くらいにしか思っていないはずだもの。こうして危険を冒してまで私の元へとやって来てくれるわけがないわ)


 一度その気持ちに気づいてしまえば、後は簡単だった。

 そして先程まで感じていたはずの想い人の熱が、今度は逆にとても冷たく悲しいものだとルインは感じてしまうのだった。


(お姉様はズルイですわね。こんなにも私の想い人であるお兄様から想われているのに……。それでも他の男性と婚約を結び明日には結婚しようとしているなんて。本当にズルイ女性ひと。もし私がお姉様と同じ立場に置かれたら、何を犠牲にするにしても必ずお兄様のことを選んでしまうわ。それなのにお姉様は……)


 ルインは姉であるマーガレットに対して、そのような嫉妬の心を覚えてしまう。


 そしてすぐに自分の心を更に冷やすものであり、それと同時にデュランへの悲しみをより強くするだけのものだと気づいてしまった。

 それに姉であるマーガレットもそんなことを喜びながら、自ら進んでしたことではないことをルインも知っていたのだ。


 実家の財政事情が悪いため、長女であるマーガレットが犠牲となってケインとの政略結婚させられることになったのも知っている。

 それにデュランが死んだものと思い、1年という月日をただ空虚なまま過ごしていたまるで抜け殻にでもなったような姉の姿も知っている。

 

 それでもいつの日にかデュランが帰ってくることを望みながら、彼の家の庭に自分と同じ名前のマーガレットの花を植え大切に育てていたのも知っている。

 そしてケインとの婚約が正式に決まりデュランのことを死んだものと諦め、彼を弔うためにマリーゴールドの花へと植え替えたのも知っている。


 それに何よりもデュランが生きていると姉に伝えた時の喜びとも悲しみとも何とも言えない複雑そうな顔。

 あの時はどうしてデュランが生きていたのにそんなこと顔をしているのかと、姉へと詰め寄ったルインだったが、今ならばその時の姉の気持ちが痛いほど理解できた。


 きっと姉も心の中では自分と同じく喜んでいたに違いない。

 けれども既にケインとの婚約しており、結婚式も今月末日に行われると間近に迫っていたのだ。


 あと少し……あともう少しだけ、デュランに早く自分の元へ帰って来て欲しかった。

 そうすれば今のこんな状況にはならず、何不自由なく彼と幸せな未来を築けたはずなのだ……と、姉であるマーガレットはそう思っていたに違いない。


 そして自分が思うがまま、自分自身の生きる道を決められたらどんなに幸せなことだろう。


 もしかすると自分は姉なんかよりも、ずっと幸せなんじゃないか?


 姉であるマーガレットは、この1年という月日を自分と同じく……いや、それ以上に辛い人生を歩むという選択を強いられてきたのだ。


 もし同じ立場に置かれたら、果たして自分に姉と同じ決断ができただろうか?


(私には無理ですわよね。私はお姉様のようにそんなに心が強くはありませんもの。きっと実家の名はもちろん、家族も何もかもを捨ててきっとお兄様を選んでしまいますわ。けれども、そんなことはお兄様だって望まないはずですわ。お兄様はお姉様の幸せと笑顔を何より大切にする殿方ですもの。だからこそ私もそんな優しいお兄様に心を寄せていたんですものね)


 ルインは姉へとの嫉妬の心と一緒にデュランへの想いも胸の内へ、そっと仕舞い込むことにした。


 そんな姉の心の内を知ってしまった、今のルインに出来ることはたった一つだけである。


(もしも……もしもこのままお兄様に抱かれたまま時を止めることができたなら……私はそれ以上何も望みませんわ。だからメリス。お願いだからこのままずっと走り続けて、遠い遠い誰も知らない土地まで私とお兄様を連れて行ってちょうだい。もしそれが叶わない願いだったとしても、歩みを遅くしてたとえ1秒でも長くお兄様と一緒にいさせてちょうだい……お願いよ)


 ルインはデュランの胸に抱かれながら「今、この時間が永遠に続いて欲しい……。もしそれが叶わないのなら、せめて少しでも長く……」と心の中で、ただただ願うことしか出来なかった。

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