エピローグ

1.


 季節は、また巡る――。






「実はこの部屋が見えるのは、魔法に関わる人物だけ。他の人がドアを開けても、いきなり屋上の空間が現れるらしい」


 今日は三月一日、卒業式の日。そして魔法継承の日だ。

 自分は決まり通り、次の魔法継承者、つまり今の生徒会長に魔法のことを伝えていく。


「そもそもの始まりは、何十年か前にあった一つの通達から。それまでは屋上に立ち入りできたらしいけれど、それを期に禁じられた。

 そのときの生徒会長は屋上で過ごす時間が大好きで、よくグラウンドを眺めたり、昼休みには色んな人の相談に乗ったりしていたらしい。その機会が無くなるから相当反対したけど、結局実らなかった。せめてあの充実した思い出を継承したい、そんな強い願いが、この部屋と魔法を生み出した」


 そこまで言って、つい苦笑してしまった。


「改めて思えば、凄い話だよね」


「いえ、素敵だと思います」


 自分も、最初にこの話を聞いたときは半信半疑だった。それでも安神信弥として過ごしてきた一年間は疑いようがないし、結果は確かな形として残っている。

 出会ってきた四人はそれぞれに魔法を使い、時には荒療治かと不安がよぎったりもしたが、みなすっきりとした表情でこの部屋に姿を見せてくれた。


「だけど、どうしてミサンガなんでしょうか」


「その人が手芸部で、ちょうどミサンガが流行った頃だったらしいんだ。どうも、その頃のプロサッカー選手なんかがよく付けていて、学校のサッカー部でもちょっとそういう話があったりしてね」


「えっ、それ、もしかしてグラウンドを眺めていたのって」


「うん……そうかもしれないね」


 さて、と言い置いて、制服の袖をまくる。

 そう言えば、自分の制服でこの部屋にいるのは一年ぶりだ。その腕には、腕時計と共に、一年前に先輩から授かったミサンガがある。虹の七色と、白色から成るミサンガは、あの四人の奥に沈む悩みを自分に伝えてくれた。


「……私、本当に大丈夫でしょうか」


 ミサンガを見つめながら、少女は不安げに瞳を揺らす。その整った顔に生じたゆらぎが、くすんだ部屋と相まって、古い映画のワンシーンを見ているような気持ちにさせる。


「私、先輩みたいに頭良くないですし」


「別に賢くなんかないって。自信持って、あなたはちゃんと会長を半年務め上げられたんだから」


「髪だって、長いですし」


 それは心配ない、とばかりにニコリと笑う。


「男装は、私の単なる希望」


「え?」


「憧れてたんだ、男の姿。ちゃんと女性としての自分は認めていて、好きになるのも男性だけど、……性別ってそう単純な話じゃないからね」


 声質も、髪質も、私のベースのままでこの魔法が上手く男子に寄せる方法を教えてくれた。それが、私の切なる願いだったから。

 もちろん、それは毎回三分きりしか効果がない。だから私は依頼者が来る前に使い、必死に覚えて、いつでもトレースできるように研究した。

 魔法が無くても、私はもう、女子にも男子にもなれる。


「だから、口止めさえ守ってもらえれば、別にその姿でもいい。何か自分の中に切なる願いがあるなら、そのために魔法を使ってあげて。……まあ、男装も似合うと思うけどね。地がいいし」


 そう褒めてあげれば、彼女は照れ笑いと共に頭を下げた。丁寧な子だ、と思った。最初は私だってまさかこの子がと驚いたが、案外、しっかりしている。


 最初に生徒会室で会ったときに、決意を語ってくれた。友達が部活で頑張っているのを見て、遊んでばかりだった自分に少し反省した、と。どうせなら一番みんなに貢献できることを、と一念発起し、立候補したこと。


「でも、まさか」


 背中で彼女のふんわりと優しい声を聞く。


「あのときは、自分が魔法使いになるだなんて、思いもしませんでした」


「私も最初はそうだった」


 腕時計を確認すると、所定の時刻が近づいていた。


「だけど、あなたなら大丈夫。私よりずっと似合っている気がする」


 戸棚に手を伸ばし、砂時計を手に取る。純白の粒たちは、何十年を経ても南国の波のようにさらりと動く。


「いえ、先輩の方が。その、本名だって」


「えっ、そっちの意味、気付いたの?」


「英語は得意なんで、ってあんまり関係ないですかね」


「あはは、それはきっと別だね。……さてそろそろ時間だ」


 砂時計を逆さにして机に置く。白い砂が、窓からの光を受けながら煌めいている。


 私は、祈りの姿勢を取った。

 雪解け水の白く輝く屋上から光が集まり、部屋を満たしていく。


 目を閉じながら、この部屋を体で感じていた。

 古い木と紙の匂い、隙間風の音と壁がきいきいきしむ音、冬と春を足して二で割った三月の朝の気温。魔法が始まった当時、改装前の古びた生徒会室。たくさんの人が、たくさんの想いを重ねてきた愛しい部屋。

 腕から、徐々にミサンガが消えていくのがわかる。受験勉強の傍らで大変だったけれど、これ以上なく充実し、逆に自分への励ましにもなっていた時間。あの四人や、その周りの人々の力になれた達成感が瞳の奥から溢れそうになり、微笑みで抑える。


 三分後、光は消える。

 瞼を開くと、目の前の彼女は、腕に結ばれたミサンガを眺めている。かわいい、と彼女の漏らした声を聞き、安堵する。


「じゃあ、行こうか」


 砂時計を棚に戻してから、出口のドアノブに手をかける。

 ここを開ければ、静まり返った踊り場、つまり日常の風景が見えてしまう。


 ふと、去年の先輩の姿を思い出す。それに倣って、最後に一度、息を深く深く吸う。二度と戻らない、戻れない場所への名残を消すように。

 そうすれば、匂いや温度と共に、光の欠片まできっちり回収できた気がした。扉に背を向けて、深く頭を下げる。


「ごめん、お待たせ。行こうか」


「……あの、最後にいいですか?」


 ドアノブを押した瞬間だった。わずかに漏れる風が、唸り声を立てつつ足下で渦を巻く。


「どうして、三分きりなんですか」


「ああ。……それはね、もうすぐ分かるよ」


 風の音が消えれば、目の前には、朝の光に優しく照らされた階段が伸びている。卒業式へと続いていく階段が。


「だからお楽しみに、凛ちゃん」


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