18.


 土曜日の夜、事務室でドキドキしながら携帯を握りしめていると、着信音が鳴り響いた。


「もしもし、せんぱ」


『先輩じゃありませんー、残念でしたー、リア充爆発ー』


「……なんだ蓮か。ってなんでそのこと知って」


『昨日福原のおじさんに一部始終を伺いましたー。良かったですねーおめでとう』


 うわあ、と引いた声が出る。人生最大級に心のこもっていない「おめでとう」を聞かされた。


「で、何の用だよ」


『福原のおじさんに見せてもらったよ、お前の演技のビデオ』


「えっ、福原さん、そんなの撮ってたのかよ」


 全く気付かなかった、と言おうとしたが、確かによくよく思い出せば三脚が置かれていたような気もする。


「うわ、恥ずかしい。で、何の文句だよ」


『あのな』


 その口調だけで、蓮が唇を尖らせているのが伝わってきた。


『お前、早くここまで来い。とっとと這い上がって来いよ』


「え、どういう」


『まんまの意味。二年ブランクあったのに、即席でこの滑りができるんだろ。一年あったら大化けに化けるっつーの。早く勝負させろ』


 いや、そんなことは、と言おうとして、あるんだよ、と被せられた。

 だけど実際あれは魔法でブーストをかけられたからであって、昨日もう一度再現しようとしたら、なんともガタガタで子供たちにも笑われたくらいだ。まあ、これからだ。


『くそっ、……ゆーか、……表現力、……えわ』


「え、何? 電話遠いぞ」


『なんでもないっ。ちくしょー、心残り。これでジュニア引退できなくなっちゃうじゃねえかよ』


「いや、しろよ。シニアになっても追いついてやるから」


『言ったな? ホントだな?』


 その一言ずつ挑発するような口調に、あ、と言って固まってしまった。

 そうそう、この乗せられる感覚も久々だ。


『まあお前はじっくりジュニアで上を目指せよ、あと二年はOKなんだし。俺は、ちゃんと今年度いっぱいでジュニア卒業するから』


「ああ、世界取るんだよな。楽しみにしてる」


 すー、と息の音が聞こえ、何だよ、と尋ねる。


『何か調子狂う。お前、そんなこと言うキャラだったか? いつも全然周りの応援とかしてなかったじゃん』


「まあ、その、色々変わるよな」


『……あああそういうことかよ! くそリア充め!!』


「何言ってるんだよ。有名人さまはモテモテだろ」


『この前彼女にフラれたんだよ!! 俺だって忙しいんだ分かってくれよアイツ!!!』


 知らねー、と思いながら電話を切ると、いつの間にか部屋に戻ってきていた福原さんがケタケタ笑っていた。


「声でかいんだよ。相変わらずいいキャラしてるな、蓮は」


「ホントですよ」


 どっこいしょ、と福原さんは自分の椅子に座って、引き出しの中にザンボの鍵を入れた。

 あれから、とりあえずザンボに不具合はなく整備できているみたいだ。お前が選手に復帰するなら代わりに来てもらうインストラクターも増えるしな、ザンボ壊れたらいよいよ金がヤバいな、なんて昨日は笑っていた。


「で、あのお嬢ちゃんから連絡はまだなのか?」


「そろそろだと思うんですけど」


 先輩はセンター試験を国・英の二教科受験している。この組み合わせだと一日目の土曜日に全て終わるということで、終わったらどんな感じだったか連絡をくれると言っていた。朝はちゃんと会場に間に合ったとメールが来ていたから、無事に受験はしているはずだけれど。


「あっ」


 手の中でバイブレーターが呻く。俺は息を整え、スリーコールで通話ボタンを押した。


「もしもし」


『あ、圭くん』


 声が少し震えている。

 先輩の後ろで、緊張のたがが外れたようなざわめきと、耳馴染みのある電車の通過メロディーが聞こえる。


「どうでした」


『まだ自己採点しないと分からないけど、……これくらい解けたらたぶん大丈夫!』


 っしゃ、と俺は思わずガッツポーズを作る。ニヤニヤしている福原さんに気付き、咳払いしながら手をぶらりと下げる。


『古典もちゃんと解けたよ。圭くんに教えてもらったところも』


「それは、良かったです。でも先輩の実力ですよ」


『えへへ、そうかな。……さて、二次試験か』


「それはもう大丈夫ですよ」


 実技試験、その先の大学生活、プロへの道。様々な才能との出会い、せめぎ合い。

 でも先輩なら。


「あれだけ凄い曲を書けるなら、どこへだって行けます」


『うん、ありがとう。……あのね』


「はい?」


 響いていた電車の到着メロディーが止まり、しゅわしゅわとしたノイズが増す。たくさんの人が、先輩の横を通って乗り降りしているらしい。


『私、受験終わってから、……』


 ドアが閉まりまーす、という音声が聞こえ、先輩は駆け出す。


 俺の心が早鐘を打ち出す。

 これは蓮がどうとか、悠長なことを言ってる場合じゃない。


『頑張ろうね』


「頑張りましょう」


 電車のドアが閉まる音と共に、電話は切れた。一つ息をつき、福原さんの方を振り向くと、ほらよ、とリンクへの鍵を投げ渡された。


「居ても立ってもいられないんだろ。今日は貸し切りキャンセルされて閉めるつもりだったけど、特別だ、存分に滑ってこい」


 頭を下げている間に、福原さんは冷蔵庫からビールを取り出して、今日は祝杯だ、とプルタブを引いた。


「え、一昨日もやったじゃないですか」


「六本入り買ったんだ。いいビールなんだぞ、これ」


 残りは嬢ちゃんの合格祝い、蓮のジュニア世界一、と勘定し始める福原さんを見て、このスケートリンクで育てられて本当に良かった、と俺はクスクス笑った。


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