五章 冷酷な勇者

豹変

 

 ――この世界はなんて不自然なのでしょう。


 それが、ステュが抱いた感想だった。


 森の外で、空気中に濃密に溶け込んでいるのは、何者かの意思がこもった魔力。それは大きく何かを変える程の力は無いが、それ故に気付きにくく、人々の深くまでを侵し易い。

 エドンシティの小さな宿屋でステュがそれを話すと、スイは「やはりか」と呟いた。


「スイ、さっきはどうしたの?」


 ミラがギルドでのスイの暴挙を問うが、スイの意識はここにあらず。

 沈黙が流れた後に運ばれてきた料理によって、スイの口は漸く開かれた。


「ここの料理が美味いんだ。いつか王都でも食べられる様になれば良いな」


「ふふー、どーもどーも!まさかおにーさんが勇者様だったとは……。これは少しのおまけですよー!」


 スイが一人で訪れた事のある、海鮮料理が食べられる宿屋。ここの娘はロイとステュを見ても驚いたのは最初だけだった。

「おにーさんのお仲間さんなら問題無いですよー」

 というのが彼女の出した答えだった。


 ステュはスイを見る。

 他者からこれ程信頼されるのは、勇者という立場だけが理由じゃ無いだろう。

 しかし。

 ステュには見えていた。

 少しずつ陰を濃くしていく、スイの心にかかった靄が。

 何故陰っているのか。

 勇者は今、何を思っているのか。



「明日は早朝に発つ。しっかり休んでおいてくれ」


 早くも料理を平らげたスイは一人、二階の部屋に上がっていく。


「いつにも増して近づき難いわね……」


 スイの背中を見送るミラが呟いた。

 ステュが問うような視線を向けると、ミラは苦々しく笑った。


「情け無いけど、今の私はスイの背中を追う事しか出来ないから……」


 言いながら思い出しているのはデヴィスの事だ。彼ならスイの力になれた。スイとの信頼関係も浅くなかった。きっとスイの隣に立っていただろう。

 しかし自分はデヴィスじゃない。ミラのその考えが、スイに深く問う事を咎めたのだ。


「でも、きっと隣に立てる日が来ます。私もスイ様の力になれるよう努めます!」


 綺麗な瞳を輝かせながら拳を握るステュに微笑みをこぼすミラとロイ。

 ロイは立ち上がり、「散歩してくる」と言いながら外套を羽織る。認識阻害の効果付きである為、騒ぎが起こる心配は少ない。スイと離れる時は騒ぎを起こさないように身を隠す事にしているのだ。

 ミラとステュは「気を付けて」と見送り、再び会話を始めた。ロイが宿を出る時には「スイ様はどんな性格なのですか」というステュの声と、ミラの苦笑いが聞こえていた。




「強くならなきゃ……」


 少年の呟きは虚空に消えた。

 見上げた月には雲がかかり。それでも紅の瞳を輝かせるくらいには明るかった。

 街の最東端――つまり、沿岸までやって来たロイは魔力を練り始める。

 足に魔力を込め、足裏から外に魔力を放出し、一歩一歩確かめながら歩み出す。空中ジャンプと同じ要領で、魔力によって足場を確立する。

 そのまま踏み出した足は海面に触れ、もう一歩を踏み出した時にロイは拳を握って喜びを表現した。


「すごい……水上歩行ですか?」


 背後から聞こえた声に驚いて振り向くと、外套に身を包んだ少女が立っていた。


「ステュか。……多分、宿屋の親父が言ってた水魔法の水上歩行とは違うと思うんだけど、どうかな?なんだか、やけに非効率的なんだ」


 ステュは「非効率的?」と首を傾げてから、ミラの話を思い出して笑った。

 スイの怠惰をロイが真似しないか心配だ、というミラの言葉だ。確かにスイの効率的な体力配分は見習う所だが、ロイには違うやり方が合ってるのでは、とステュも思った。


「水上歩行は水中の魔力を操作して、部分的に足場を固める魔法です。しかしロイくんのは、恐らく身体内の魔力を放出させて足場を作ってるのだと思います。だから空中ジャンプの様に多めの魔力を使ってしまっているのではないですか?」


「そうか、足場を作ろうとするから魔力を使い過ぎるのか……」


 納得した様にロイは海の上でピョンピョン跳ねる。それを笑顔で見守るステュは、ロイが岸に戻ってくるまで待っていた。


「疲れる、長時間の水上歩行は出来ないな……」


「それでもロイくん程身体の魔力を操れる人はあまりいないでしょう。誇っていいと思います。そもそも、種族的に苦手な事を成しているのだから凄い事ですよ」


 ステュはその力でロイを視ながら言った。ロイはステュの隣に腰かけ、「それでもなぁ……」と呟く。


「俺は兄貴の隣に立ちたいんだ。ミラ姉も言ってただろ?せめて一般人に出来る事くらい俺も出来るようになっておきたいんだ」


 ロイは宿屋の主人に敗北感を抱いていた。


「お気持ちはわかります。でも、私は違う努力をするべきだと思います。だって、足りない部分を補い合うのが仲間でしょう?スイ様よりも、他者よりも特化してる事がロイくんにはあると思います。模倣も大切ですけど、個性を伸ばした方が力になる筈です」


「ステュ……」


 聡明だと褒めようとするロイだが、「物語の仲間達がそうやって成長してましたから」と、ステュは謙遜した。


「ところで、スイ様の事なんですが……」


 スイの様子が変わってしまった事。

 ステュはパーティに加わったばかりだが、ミラと話して確信していた。

 エルフの里でスイの正義感を変える何かがあったのではないか。


「……わからない。いくら考えてもさっぱりだから、今は一緒に進むしかないと思う」


 ステュはその通りだ、と思いながらもモヤモヤした気持ちが晴れない。

「とりあえず今日は休もう」というロイの言葉で二人は宿に戻る事にした。






 翌日、スイの言葉通り早朝に街を出発した勇者パーティは、今までにないほど活動的だった。


「風撃迅雷」

「氷尖土爆」

「業火閃光」

「闇血隕黒」


 ミラは聞いた事も見た事も無い魔法を目の当たりにして言葉を失っていた。

 いや、それ以前に出発時から妙だったのだ。

 戦闘を嫌うスイが隠密を使用せず、寧ろ好戦的に魔物に向かって行く。

 そして今の様に明らかに敵の実力を超える魔法で叩きのめしている。

 ステュはともかく、ミラも、ロイですら手が出せない状況だ。


「ね、ねえ……明らかに魔力の消費が激しいでしょ、少し私たちに任せて……」


 しかし言い切らない内に新たな敵が現れる。争いの音に、血の匂いに釣られてやって来たのか、高ランクの魔物である“アーマーキング”だった。


「で、デカイ……こんな奴初めて見たぞ」


 ロイの言う通り、スイの背丈の三倍もある魔物は鎧に覆われ、兜で隠れた顔は見えないが、その肉体も強靭であるだろう事は佇まいでわかるほどだ。

 そして目撃情報が有れば直ぐに討伐依頼が出される程の脅威は、推定ランクAからSだ。


「お前らは手を出すな」


「ちょっと!スイ!」


 何をそんなに燃えているのか。いつもの怠惰はどうしたのか。

 ミラの制止も聞かずにスイは全身からバチバチと魔力を溢れさせ、地を抉る勢いで蹴った。

 ロイはスイの魔力解放に魅了されていた。

 ロイも身体能力強化で近い状態になれるが、やはりあれ程の力には及ばない。手も届かないだろう。悔しさに拳を震わせながら見ていた。


 一方、ひとっ飛びでアーマーキングの肩の高さまで迫ったスイは、剣を抜かずに拳を叩きつけた。

 鎧の塊は地響きを立てながら身を転がすが、直ぐに立ち上がって腰の剣を振るう。

 スイはそれを受け止めるべく向かうが、やはり剣は抜かない。

 横薙ぎに払われた剣を左手で掴み、それを力の限り握りしめる。

 バキン、と音を鳴らして折れた剣に満足したスイは、剣を捨てて捨て身で迫るアーマーキングに右掌を向けた。

 そして――


「うわぁああ!」

「きゃっ!」

「!!」


 後方にいる仲間達にまで衝撃が伝わる程の、膨大な魔撃を放った。

 それはスイの魔力の質を現した青い稲妻。ただ、その規模は大きさを誇るアーマーキングを微塵も残さず消し去る程の威力で。


「やりすぎよ……」


 スイの変化に戸惑いを隠せないミラの呟きは、一瞬にして荒れたこの大地に似合う悲哀を込めていた。

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