刹那を生きる勇者

 

「こんばんわ!ようこそエドンシティ冒険者ギルドへ!」


「うむ。王都から来たのだが達成報告をしたい。しかし一件不測の事態があってその話はギルドマスターに頼めるか?」


 不思議と迷う事なく惑いの森を抜けて来たスイは、日が暮れた時間にエドンシティに到着し、報告を済ませようとする。

 この世界における亜人の扱いは、短い時間でよく知った。故に「鼠はエルフの悪戯でした」なんて言ったら、森に火が放たれるのではないかとスイは危惧したのだ。それが理由でギルドマスターだけに密かに報告と脅しを行なっておこうと考えたのだ。因みに脅しとは、「亜人に手を出したら貴様らの命は無いと思え」の一言と決めている。近いうちにやって来るロイの為に少しでも勇者は亜人賛成だと主張しておくのだ。

 だというのに。


「申し訳ありません。ギルドマスターは多忙故に次に面会できるのは二日後となっております。……あ、冒険者カードをお預かりします」


 それでは王都に戻ってオカマスターに報告した方が早いではないかと、スイは頭を悩ませる。

 そんなスイに申し訳なさそうに冒険者カードを受け取った受付嬢は驚き声を上げる。


「スイ様…………?金髪碧眼……はっ!も、もしかして勇者スイ様ですね!?大変失礼しました!直ぐにマスターに取り次ぎます!」


「なんだ暇なんじゃないか」と顔を顰めるスイの呟きはギルド内のどよめきに埋もれて消えた。


「おい、勇者だってよ?」

「まさか、あんなちっこいのが?」

「なんで一人でこんな所にいんだよ」


「お待たせしました!ご案内します!どうぞこちらへ」


 いつもの様に冒険者の声を無視していたスイは、奥から戻って来た受付嬢に連れられて二階へと上がっていく。

 ギルドの造りはどこも似たようなものだなと辺りを見回しながら歩いていたスイは、派手に装飾された部屋の扉に立たされた。


「入って」


 ぶっきらぼうな声に招かれて、無愛想な表情で扉を開けるスイ。受付嬢は一礼して下の階へ戻っていった。


 中に居たのは白髪の壮年女性。口の端に加えた葉巻は安価ではなさそうだ。鋭い緑目がスイを見据えて、「ソファにかけてちょうだい」と一言。

 スイはドサッと腰を下ろすと、視線で訴えた。話して良いかと。


「聞くわ」


 スイの目をチラリと見てから女は言った。

 若くはないが老いてもいないこの女性は働き盛りといった所か。忙しく書類に目を通している姿はスイとは真逆だ。しかしスイは少しの親近感を覚えた。それは必要最低限のコミュニケーションだ。怠惰故にそうするスイとは違い、忙しさ故に口数の少ない彼女だが、アミゴなんかよりよっぽど面倒ではない。満足気に頷きながら、スイはやはり手短に話した。


「この依頼だ。魔鼠は変化したエルフだった。問題は解決した。彼女らに手を出すな」


 しかし思いの外、手短には終わりそうもなかった。

 葉巻を口から落とした女はわなわな震えていた。


「……おい、エルフがここまで出て来たってのかい?解決したって、バカ言うんじゃないよ!何が目的だったんだ!?人の里を滅ぼすつもりか!?何か強力な魔法でも生み出したか!?クソっ!ただでさえ魔族に怯えてる人族に新たな不安を抱かせるんじゃねぇ……」


 ――ここまで嫌悪されてるのか。

 やはりどいつもこいつもめんどっちぃな。期待したのは間違いだった。

 そんな気持ちを込めてスイは大きく溜息をついた。


「被害妄想が過ぎるぞ。あいつらが今までに何をしたって言うんだ。今後も何も起こらない。俺が保証する。だからお前らも手を出すな。さもなくば――」


 立ち上がったスイの怒気を含んだ声に怯えて、エドンシティのギルドマスターは見開いた目でスイを見上げる。口から落とした葉巻が書類に火を付けている事にも気付いていない。


「――貴様ら全員命は無いと思え」


 殺気を込めて言い終えた後に書類の火を無詠唱の水魔法で鎮火し、「ジュッ」と上がった蒸気の後ろ側で女がブンブンと首を縦に振っていた。それを確認したスイは部屋を出て、階下に降りる。




「あ、お疲れ様です!」


「明朝にまた来る。報酬は用意しておいてくれ」


 スイはそれだけ言うと、近寄ってくる冒険者達の間を潜り抜けて外へ出た。






『言霊』

 日本ではそんな言葉があったなと、スイは思い出す。それがどうしたと聞かれても答えようが無いが、スイは近頃、自分の言葉に籠る何かを感じていた。まあ必要最低限の言葉しか発しない自分には関係ないだろうと、スイは宿を探す。



 この街、エドンシティはケモンシティによく似ていた。海に隣接した街で、されど海の幸はない。まったく期待外れである。もう夜が更ける頃だし、適当な宿で食事をして寝よう。そう考えて入ったのは海沿いの小さくてこ綺麗な宿だ。


「いらっしゃーい!ご飯にする?お風呂にする?それとも……」


 扉を開いて入った先で、スイと変わらぬ歳の少女に迎えられた。しかし挨拶は最後まで言い切らず。


「おほほ、ごめんなさいね。冒険者さん?泊まりでいいのかしら?」


 痛そうな音を立ててゲンコツされた少女に代わって奥から出て来たのは、少女によく似た婦人だった。


「ああ。一泊と夕食を。……そうだな、食事が美味かったら明日の朝食も頂きたい」


 そう言うと、カウンターの奥の暖簾からジロリと光る目がスイを覗いた。


「あらまぁ、挑戦的なお客様ですわねぇ。直ぐ準備するのでお席でお待ち下さいな。きっと美味しいと思いますよ」


 痛む頭をさすりながらニマニマした少女に案内されて、スイはカウンターから最も遠い席に着く。婦人は少女の母で間違い無いだろう、母はしかめ面で少女の接客を遠くから眺めていた。


「まったくー、母は私がふざけると機嫌が悪くなるんですよー。困った困った。あ、そーだ。お客さん好き嫌いないでしょ?挑戦的な貴方に父さんが自信満々料理を作ると思うけどそれでいいかい?」


 スイは同じ席に座って寛ぎ始めた少女に「お前に困った」とジト目を向けてから、「美味い料理が食えるならそれでいい」と言った。


「ふふ、なら楽しみにしてなー!……母さんが怖いからそろそろ戻ります……」


 いよいよ殺気を放ち始めた母の元に戻った少女は、暖簾をくぐって父の元へ避難したようだ。






「お待ちどう!お客さんいないし、あんちゃん育ちの良さそうな見た目してるから特別に作ってやったけど、これは誰にも内緒だよ!俺が仕留めてきた獲物を調理したんだから、この世界のどこにもない料理なのさ!」


 先程暖簾の奥から光っていた目はこの男のもので、彼が運んで来たそれは、スイが探し求めていたものであった。


「…………海の幸」


 この世界に来て僅か数日しか経っていないが、二度と食せないだろうと悲しみにくれていたものと、容易く出会うことが出来た。

 白、赤、橙の色の刺身の盛り合わせ。焼かれた魚は魔物の様な牙が生えているが、見るからに柔らかそうな白身が湯気に包まれ震えている。そして恐らく、店主が最も自信があるのはテーブルのど真ん中におかれた煮付けであろう。この世界で醤油に似た香りのソースは初めてだ。そこに混じる甘い香りは故郷を思い返すに十分すぎる素材だ。


「しかし、量が多いな。……皆でどうだ?」


「はは、実はそのつもりだったんだ。この料理は家族くらいしか知らないからな。今日はもう閉めようと思ってたし。悪いな、邪魔して」


「いや、いい。では、頂こう」


 少女とその両親が席に着いた所で、スイは手を合わせる。

 一人が好きなスイだが、食事時はいつも誰かと過ごす。それを嫌だと感じないのは、家族と過ごしていた日常を心が覚えているからだろうか。



「しかしどうやって漁を……海で獲物を仕留めたんだ?対した道具もないだろうに」


 何気無く発した問いに驚いたのは、この宿を経営する家族全員だ。



「な、なんで海の生物ってわかったのよ!」

「ていうか海の幸ってそういうことか……なるほど、そういう呼び方も良いな……」

「まさかこの人以外に得体の知れないもの食べる人がいるとは思えないし……」


 感心する父はともかく、最後の母の呟きに顔を引攣らせるスイ。

 確かに考えてみれば、この父は皆が食そうとしない物を口に入れたのだ。きっと失敗も何度かしただろう。しかし彼の勇気によってスイは海の幸に出会うことが出来たのだ。宿屋の主人に感謝をしつつ、自分には『状態回復エフェクトヒール』があるから問題無いと心を落ち着ける。


「で、なんだっけ?あ、俺はそこそこ水魔法が使えるからな。水上歩行して、水柱で打ち上げた獲物を捕獲してるんだ。でも本当に内緒だぞ?俺が腹壊しながら見つけた美食なんだから、獲りすぎて絶滅させたくないのさ。で、どうだ?味の方は」


「最高だ。明朝は米に少しの酸味を合わせて、その上にこの刺身をのせてみてくれ。ソースは……この煮付けのソースの甘味を除いた味が良いな」


「おお!想像すると確かに美味そうだ!やってみるぜ!アンタってセンスあるんだな!」


 異世界人にも伝わる様に海鮮丼の説明をするスイ。そんなこんなで美味しい夜は更けてゆく――。





 ――――――――――――――






「え!もう行っちゃうんですか!今夜はどちらに?」


「さあな。まあまた来る。飯が美味かったからな」


 翌朝、海鮮丼に満足したスイは、日が昇りきらない内に宿を出た。

 向かう先は勿論ギルド。






「あ、おはようございますスイ様!報酬が出てます。それから、ギルドマスターが謝罪しておりましたが……」


「ああ、気にするなと言っておけ。……ふむ、全ての依頼がクリアか」


 鼠の依頼はギルドマスターが上手いこと誤魔化したのだろう、三件分の報酬を受け取り、スイは依頼ボードに向かう。


「あ!あと、Aランクに上がりましたので、スイ様には全ての依頼の受注が許されます!おめでとうございます」


 つまりスイは一日目にしてAランクまで上り詰めたのだ。しかしここからが、Sランクになるまでが最も遠いのだ。

 スイは今日も片っ端から依頼表を剥がし、受付に持っていく。Sランク依頼は滅多に出ず、この日もそうだった為、Aランク依頼とBランク依頼のみを剥がした。


「……まあ、実績はありますからね、えぇ……お受けしますよ……では、お気を付けて……」


 やはり普通ではない量の依頼を受けるスイは驚きと心配の混じった受付嬢に見送られるのだった。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 勇者が入ってきて、出て行くまで。どれくらいの時間だっただろうか。

 報酬を受け取り、ランクアップの報告を聞き、依頼を受注する。

 これは一人のCランク冒険者がボードの前で悩んでいる時間の内に起こったことだ。彼が遅いのではない。勇者が早いのだ。


 そんな考察を練っているのは吟遊詩人のユヒト。




 昨夜、いつも通りギルドで詩を作っていた時、只者ならぬ雰囲気の美少年が入って来たのだ。


 ――彼こそが物語の英雄だ。


 そう感じたのは間違いではなかった。何せその直後に勇者だと判明したのだから。




 調べに調べた結果、彼はまだ冒険者登録して一日目だという。何故そこまで生き急ぐのか。彼は独りで何を目指しているのか。


 ユヒトは勇者が気になって仕様が無かった。




「あ、……え?お、おかえりなさ……ぃ、ませ?」


 昼前に勇者は帰って来た。受付嬢も驚いている。あれほどの依頼をクリアするには早すぎる時間だ。まさか依頼失敗の報告か?

 しかしユヒトの予想は裏切られる。


「…………!!!」


 無言でカウンターに提出した依頼表と沢山の素材を見て驚く受付嬢。当然だ。それは全ての依頼をクリアするに足りてる。

 ユヒトも驚きのあまり少しの間硬直していた。そう、たった少しの間だけ。

 それなのに勇者は再び大量の依頼表を持って受付にいたのだ。一体いつの間に。

 しかし彼は不満そうな表情だ。当然だろう。高ランクの依頼はやりつくしてしまって、残っていたのは低ランクの依頼なのだから。しかしそれまで受けるとは、彼は本当に――。


 ユヒトは危うく勇者を見送る所だった。

 ――彼の物語を唄いたい。

 その気持ちで昨夜から眠らずギルドで張り込んでいたのだ。少しくらい話を聞きたい。

 その気持ちで、少なくない冒険者の波を華麗に泳ぎながら外へ出る勇者へ追いついた。


「……貴方は!!」


 間一髪。勇者は膝を曲げたままユヒトを振り向いた。あり得ないとは思うが、あのまま空へ飛び立とうとでもしていたのだろうか。


「貴方は何故、刹那的に生きるのですか?」


 ユヒトはこれがずっと聞きたかったのだ。

 周りの冒険者が酒を飲んでいる間も、くだらぬ談笑を交わしている間も、勇者は一つでも多くの依頼をこなそうと動いていた。それは彼の過ごす時間は他の者よりも濃密で、価値があるんだと思うに十分であった。しかしそれは何故。彼ほどの者ならば、多少サボっても役目を全うできるだろう。それなのに、何故。



 ユヒトがそう思うのは、怠惰なスイを知らないからである。そしてもう一つユヒトの知らない事だが、スイは今日、朝の日課である『氷球アイスボール創り』を行なっていない。故に有り余った体力が、スイの口を開かせていたのだ。普段であれば無視であったのだが。


「ふっ、俺が刹那的に生きる理由か。面白い事を聞くな。詩人か?……そうだな、それは――」


 ユヒトは大きく驚いた。まさか名乗ってもいない自分を見破るとは。

 同じ様にここにミライアがいれば彼女も驚くだろう。スイが調子に乗っている、と。

 そしてスイは静かに響く声で言った。




「今日とは違う明日を求めているからさ」




 ユヒトは衝撃を受けた。魔法師の雷魔法を受けたのかと錯覚するほどだ。

 ――これが勇者の言葉。

 それは短くて、されど複雑で、心の中で濃厚に絡み合って、まるでワインの様な深さを秘めている――ユヒトはそう感じた。





 そしてどれほど時間が経っただろうか。

 あまりの衝撃に固まるユヒトは、再び勇者の姿を見つけた。というかギルドの前で長時間硬直する自分の前を通り過ぎてギルドの中に入っていった。因みにユヒトは通り行く人々に咎める様な視線を注がれていた事に気付いていない。情熱は時に、人を変態に陥れる。兎も角ユヒトはストーカーの如く勇者の後に続いてギルドに入った。



 案の定勇者は早くも依頼を達成しており、いよいよ受ける依頼がなくなった様だ。

 しかし、一つだけ依頼が残っていると、ユヒトは知っていた。

 勇者もどうやらそれに気付いた様で、ボードの一番高い所にある茶色の紙の依頼表をジャンプして取った。それが歳相応の少年に見えて少し微笑ましかった為、人外のジャンプ力は見なかった事にした。

 しかし何故茶色い依頼ボードに、茶色い紙で目立たぬ所に置かれているのか。それは――


「酷い依頼だな」


 勇者も呟いてしまう程、あり得ない依頼なのだ。



『アルバリウシス一周旅行』

 それはAランク冒険者限定の、個人が出した依頼だ。依頼主はアラン。戦う術は無く、彼の護衛をしながら彼の我儘を聞きながら、アルバリウシスを歩かなくてはならない。一周というと、一体どれほど時間がかかるのか。それなのに報酬は名も無き村のご馳走一食分だけだ。きっと依頼掲示の為に払った金でアランの全財産は尽きたのだろう。

 Aランク限定なのに報酬もしょぼく、時間もかかる。受ける者がいないからボードの手に取られない所に追いやられ、金が無いから白では無く、安い茶色紙を使われているのだろう。


 いくら勇者でもこれは受けないだろう。そう思ったユヒトだが――



「なんでっ!!?」


 勇者は悪態をついたのに一枚の依頼表を、受付に持って行ったのだ。受付嬢もやはり驚いている。



 そして当然の様に依頼を受けた勇者は、ギルドから出ようとして――


「待って下さい!」


 ユヒトに呼び止められる。


「酷い依頼なんでしょう?何故貴方は……」


 スイはまだ調子に乗っている。


「ああ、確かに酷い依頼だ。だが――」


 ギルド内の全員が聞き耳を立てている。






「切実な願いだ」






 ――パタン。



 勇者が出て行った扉を皆が見つめていた。

 そして一拍置いた後。


「「「「うぉおぉお!」」」」

「かっけぇ!あれが勇者だ!」

「おい吟遊詩人!お前も見習わなくちゃな!」


 このアルバリウシスには厨二病という概念が無い。

 故に調子に乗ったスイは格好良く見えるし、『漆黒の英雄』も同じ理由で人気だ。

 しかし厨二病とは後になって苦しむもの。


 スイがこの先覚える羞恥心など露知らず、勇者の話はユヒトによってこの先語り継がれるのだ。

 もっとも、これは少し先の話である。

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