宴
メリーは焦燥していた。
(どうして屋根に登りたいと……?)
早朝の王城の廊下で窓を開けようとするスイ。確かに本物もよく屋根に登っていた。しかしそんな所まで似せなくて良いだろう。誰かに見つかったら何を言われるか。いや、問題はそこじゃない。何かを言われてボロが出る事が問題なのだ。
そして、メリーの心配は現実になる。
「あ、メリー。丁度スイを探していたのよ。やっぱりギルドの登録くらい済ませておこうと思って。それにしてもスイは休日でも早起きね」
「ミライア様。……しかし折角だから丸一日休まれて貰ってはどうでしょう……?」
「そう?あ、そう言えば何日休むか聞いてなかったわね。デヴィスさんだって許しはしたけど早くスイにアルバリウシスを見て欲しいと言ってたわよ」
もう一人旅をしているからお気遣いなく、なんて言えないメリー。
「というかスイ、いつも以上に無口ね?そんなに疲れてたの?」
貴方はいつも以上にお喋りですね、なんて言えないメリー。
そんなメリーの焦燥感は積もって行く。微笑みの仮面を剥がさず、この場を乗り切る方法を探す。
そして一筋、緊張から頬を伝って汗が流れた。
それを横目で見た
「身代わりなんてめんどくさい」
言葉の意味を訪ねようとしたミライアは、次の瞬間スイの足元に現れた魔法陣に驚く。
「そ、それは召喚魔法陣!?」
召喚されたものが消える時、要因は三つある。
活動不能に陥る程ダメージを受けた時。
召喚時に注がれた魔力を使い果たした時。
召喚を行った魔法使いの意思。
しかし召喚された者の意思で消えるなど聞いた事がないとミライアは思う。
しかし魔法陣の中に消えたスイ。
「……ミライア、召喚魔法陣と言うのは本当に?それにスイ様が呟いた身代わりという言葉……もしや、勇者様はいつからか、偽物だったのでしょうか」
いつの間にかその場に現れたセバス。
(……スイ様……私には務まりませんでした……)
隠し通すどころか、一日も隠せなかった。
自身の不甲斐なさに失望しているメリーは言い訳も思い浮かばず。
それで黙り込んでいるおかげでメリーが共犯だと、二人にバレずに済んでいるのだから、メリーには好都合であり。
「せ、セバス様。おっしゃる通りかと……。デヴィスさんに知らせて騎士団を動かせますか?早く探さなくては……」
しかしメリーは口を開きかけた。スイ様は必ず戻ると。
だが早々に動き始めたミライアは窓から飛び降りてしまったし、セバスなど姿が見えなくなってしまった。
こうして騎士団が動くほどの事件を巻き起こした勇者であるが、彼は優秀な魔法の使い手である。
しかし優秀過ぎる故に、召喚した
自身の性格と強い魔力のせいで隠し通せなかったとは、皮肉な話だ。
しかし果たして、本当にそれが原因だったのだろうか。
メリーに苦労をかけたスイに対する、擬似人形からの罰だと考えるのは心なしだろうか。
擬似人形が消えてしまった今、誰も知る由はない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「くたばったか………
スイは背後で倒れたロイに近寄り、その傷を癒す。
「はっは。薄汚い獣人に対して、随分お優しいな?」
からかう様に近づいて来たのは獣族長ドリス。
「聞こえていたのか」
「ああ。ロイの思いも、貴方の優しさにも気付いているつもりだが?」
スイの優しさ、それは幼いロイを危険に晒したくない思い。だから突き放す様な事を言った。ましてこんな世界では先程スイが言った言葉よりももっと酷い罵声を浴びせられ、暴力だって振るわれるだろう。それならばこのまま里で暮らしていた方がいい。
「しかし、ロイはまだ貴方に付いて行きたがるだろう。この子は強い子だ……まあそれでも、先の貴方の言葉には傷付いた様だがね。恐らく父と重ねていたんじゃないか?」
最後の言葉に反応したスイ。
「こいつの親が……どうかしたか?」
「はっは。里では魔物の撃退を祝うみたいだね。勇者様も来てるし、軽い宴になりそうだ。積もる話は食事と一緒にどうだ?」
「めんどっちぃな」
スイはそう言いながらもついていった。
――――――――――――――
大きな焚き火の周りを囲う里の者達。ロイを治療室に運んだ後、そこで獣族長からロイの過去を聞いたスイは、パチパチ燃える炎に自身の過去を思い返していた。
『スイ!お父さんが投げるからこのボールを打つんだ。行くぞー。ほら、え、ちょっ、おいおい!飛び過ぎだ!ホームラン!あ!…………スイ、凄いじゃないか!え?ガラスが割れた?はは、謝れば許してもらえるさ……』
『スイ、今日は母さんの誕生日だろ?そう、クラッカーって言うんだ。音が鳴るやつ。え?クラッカーより凄いのがある?あ、帰って来たぞ!ほら、早く早く、母さんがドアを開けたら鳴らすんだぞ…………おい、なんだそれは。待て、火を付けるな、あ!母さんおめで……うわぁぁ!!……………………えーと、スイ。それは爆竹って言ってな、クラッカーとは違うんだ。家の中で使っちゃダメだし……まあ、なんだ……ふふ、はっはっは!まあ母さん、こんな誕生日もいいよな?』
「――しゃさま?ゆーしゃさま?どうして笑ってるんです?」
ロナに顔を覗き込まれ、右手で頬を揉みほぐすスイ。
「……なんでもない。ロナ、お前は父の事を覚えているのか?」
首を傾げた後に、寂しそうにはにかむロナ。
「私がお父さんと過ごしたのは短かったですから……。でも、ロイ兄ちゃんがいつも守ってくれたし、里の人も優しかったから、寂しくないです!何より、里の人は両親のこと褒めてくれるから、覚えてなくても、お父さんもお母さんも好きです!」
「そうか……」と呟くスイに料理が運ばれてくる。
「ささ、勇者様。是非食事を楽しんで下さい」
スイは眠ろうと思ったが、美味しそうに漂う香りに誘惑され、宴に付き合う事を決めた。
「頂く」
手を付けたのはボア肉のパテ。獣人だけあって肉料理が多く、その加工技術も高い。
「…………!!……!」
スイは無言で、無表情で食べ進める。
肉の香りを引き立てるハーブと、口の中で蕩けるような旨味。酸味の効いたソースがかかった山菜も非常に合う。
バケットに似たハードな食感のパンにウルフのレバームースを付けて食べれば、左手元に置かれた山葡萄のワインが止まらなくなる。
スイは感動に震えた。
怠惰な生活で唯一の楽しみと言えば食事だ。その考えで食事を大切にしてきたが、まだまだ浅はかであったと自覚した。
世にはこれほどの美味が溢れているのか。怠惰故に旅行は多くしなかったが、きっと日本で食べるフランス料理と本場で食べるフランス料理はこれほど違うのだろう。
スイは王都の食事も好きではあったが、獣人の肉加工技術は王都の誰も敵わないだろう。
息を飲むようにスイの感想を待っていた獣人達に、スイは言った。
「必ず……また来る。寧ろこれを作った者よ、お前が王都に来たとしても歓迎しよう」
スイは野草とソーセージのスープを嗜みながら言った。
「おおお!なんという幸せ!いつか必ず王都にて腕を振るいたい!」
料理を運んで来た狐耳の獣人が喜び、周りは「勇者様に認められたぞ!」と囃し立てる。
しかし勇者と言えど一存で許される事なのかと近くで聞いていたダイルは思ったが、水を差すのはよそうとスイに酒を注ぐ。
楽しい夜だった。
獣人にとっては人族との架け橋になってくれる勇者との宴は、未来に希望を持てるものだったし、人族のスイをロイの父に重ねて昔を懐かしむ者もいた。
スイにとっても一期一会の出会いに面倒な人間関係など感じず、美味い料理を純粋に楽しむ事が出来た。
だからスイはどんどん飲み、食べる。
「よし、ミナノモノ。この俺様が余興で貴様らを楽しませてヤル。そしたら俺はネル」
そして十五歳のスイは早々に酔っ払った。
「おお!」
「一体何をするんだ?」
「おい、起きろ、勇者様の余興が始まるぞ」
里の者達は目を輝かせ、ロナは眠い目を擦り、どこかへ行っていた獣族長は戻ってきて微笑んでいた。
「ふっ、この里を守る守護神を召喚する。そして貴様ら全員、この守護神から魔力の扱いを学べ。ただし守護神が下界に君臨する期間は長くない。全力で取り組むんだぞ」
「しゅ、守護神?」と訝しむ暇もなく、焚き火から少し離れた場所に魔法陣が現れる。
それは青白く夜を照らし、次の瞬間。
「ミャォォ」
「…………?」
召喚されたのは可愛く鳴く、大人一人ほどの大きさの白い獣、雪豹だった。
「え、あれが守護神……様?」
「まるで……ヒョウだな?」
肩透かしを食らったような里の者達。説明を受けようにも召喚獣の主人は雪豹の腹を枕に眠ってしまった。
「……あっはっは!勇者様、相当酔ってたんだな!しかし枕を召喚するとは!」
「しかし枕があの獣なら、確かに勇者クオリティだな。とても贅沢だ」
雪豹は確かにスイの酔った勢いで召喚された獣だ。
だが、誰も知らない。
スイが膨大な魔力を気絶するほど注ぎ込んで召喚した獣だと。
そしてこの獣が獣人の未来を切り開く事を。
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