第92話 皮肉

「はい、いつもの買い出しお願いするわね」


 年配の使用人がそう言って大きめの手提げ籠とメモを机の上に置いた。

 ここは屋敷の横に併設された使用人の宿舎兼事務所として使われている建物だ。

 そして買い出しをお願いされた人物はエレナ。

 主人達が使用する様々な日用品等は貴族用の品を取り扱う出入り業者から仕入れてはいるが、そうではない使用人達が使う仕事道具や日用品に関しては自分達で市場に買い出しに行く事になっていた。

 買い出しと言ってもその支払いは後日請求であるので金銭取り扱いの必要が無い荷物運びが主な業務である為、任期が浅く信頼がそれ程無くても務まる事から大抵新人の役目だ。

 この屋敷の一番の新人であるエレナは、余程仕事が立て込んでいなければ今回の様に買い出しに行く事がここ最近の日課となっていた。


「分かりました。それでは行ってまいります」


 いつも通り籠とメモを手に取ったエレナはそう言って頭を下げ出口に向かった。

 いつも通り……そういつも通りを装い宿舎の扉に手を掛けるエレナ。

 しかし、そのいつも通りの仕草に年配の使用人は少し違和感を感じた。

 この使用人は先代党首アルベルト以前からシュタインベルク家に仕えており、屋敷の使用人の中でも最古参の古株の彼女は、かつてはメイド長を務めた程の人物である。

 執事長であるオリヴァーよりも年配である彼女は、寄る年波に勝てずに自ら一線を退いた後、使用人達の教育係としてこの屋敷に籍を置いていた。

 厳しいながらも何者をも見捨てず丁寧に指導するその姿から使用人達の母親……いや歳的には祖母と言うべきか、そんな尊敬すべき存在としてその信頼はとても厚く、ローズの悪女時代において使用人達の士気が保てていたのは彼女のお陰と言えるだろう。

 それ程までに様々な使用人達と共に時を過ごしてきた彼女は長年の感と言うべきか、そのエレナのいつも通りの仕草がいつも通りではない、何か思い詰めている様に感じ取ったのだ。


「ちょっとお待ち、エレナ。あなた……何か悩み事でも有るんじゃないかしら?」


 ここ最近の異常な態度に周りの皆から距離を置かれているエレナだったが、彼女だけは親身になって接していた。

 執事長や、少しばかり特殊な事情を持つフレデリカ達はエレナの事をテオドールのスパイと疑っており、彼女にもその監視の要請をされていたものの、エレナに対して親身になっていた理由はそれらの要請とは関係無く彼女自身の本当の想いによるものだった。


 それは彼女の出自に由来する。

 長年シュタインベルク家に仕えている彼女。

 先代の死後にバルモアと共に王都にやって来たのだが、彼女自身の故郷はシュタインベルク伯領にある。

 シュタインベルク家に付き従う下級貴族の四女として生まれた彼女は、幼き日から将来主家であるシュタインベルク家のメイドとして仕える準備としてシュタインベルク本邸に出入りしており、文字通りシュタインベルク一族の生き字引と言える存在だ。

 そんな彼女で有るのだからシュタインベルク家周囲の様々な事情について、神童フレデリカの耳を以ってさえ知り得ぬ情報まで把握している。

 その中にはエレナの母親の事も含まれていた。


 そして、そのアンリが現当主バルモアと現領主テオドール達の身分を超えた幼馴染である事も……。


 少々出が悪い庶民であったアンリがどう言う経緯でシュタインベルク家本邸のメイドとなったのかは、彼女がバルモアと共に王都に来る事となった以後の話なので推測の域を出ないのだが、先の戦乱にて母親を失ったと言う彼女がテオドールを頼ったのでは? そう彼女は考えている。

 皮肉な物だ……彼女はそう思った。


 時はバルモアとテオドールの幼少期まで遡る。


 当時既にシュタインべルク家のメイド長を務めていた彼女としては、伯爵家の子息達が館を抜け出して領都から少し離れた町に住む庶民達と遊んでいる事について悩みの種であった。

 人知れず密偵を使い調査したところ、二人のお目当てはただ庶民と遊ぶ事ではないらしい。

 どうやらある少女に会いに行く事が真の目的である事が分かった。

 その人物こそがアンリであり、町の外れに母親と二人で暮らしているとの事だ。

 そして、その母親はかつて別の領地にあった花街からの流れ者でアンリの父親については不明。

 つまりそう言う事なのだろう。

 今では生業はしておらず、町の市場で真面目に働いているとの事だが、その過去は消えない。


 「このままでは不味い」


 領主の跡取りに変な噂が広まる前に対応しなければと彼女は焦った。

 由緒正しきシュタインベルク家の次期党首となる者が、出の怪しい者と密会紛いの事をしているなどと知られる訳にはいかない。

 報告結果を握り潰し、これ以上会う事を止めさせようと秘密裏に妨害工作を画策する。


 バルモア達の屋敷逃亡を裏で手引きしていた庶民上がりだがその腕っぷしの強さから瞬く間に兵長の座まで登り詰めた若き日のオリヴァーに対して何度注意した事か。

 それに対してオリヴァーは兄弟の真の目的を知ってか知らずか『将来上に立つ人間が、下の者を知らずに善政なんて出来るかよ』と笑っていたのが、更に彼女の癇に障った。


 その憤る気持ちに変化が出たのはある出来事が切っ掛けだった。

 月に片手では足りない程の兄弟の脱走劇に業を煮やした彼女は、とうとう抜け出したバルモア達の跡をつけていき庶民達と遊ぶ現場を取り押さえ直接説教してやろうと計画する。


 当時のメイド長であった彼女は、主家の為ならばとその業務に命を捧げており、良く言えば真面目、悪く言えば頑固者と言える程の自他共に厳しい人物であった。

 その為、若い使用人達から恐れられており、そんな自分が本気で怒鳴り付けてやれば坊ちゃま達は元より庶民の子供など、恐れおののいて二度と二人に近付けないだろうと考えていた。


 なーに、領主のメイド長ともなると、有する権力はかなりのものだ。

 もし言う事を聞かないのであれば、実力行使で排除するのみ。

 全てはシュタインベルク家の輝かしい将来の為。

 自らの行いについて彼女はそう信じていた。


 その日も兄弟は屋敷から抜け出していく。

 行き先自体は分かっているので、彼らが屋敷を抜け出した後暫く経って目的地に向かった。

 程なくして町に到着した彼女は目的地である脱走犯が遊んでいると言う路地裏に辿り着く。

 建物の影からそっと様子を窺うと、確かに報告の通り遊ぶ庶民の中に兄弟の姿を見付けた。

 一応変装のつもりか二人は庶民の子供の服装に着替えていたが、滲み出る貴族の風格は隠せないようだ。

 明らかに浮いている二人の姿に彼女は思わず吹き出してしまった。


「さて、可愛い坊ちゃん達を誑かしていると言う奴は誰だろう?」


 彼女は庶民の中から不届き者を探す為に辺りを見回そうとしたのだが、その少女を見付けるのに時間は必要としなかった。

 兄弟の目線が物語っていると言う事もあったが、それだけではない。

 少女の着ている服自体はお世辞にも良い物とは言えず、下級とは言え貴族の出の彼女の目にはまるで使い古しの雑巾の様に映った。

 顔も髪も薄汚れている。

 いや、周りの子供も似た様な恰好では有ったが、少女の場合はそれが際立って見えたのだ。

 

 なぜならば、そんな物では隠せない程の……そうこの王国でも指折りの貴族である伯爵家子息の兄弟と勝るとも劣らない輝きを放っていたからだ。


 一瞬問題の『アンリ』は別の人物で、その少女は兄弟と同じ様にどこぞの貴族の令嬢が身分を偽りお忍びで遊びに来ているのかと思った。

 しかし、少女に呼び掛けるテオドールの口から出た言葉がそれを否定する。

 彼女の耳には確かに『アンリ』と聞こえた。


 そこで彼女は理解した。

 花街出身の母親と見目麗しいその娘。

 恐らく少女の父親は貴族なのであろう。

 愛人かそれとも一夜限りなのかは不明だが、望まざる貴族の子を宿した母親は身の危険を感じて花街を去った。

 そして、この町でひっそり母娘二人で暮らそうとしているのだろう……と。


 なんと可哀想な娘なのだ。

 彼女は少女を見てそう思った。

 これ程の器量の持ち主なのだから、巡り合わせが違っていれば愛人や娼婦の娘であろうと貴族の娘として拾い上げられていたかもしれない。

 政略結婚の駒としての人生かもしれないが、それでもボロを着て生活するよりマシだろう。

 貴族として生まれ貴族の女としての教育を受けて来た彼女の価値観では、少女の今の姿に同情を隠せないでいた。


 その同情心からこの場で飛び出して折角楽し気に笑っているその少女を怒鳴り付けるのを止める事にした。

 とは言え、やはり庶民である少女とこのまま過ごさせるのも、もし何か間違いなど起きれば大問題である。

 坊ちゃん達が帰った後、アンリとその母にこっそり接触し幾ばかの金貨を手切れ金として渡してこの町から離れ二度と会わない約束を交わさせようと彼女は画策した。

 代わりの住む場所の斡旋程度はしてやるつもりだったし、なんなら仕事も紹介しよう……と。


 夕暮れ時、いつも以上に遊んだ坊ちゃん達はやっと領都行きの馬車に乗った。

 領主の跡取りたる者がこんな遅くまで庶民と遊び呆けて……帰ったらお説教だと、心に決めた彼女は家路へと向かうアンリの跡を追う。

 報告では町外れの家と言う事だが、アンリが扉を開けて入ったその家を見て彼女は衝撃を受けた。

 それはアンリの服と同じく、貴族出身の彼女にとってよもや人が住めるのかと思う程のボロボロの掘っ立て小屋であったのだ。


 同情心が更に湧くと共に、これならばすぐに金貨に飛びついて町から去るだろう。

 それに出来る限り今より良い家を提供して実入りの良い仕事も斡旋してやろう。

 彼女はそう考えた。

 だが、アンリの母親と会った際にそんな上からの目線で物事を考えていた自分に恥じる事となる。




「そう……ですか。最近新しい友達が出来たと言っていたと思ったら……。分かりました。すぐにこの町から出て行きます」


 事情を聴いたアンリの母親は彼女の目をまっすぐ見てそう言った。

 しかし彼女はその言葉をすぐに受け止められないでいた。

 事情の説明でさえ、当初は多少辛辣な言葉で脅してやろうと思っていたのだが、彼女は慎重に言葉を選び最後は町からの退去を願い乞う形で頭を下げる事となる。

 何故ならば、アンリの母親もまたアンリ同様ボロを着ているだけでは抑えきれない輝き放っていた所為だ。

 言葉遣いや日々の生活で何処か疲れた様な顔色も庶民のソレではあったが、貴族の生まれである彼女にはその内側に隠されている『格』と言うべきか、その血が成せる高貴な風格を感じ取った。


 なぜこの様な人物がこんな所で住んでいるのだろう?

 もしかしたらどこぞの没落貴族の令嬢なのだろうか?

 だが、近年戦乱の足音が聞こえて来たとは言え、この国において最近廃爵した貴族の話は聞いた事が無い。

 元は花街から来たと言うが……、母親自体もアンリと同じく貴族の愛人の子供と言うのだろうか?

 母親の言葉のイントネーションの中に微かに王国とは異なる訛りを感じるので、何処か戦乱に喘ぐ他国からの流れ者かもしれない。

 どちらにせよ少なくとも数代の何処かに貴族の血が入っていると彼女は確信した。

 対面しているとまるで大奥様を前にしている様な錯覚に陥いる。

 ゴクリと唾を飲む。


 そして彼女は意を決して言葉を振り絞った。

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