第90話 もう一人の幼馴染

「う~ん、もう七月……いえいえ青草の月半ばも過ぎたって言うのに相変わらずここは涼しいわ」


 ローズはそう言って伸びをした。

 ここは屋敷の裏庭に有る樹木園。

 とても風通りも良く夏も真っ盛りとは言え、早朝ならひんやりと肌寒く感じる朝練後のお気に入りスポットとなっていた。

 今日も朝練を終えた身体の火照りを覚ます為にとフレデリカに湯浴みの準備をさせ、一人この場所へと足を運んでいる。

 ただ、ここへ来る理由には身体の火照りを冷ます以外にもう一つ理由が有った。

 しかし、その理由は毎回肩透かしに終わっている。

 そう、あの日から一度もは現れなかったのだ。

 今日も会えないのか……そう思った時だった。



「久し振りだな、ローズ」


 突然耳に届いたその声にローズは振り返り掛けたが、すぐに思い直して前を向く。

 そして、立ち止まり少し顔を伏せ口元が見えない様に大きく動かさずにその声に対して小さく言葉を返した。


「……そうですね。全然会いに来ないもんだからあれは夢だったのかと思い始めていたところですわ。


 ローズはそう言いながら、声の主――オズが身を隠している木に対して休んでいると言う演技をしながら背を預けた。

 屋敷から丸見えのこの場所では、幾らオズが気の後ろに身を隠していようとも、ローズが木に向かって立ち止まっていては怪しい事この上ない。

 どうやらオズは身を隠さないといけない立場な人物である様だ。

 それでなくとも年頃の貴族令嬢が屋敷に忍び込んだ男と会うなどと、どう言い逃れしようとも誤解しか生まない状況である。

 ローズはオズと共通の知り合いであろうオーディックとベルナルドにオズの正体を聞こうと思っていたが、今まで中々切り出す事が出来なかった。

 なにせオズはゲーム本編には登場していない人物であり、その容姿や態度から恐らく隠しキャラ――六人目の攻略対象であるとローズは推測しており、そして勿論その攻略する人物は主人公のエレナである。

 ローズの幼い頃からの知り合いであるらしいオズの存在を、共通の知人であるオーディックやベルナルドに明かす事が、オズの出現トリガーとなりエレナの前に登場する事が懸念されていた為だ。


 現在のローズは母が死ぬ前、悪女として悪名を馳せていた頃、そして前世である野江 水流の記憶を思い出した現在。

 その三つの人格が統合した存在である。

 それにより今のローズはオズの事を思い出していた。

 本当に幼き頃の記憶。

 そうローズは確かに彼と会っていた。


「……ローズ? う~む……どこか雰囲気が変わったな。一体どうしたのだ?」


 前回会った際とは違う落ち着いた様にオズはその心境の変化をローズに尋ねた。

 ローズはそれこそ先日本当の久し振りの再会を果たした際の方が、幼き頃と大きく違っていたのにと、少しだけ喉を鳴らして笑う。


「さぁ? 私は私ですわ。しかし、本当にお久し振りですね。


「なっ! その呼び方は!! もしかして我の事を思い出したのか?」


 オズはローズの言葉に思わず身を乗り出さんばかりの勢いで顔を出そうとしたが、すぐに自分の立場を思い出し顔を引っ込めた。

 しかし、背を向けているローズにはその姿が分からないものの、オズから立ち上る不満気な様子はありありと感じるのでその顔はにんまりと口角が上がるのを止められない。


「思い出しましたわ。お母様が死ぬずっと前。場所まではさすがに思い出せませんが、とても幼い頃良く遊んだことを覚えていますわ。あなたは私の最初のお友達ですもの。ねぇ? 。それとも昔の様にとお呼びしましょうか?」


 意識の統合と共に思い出したオズの記憶。

 場所はどこだったか? そこはとても綺麗な庭園で二人一緒に日が暮れるまで遊んだ。

 そう言えば、うちの中庭に似ていた気がする……、もしかして遊んだのはこの屋敷だったのかしら? とローズは更なる記憶の底を探る。

 オズの本当の名前はオージニアスと言う少しばかり仰々しい名前。

 しかも当時自分は『オズ』ではなく『オジュ』と呼んでいた。

 そのままでは長いからと彼の方から『僕の事はオジュと呼んで』と言って来たからだ。

 恐らくその時も本人は『オズ』と言おうとしたのだろうが、舌っ足らずで『ジュ』になったのだろう。

 言った後に顔を真っ赤にしていたが、自分が『オジュ』と呼んだら彼は恥ずかしそうに笑った事を記憶の底から拾い上げた。

 当時のオズは今の様に自身に満ち溢れている姿とは似ても似つかない。

 ずっと自分の後ろを大人しく付いて来る……そんなまるで弟みたいな男の子。

 年は同じ筈なのに自分より背が低く、遠くから目が合えば笑顔で駆けて来た事を覚えている。

 そして、目の前でコケて泣き出すのまでがセットだった。

 そんな泣き虫な彼をいつも宥めては頭を撫でる。

 とても大切な記憶だったのだろう。

 彼との日々は幼き自分の記憶の底にあるキラキラ光る宝箱の中に仕舞われていた。

 似ても似つかなくとも『オジュ』と『オズ』が同一人物だと言う事は、今も変わらないその澄んだ空色の双眸が『そうだ』と語ってくれたのだ。

 当時はまだ幼く異性に対して恋心と言うものは無かったが、今思えばあれはローズとしての初恋だったのかもしれない。

 

 地方伯の子息だったのだろうか? 王都に住んではいなかったようで、数ヶ月に一度この王都にやって来ては一緒に遊ぶと言う間柄だった。

 しかし、いつの頃からか王都に来る回数も減り、アンネリーゼが亡くなった後は会った記憶が無い。

 恐らくその事も悪女化の要因の一つだったのだろう。


 悪女のローズは過去を振り返らない。

 そして、前世の人格である野江 水流も過去を振り返らない。

 奇しくも同じ性格であるのだが、二人には大きな隔たりがあった。

 野江 水流は過去に捕らわれず、それを糧として前を向いて未来に進むのだが、悪女のローズは過去の全てを忘れただ闇雲に進むだけ。

 それは幼き日の悲しい自己防衛の結果だ。


 大切な母、そして大切な初恋の記憶。

 その二つの『大切』を失ったローズの心は、身の軋む様な寂しさを忘れる為に過去を振り返らない様になったのだと、ローズは記録を深く漁った事によって今更ながら悪女の頃の自分の心の変遷を自覚した。


 『なるほど~。昔シュナイザー様に辛く当たってトラウマを植え付けてしまったのは、当時の彼の姿が泣き虫だったオジュと被ったからなのね。幸せだった頃を思い出すと泣いちゃうから……。だからと言ってシュナイザー様には悪い事したわね~。今度謝っておかなくっちゃ』


 どの様な理由であれ、我が事ながら馬鹿な事をしたとローズは自分のしでかした過去の過ちを悔いた。


「そう言えば、どうして王都に来なくなったのです?」


 ちゃんとしたお別れの挨拶も出来ない内に逢いに来なくなった幼馴染にそう尋ねる。

 少し意地の悪い質問をしてしまったかと、ローズは少し反省した。

 子供だけで王都に来れる訳が無いのだから、来れなくなった理由はオズ本人に有る訳ではないのは分かっているのに、どうやら思った以上にオズが急に来なくなった事に対して拗ねている自分が居る事に驚いた。


「なんだと? お前はバルモア殿から何も聞いていないのか?」


 幼い頃のほろ苦い思い出に浸っていると、オズから思ってもみなかった言葉が返って来た。

 『聞いていなかった』と聞かれても、思い出した記憶の中にその答えは見つからない。

 ローズは思わず後ろを振り返ってしまった。


「『何も』って……どう言う事です?」


 木の裏に隠れているオズにそう問い掛ける。

 会わなくなったのには理由が有り、しかもそれは父バルモアが知る所らしい。

 本当に伝えられていないのか、それとも悪女のローズとなった後の事なのか。

 悪女のローズは悲しみを思い出さない様にと、過去を振り返らず全てを忘れると先に述べた通りだが、それは本当に忘れている訳ではなく、無造作に記憶の底に放り込んでいるだけであった。

 だから意識を統合した今となっては、記憶の底から悪女時代の記憶を掬い上げ思い出す事が出来る。

 しかしながら、未整理の記憶は曖昧な部分が多くあり、中にはその詳細が失われ輪郭でさえ朧げな物も幾つかある様だ。

 もしかするとその中の一つに来れなくなった理由の回答が含まれていたのだろうか? と該当しそうな記憶を漁った。


「こちらを向くのを止めるのだローズ」


「あっ、はい」


 そうだ! 今の姿を誰かに見られでもしようものなら、不審に思って駆け付けてくるかもしれない。

 そうすれば話を聞けないではないか。

 ローズはオズの言葉に慌てて木を背にし屋敷の方に向き直った。


「よし。まず聞きたい。ローズよ。私……いや我とローズの関係をどう認識しているのだ?」


「関係?」


「そうだ。我とローズがなぜ幼き頃城で会っていたのか? と言う事だ」


「え? あれ王城でしたの?」


 ローズはオズの言葉に驚きの声を上げる。

 記憶の中の場所が王城だったとは思ってもみなかった。

 庭園の造りが屋敷の中庭に似ているからてっきり……。

 そう言えばと、ローズは屋敷の中庭は王城の薔薇園を模して造られた物だと言う事を思い出した。

 屋内で遊んでいた記憶の風景も該当する場所は屋敷の中で思い当たらない。

 ならばあれはオズの言った通り王城での事だったのか、そう納得しかけたところでローズは疑問にぶつかった。


 『なんで私は城の中でオズと会っていたの?』


 理由が分からない。

 記憶を漁ってもその答えは出て来なかった。

 城に住んでいた? いやそんな筈はない。

 何よりオズ本人から『家に帰りたくない。ずっとここに住んでいたい。ローズと離れたくない』と言われた事があるのだから。


「ふぅ……思い出したと言ったのに肝心な事は全て忘れているではないか。……いや、関係については元よりバルモア殿やユリウス殿が本人には教えていなかった可能性も……ふむ……」


 呆れた声を上げたオズだが、最後の言葉は小さく何かを思案している様な物に変わっていく。

 木を介してオズの反対側に居たローズにはその全てを聞き取る事は出来なかったが、幾つか聞き取れた中でもその内容は驚きであった。

 父の名前は良いとしても、続いて挙げられた名が『ユリウス』であった事。

 この国に置いてその名を持つ者はそうは居ない。

 恐れを知らぬ愚かな庶民ならいざ知らず、貴族であれば決して付けようと思わないだろう。

 何故ならその名を無暗に使う事は不敬にあたるからだ。

 そして、ローズもその名の心当たりは当代において一人しかいなかった。


 つい先日出会ったばかりのその人物。

 ユリウス・コルネリウス・プロメシウム。

 この国……プロメ二ア王国の国王ユリウス十五世その人である。


 『いやいやいやいや! それはないでしょ。お父様の事は置いておいても陛下をユリウス殿なんて恐れ多い呼び方をする筈が無いし、何より二人の関係を隠すだの隠さないだの有り得ないわよ。うん、絶対私の聞き間違いだわ』


 本当に今更ながらこの国と国王の名前しっかりと噛締めながら、オズの口から零れた名前は『ユリなんとか』と言う別人の聞き間違いと現実逃避した。

 だって小さい声だったし……。

 どちらにせよ幾ら記憶を漁ってもオズとの関係は小さい頃に遊んだ幼馴染以上の存在と成り得る物は出て来ない。

 前回は『お前が思い出すまでは教えない』と言っていたが、幼馴染と言う事を思い出しただけでもその条件はクリアしただろう。

 二人の関係が如何なるものなのかは、おそらくオズの言葉通り幼い自分には知らされていなかったのかもしれない。

 ローズはこれ以上悩んでも解決しないだろうと思い、素直に答えを聞く事にした。


「すみません、オズ。良かったら教えて貰えないかしら。二人の関係ってどう言う事なの?」


「それは! いや……聞かされていないのなら、今我が言う事ではない。それに今の我にはその言葉を言う資格は無いのだ」


 背後から少し悔しそうな色の混じった言葉が聞こえて来た。

 とても悲痛で切ない言葉。

 その声を聞くと何故かローズは胸が締め付けられた。

 普段のローズ、と言うか野江 水流なら『資格とか関係無いわ。ちゃっちゃと喋りなさい』とでも言うのであろうが、オズから感じる想いはその言葉を出させるのに戸惑わせるほどとても重く深いものであったのだ。


「オズ……」


 ローズはただオズの名を呼ぶ事だけしか出来なかった。

 何も言えない二人の間を沈黙が支配する。

 どれくらい時間が流れただろう?

 二人は黙ったまま木を挟んだ隣り合わせで立っていた。


 このままではダメだ。

 折角の幼馴染との再会なのだから、楽しかった思い出話でもしようではないか。

 そう心を切り替えたローズが話を変えようと口を開きかけた時――。



「……ょうさまーー!」


 遠くから声が聞こえて来た。

 この声はフレデリカのようだ。

 どうやら一向に帰って来ない自分を心配して探しに来たのだろう。

 ローズは間の悪いフレデリカの登場に溜息を吐いた。


「ローズ……。済まないが注意を引いてくれないか? その隙に帰らせて貰おうか」


 背後から言葉が聞こえた。

 ローズは無言でその言葉に従い遠くに見えるフレデリカの元へ歩き出す。


「ごめんなさーーい。あまりに風が気持ちよくて寝そうになっていたわーーー!」


 そう大声を出しフレデリカに手を振った。

 それに気付いたフレデリカは遠目ながら呆れた顔で溜息を吐いている。

 しかしその顔には安堵の表情が浮かんでいた。


「……すまぬローズよ。近い内に必ず我達の関係を取り戻す事を約束する。それまで待っていてくれ」


 オズの言葉が耳に届く。

 ローズは振り返らず前を向き唇を動かさない様にオズに対して言葉を返す。


「楽しみにしていますわ。オジュ」


 ローズはそのままフレデリカの元に歩いて行った。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ここはとある貴族の屋敷の一室。

 貴族趣味に飽かせ豪華絢爛に飾り立てられている。

 雰囲気から執務室であるようだ。

 その最奥中央にこれまた華美な装飾に彩られた執務机に座っている人物は手に持つ報告書に眉を顰めていた。

 見事なカイゼル髭を蓄えたその貴族の男は報告書を読み終えるとバサッと机に放りだす。

 その目付きは鋭く身体より不満な感情を隠す事もせずに放っていた。


「ドライの奴め。王都より聞こえてくる噂とは全然違うではないか」


 その貴族の男はどうやら報告書に書かれていた内容に憤っているようだ。

 机の上に散らばった報告書の文面には『目標の本性は相も変わらず注意されたし。閣下へのお引き合わせは時期尚早と判断する』と、ある人物の噂とその本性の違いを伝えていた。


「本性など後からどうとでも出来るではないか。それよりこれ以上話が大きくなると民衆共を誤魔化せんぞ。しかも先日は王城に招かれたとも聞くし……」


 貴族の男はそう言葉を零して思案する。

 ある人物の事もそうだがもう一つ懸念事が有ると、貴族の男は更に眉を歪ませた。


「閣下はオージニアスの生存を信じておられる。早く所在を突き止めなければならぬ……。バルモアが王都不在の今、絶好の機会だと言うのに……。ドライはいつまで遊び惚けているのか……」


 静かながらも怒りを滲ませた言葉が執務室の中に響いた。

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