第84話 選択



「安心するのだローズよ。そうならぬように皆が動いておるのだしの。それにそこまで気負う事は無いぞ。おぬしの件は様々な事柄のほんの一部に過ぎやせん。それによって事態が大きく変わる事はないのだよ」


 ローズの決意を知ってか知らずか国王は優しい瞳でそう言った。

 今の言葉は確かにその通り。

 この国を取り巻く問題は数年前から起こっていたのだ。

 それらの問題にはローズが関係してる訳もなく、ただ悪女と言う不名誉な醜聞が世間を賑わしていただけ。

 

 だが、その通りではない事も確か。

 今は状況が変わってしまった。

 新たに巻き起こる数々の不穏な動きの発端にはローズの存在が関わっている。

 まさか既に消滅したと思っていた契約が形を歪に変えて復活しようとは思わなかった。


「そうだ、ローゼリンデよ。おぬしの心労を休める為にバルモアを呼び戻そうではないか。それならばおぬしも安心出来るであろう」


「え? そ、それは本当でございますか?」


 突然国王の口から思わぬ言葉が飛び出した。

 シナリオ展開を破壊する言葉をゲームの登場人物が言ってくるとは……。

 バルモアが死ななければ伯爵家没落の前提は覆る。

 ゲームシナリオ上強制イベントであるバルモアの死は、それ以降のローズの人生を180度変えるものだった。

 ローズの心が揺れる。

 色々とゲームシナリオから逸脱してしまったが、取り巻く環境がどうであれバルモアの生還は事態の好転に繋がるのではないか?


 そもそも周囲の皆と仲良く暮らす事の発端はバルモア死後、如何に伯爵家を存続させるかと言う所から始まった。

 当時は相手が父だと言う自覚は無く、ただイケメンだったバルモアを死なすには惜しいと言う少々邪な欲望であり、ゲームの中で胸を射られた所為で死亡したと言う情報からお守りに銀の皿を渡し、幾つかの注意を促す助言を与えた。

 但し、これらはあくまで保険であり本当に強制イベントを回避出来るなど当時のローズも思っていない。

 それも今しがたまで同じ考えであったが、過去を取り戻した今ではバルモアに対する愛情が心に宿っている。

 絶対に死なせたくない。

 国王に父の帰還をお願いしよう。

 国王の言葉に希望を見たローズの目に喜びが宿る。


「あぁそうだよ、ローゼリンデ。すぐにでもバルモアへ帰還の使いを送ろうではないか。ベルナルドよ、代わりに他の者を派遣しようと思うのだが、誰が良いかの?」


「そう言う事でしたらカナードは如何でしょうか? 彼なら同じ四英雄ですしローズの事情も知っております。喜んで代わりの任に就くでしょう」


「ふむ。それはいいのう。とは言え、まぁそれは今この場で決める事ではないかの。あとで会議をするとしよう」


「御意に」


「え?」


 ローズの目に宿った喜びに影が差した。

 目の前で国王とベルナルドが喋っている内容はなんだ?

 バルモアが帰る代わりに誰かを派遣?

 しかもベルナルドは同じ四英雄のカナード伯爵を指名し、国王は「それはいい」と了承した。

 今の会話が意味成す事は、今までただのゲームシナリオ上の設定だとしか思っていなかったが、四英雄と呼ばれる父がそこに居るべき理由が砦にはあったと言う事なのだ。

 実際にバルモアはその砦で死亡する。

 ただの野盗の不意打ちではなく、その砦とは既に生死に係る戦場なのではないか?


 今のローズは一般市民であった野江 水流だけではない。

 過去を思い出したローズは『救国の英雄』ローデリヒ=フォン=シュタインベルクの末孫であるのだ。

 死なせたくないと言う気持ちは変わらない。

 その場に居れば死ぬと言う未来も知っている。

 だが心に宿す貴族の誇り、そして何より自分可愛さの身代わりで他人を死地に送って良い筈が無い。

 後者は元の野江 水流でも譲れない矜持であった。

 その想いが、ローズの口を開かせた。


「陛下お待ちください。それはなりませぬ」


「なっ、なんと? バルモアの帰還を拒むと言うのか? それは一体どう言う事なのだ?」


 ローズの言葉に国王は驚きその真意を問い質してきた。

 その回答の前にローズは心の中の二人のローズと母に謝罪する。

 父バルモアを見捨てる様な真似をして御免なさいと。

 しかし、皆が首を振りその謝罪を拒んだ。

 それは、心の中の皆が同じ気持ちであり、他人の犠牲を良しとしない為だった。

 ローズは意を決して自分の選択を国王に告げる。


「私はローデリヒ様を始祖とする護国の家系でございます。そして父バルモアも先の大戦、そして今も任地にて家名を掛けてこの国の為にと日夜戦っているのです。その名誉ある任務を私などの為に穢したとなると始祖ローデリヒ様に顔向け出来ませんわ。陛下の慈悲による父の帰還のお話も、何か深遠なるお考えが有る事と存じますが、このローゼリンデ=フォン=シュタインベルク。父であるバルモア不在の間、見事シュタインベルク家を守り切ってみせます」


 この場に居た全ての者は、そう言い切ったローズの姿に誇り高く高貴なる光『ノブレス・オブリージュ』の輝きを見た。


「お、おぉぉ。ローゼリンデよ……、なんと立派な」


 貴族のあるべき姿として、こうも正しく高潔な宣言をされては国王であれど言い返せるものではない。

 首を大きく頷かせた。

 それはこの場に居る皆も同じである。

 そしてその心には一つの想いが強く宿った。


 『何が有ろうとも貴族の誇りに掛けてこの娘を守ってみせる』と……。




          ◇◆◇



「では、ローゼリンデよ。此度の謁見ご苦労であった。おぬしの決意しかと受け取った。またおぬしの改心は皆の祝福する所である事は覚えていてくれ。本当にすまなかったの」


 国王は玉座に腰を掛けながらローズに謁見の終わりを告げた。

 既にバルモアも自らの座に戻り、頼もしく育った 曾姪孫を優しく見詰めている。


「はっ、その言葉胸に刻み貴族の誇りを穢す事なく日夜邁進いたします」


 ローズはそう言って立ち上がり、カーテシーを行い頭を下げた。


「それでは陛下、そしてこの場に居られる皆様方、ご機嫌麗しゅうこと。これにて失礼いたします」


 そう言って謁見の間に敷かれた絨毯の上を出口の方向に向かって歩き出した。

 父を見殺しにする様な真似をして後悔はないかと言えば嘘になる。

 いまだにすぐにでも振り返って国王に父の帰還頼みたいと言う衝動に駆られているのも確か。

 しかし、真にローゼリンデ=フォン=シュタインベルクとして目覚めた今、それは貴族としての誇りが許さないのだ。

 だが、父を諦めた訳ではない。

 何か方法は有る筈だと思考を巡らせている。

 自分だけの浅慮では無理だろう。

 自分にはフレデリカに執事長。

 他にも沢山味方は居る。

 三人寄れば文殊の知恵と言うではないか。

 ローズの目には皆が幸せになる光明が見えていたのだった。







<<いやはや立派だねぇ~>>


 突然謁見の間を歩くローズの耳に響く筈のない声が届いた。

 その声を聞いたローズは慌てた素振りも無くゆっくりと振り返る。

 だが振り返った先に映った光景には少しばかり驚いたがそれだけだ。


「やっぱり出たわね」


 かつて野江 水流であった頃、この声と光景は一度見聞きしている。

 エレナとしてオーディックとの交際を認めてもらう際に国王と会い、そしてと会ったのだ。

 『やっぱり』と言葉にしたが、ローズとて本当に会えると思ってはいなかった。

 ゲームシナリオから外れた召喚イベントの発生。

 それにゲーム上有りもしない自分を取り巻く複雑な状況。

 もし、あの日見た異様な光景が幻ではなかったら何かしらのアプローチをしてくるのはこのタイミングだろうと思っていた。

 まさか本当にそうなるとは、面白いものね。

 ローズは心の中でくすりと笑った。

 

<<さっきの口上も格好良かったな~。うんうん>>


 目の前に居る何処か陽気な青年はそう言って笑っていた。

 その手には酒瓶が握られている。

 どうやらその陽気はただ単に酔っぱらっているだけの様だ。


「あたしに何か用なの? ゲームシステムさん。もしかして直接あたしを消そうと出て来たのかしら?」


 正体は分からないが、そんな感じなのだろう。

 この有り得ない光景が物語っている。

 周りは既に謁見の間ではなく何処かギリシャ建築の神殿の中に変わっていた。

 理屈など分からないが、そもそも転生自体有り得ないのだから今更驚く事も無いだろう。

 今のローズはそんな事で動揺しない。

 居るかどうかも分からないゲームシステムの影に怯えるよりも目の前に姿を現してくれた方がずっと良い。

 そう考えながら、ローズは目の前の青年が何を言ってくるのか待った。

 すると、消しに来たのかと言う問いに青年は噴き出した。


<<まっさか~。なんで僕がそんな事をしないといけないんだい?>>


「なんでって、あたしが脇役キャラの癖に好き勝手動いてるからよ。違うの?」


<<違う違う。僕はさっきのキミの言葉に感動して会いに来たくなっただけだよ>>


 その言葉にローズは首を傾げる。

 会いに来たくなった? 意味が分からない。


「へ~。なら何かご褒美でもくれるのかしら?」


<<ご褒美か~。それも良いかな。う~ん何が良いかな~。……あっそうだ! 元の世界に戻してあげるってのはどうだい?>>


「へ?」


 今目の前の青年がとんでもない事を言った。

 思わず自分の頬をつねる。


「痛っ!」


 痛みを感じたのでどうやら夢ではないらしい。


「えっと……今、元の世界に戻れるって言ったの?」


<<あぁそうさ。キミを元居た世界に戻してあげよう>>


 元の世界に戻れる?

 お母さんが、お父さんが、爺ちゃん先生が、姉を差し置いて先に結婚した憎いけど大好きな弟が、先輩が、それに生徒達が待つあの世界へ?

 とうの昔に諦めた故郷へ帰れると言う言葉にローズは心が揺れた。

 そして暫し考えた後、ローズは顔を上げる。

 彼女が選択する答えは最初から決まっているのだ。



「遠慮しとくわ」


<<えぇっ!? 良いのかい!?>>


 きっぱりと言い切ったローズの言葉に青年は酔いが醒めたかのように目を見開いて驚いていた。

 ローズの回答は彼の予想しない物だったらしい。


「えぇそうよ。私はローズとしてこの世界で生きていく事に決めたの。そりゃ前の世界に未練は有るわ。帰りたいと思う気持ちも確かにある。けど、この世界に生まれて今とても幸せよ。あなたのお陰か知らないけど、ありがとうね」


 このローズの言葉に目の前の青年は腕を組んで感心した顔で聞いていた。

 ローズの決意を理解したようだ。


<<いや~、本当に立派だねぇ~。感心するよ。まぁ、僕としてもそう言っていただけると助かるかな>>


「助かる? どう言う意味よ」


<<えへへへ~。実はさっきああ言ったけど、今の僕にはそんな力はもう残って無いんだよね>>


 青年はそう言って笑いながら頭を掻いた。

 この言葉にさすがのローズも顎が落ちんばかりに言葉を失い呆れかえる。


「はぁ~呆れた。けど良かったわ~。戻りたいとか言っていたらガッカリ度半端なかったもの」


<<ごめんね~。今の僕は言わば製作者の残留思念みたいなもんなんだよ。ただこのゲームの中を漂うだけのちっぽけな存在さ。だからキミを消すような事もゲームとしてのシナリオ展開に強制的に戻すなんて事も出来ないんだ。さっきキミが言った様なゲームシステムなんて大それた存在ではないんだよ>>


「なにそれ、幽霊みたいな物なの? じゃあ今日の展開は何? あんたの仕業じゃないって事?」


<<あぁそうさ。この世界はキミを中心に回っている。今日のイベントもキミの行動の結果だよ。ここは既にシナリオなんてとうの昔に壊れて消えた世界なのさ>>


 軽くメタ的なネタバレをされた気もするが、そもそもこの幽霊? の言う事を信じていいのか分からない。

 やはり夢なのだろうか?

 もう一度頬をつねってみた。


「痛っ!」


 やはり痛い。

 最近の夢って痛みを伴ったりするのかしら?

 ローズはそう首を捻る。


<<どうしたんだい? ……まぁいいか。今日僕がキミの前に現れたのは他でも無い。楽しい物を見せてくれたお礼を言いたかったんだ。ありがとう>>


 青年はそう言って頭を深く下げた。

 相変わらず青年のする事の意味が分からないと首を捻った。

 訳の分からない者にこれ以上時間を割いても無駄だろう。


「どういたしまして、幽霊さん。一つ聞かせて貰える?」


<<んん? なんだい? 答えられる事なら何でも答えるよ>>


「じゃあ聞くけど。……主人公にもこうやって会ってるの?」


 ただの脇役に開発者の残留思念とやらが接触してきたのだ。

 ならば主人公であるエレナにも接触していてもおかしくない。

 いや、少なくとも自分なんか以上に接触している可能性が高いだろう。

 なにか攻略のヒントを教えたりしていたのでは?

 最近のエレナの態度にそんな疑惑が湧いて来たので聞いてみる事にしたのだった。

 さぁどう返してくるだろう?

 とぼけるのだろうか?

 それとも正直に言うのだろうか?

 ローズはゴクリと息を飲みながら青年の回答を待った。

 しかし、目の前の青年はキョトンとした顔をしている。


「ど、どうしたのよ?」


<<主人公……って、一体何を言ってるんだい?>>


「はぁ?」


 最初目の前の青年が白を切ろうとしてるのだと思った。

 言えない内容を誤魔化す為に最初から知らない振りをすると言う作戦だ。

 しかし、その瞳にはどう見てもこちらの問いの回答を持っている様には見えなかった。

 本当に知らないのだろうか?

 それとも残留思念と言うのだから、既に色々と摩耗して情報が抜け落ちているのかもしれない。

 この役立たず! と心の中で罵った。


「何って、主人公と言ったらエレナでしょう。そして私がライバル役で悪役令嬢のローズじゃない」


<<あーーあぁ、あぁ。なるほどなるほど。うんうん、そうだったそうだった。いやいや、彼女には会ってないよ。会う必要も無いからね>>


 青年はあっけらかんとした顔でそう言った。

 会う必要が無いだって?

 それだけエレナの中の人は気を掛ける必要も無い程の強敵と言えるかもしれない。

 さすが五十周でこのゲームをクリアした無敵の主人公。

 と言う事は、エレナが急に態度を変えた事は何かの作戦なのだろうか?

 そう考察したローズはゴクリと唾を飲んだ。

 こうしては居られない。

 自分を含めて皆をハッピーエンドにするバッドエンドを迎えるには早く帰って対策を練らねば。


「分かりました。もういいわ。けど、これからはあまりポコポコ呼ばないでね。……ってそう言えば、今謁見の間なんだけど、あたしってばどうなってるの? もしかして皆の前で独り言言ってるとかじゃないでしょうね?」


 今まで余裕ぶっていたが、急に不安になって来た。

 よく考えたらこの変な青年に呼び止められるまで謁見の間に居たのだ。

 幻覚だけ見せられてペラペラと喋っていたら気が触れたと思われてもおかしくない。

 あれだけ恰好良く決めたのに、このままじゃ弁明の余地無く何らかの施設に入れられるのではないか?

 そう思ったローズは今更ながら幻覚の向こうに居るかもしれない国王達におかしく思われない様にと姿勢を正し澄ました顔をする。

 いや、既に完全にアウトなのだが、ワンチャンに掛けた。


<<あぁその事かい? 大丈夫だよ。なにしろここはあの世界の狭間にある空間だ。それにあっちでは時が止まってる。帰るにはそのままさっき歩いていた方向に向かって歩き出せばいい。あと残念だけど最後の力を振り絞ったんで、もうキミをこの空間に呼ぶ事もお話する事も出来ないんだ>>


 その言葉を聞いてローズはホッと安堵の溜息を吐いた。

 それにもう呼ばれる事も無いらしい。

 色々と裏事情を聞きたい気もするが、主人公を忘れるくらいのポンコツなのだ。

 聞き出すだけでも一苦労しそうだとローズは思い、青年が言った様に先程向かっていた謁見の間の出口に向かって歩き出した。


「あぁそうだわ。最後にあなたの名前を教えてもらえるかしら? と言っても残留思念さんに名前が有るのか疑問だけど」


 一度立ち止まり振り返って青年にそう尋ねた。

 驚いた事に青年の姿が透けていた。

 最後の力を振り絞りローズを呼んだ代償でその姿を保つ事さえ出来なくなったのかもしれない。

 その姿に少し悲しく思い、そして少し呆れた。

 『私みたいな脇役よりこのゲームの主人公エレナを呼べば良かったのよ』と心の中で呟いた。


<<……もう時間が来たみたいだね。ほらこんなに透けて来ちゃった。はははは。僕の名前はコーモスさ。最後にもう一度言わせてくれ。ありがとう。キミに会えてよかった。これから頑張ってね、応援してるよ>>


 消えかけた青年はそう言って手を振っている。

 もう会えないかと思うと少し寂しいが、そもそもこんな出会い自体が有り得ないのだ。

 ただの夢と思い込みローズは青年に対して手を振りまたもと来た道を歩き出す。

 そしてローズの姿はこの空間から消えた。



 そこには一人残ったコーモスと名乗った青年だけが存在した。

 いやもう消えようとしている。

 彼が言った様に最後の力を振り絞ったのだろう。

 周囲の空間も徐々に消えようとしていた。

 消えゆく青年の顔には悲しみなど浮かんでいない。

 自分が残留思念と言う事を理解しており、そして力を振り絞らなくとも近い将来消えゆく定めなのを自覚していたからだ。

 彼は今満足している。

 それは最後にローズに会えたのだから。



<<ふふふ、おかしいよね。……な……にね>>


 言葉を最後まで言い終える前に青年はこの世界からその姿を消した。

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