第80話 ロイヤルブラッド

「おぉ、暫く見ぬ内におぬしの母であるアンネリーゼに似て来たではないか。うむうむ」


 ローズの拝謁の言葉を受けた国王は豊かに蓄えられた金色に輝くプラチナブロンドの顎髭を摩りながら、ローズを通してアンネリーゼの面影を見ているようだ。

 顔にうっすらと皺が有るものの顎髭量が物語る程は年齢を重ねていないように見える。

 ローズは年齢をベルナルドよりはやや下、バルモアよりは二周り上の頃合と推測した。


 『あぁ、もっと王様の情報を仕入れていれば良かったわ』


 後悔は先に立たぬものである。

 ローズとて、ある意味国王こそがローズと言うキャラクターにとってのラスボスだと言う事を重々承知はしていたのだが、不幸な事に今まで自慢としてきた三桁回数を越えるプレイ経験が、逆に判断を鈍らせる結果となってしまっていた。

 本来ローズが国王に会う展開など、ゲームシナリオ上は物語の佳境に差し掛かる合図と言えるイベントだったので、国王との直接対決はまだまだ先と思い込み、攻略対象にない王宮に関しての情報は後回しにしまっていた。

 本来野江 水流の性格では、石橋は叩いて渡り不確定の事項を不確定のまま希望的観測で楽観視などしなかったのではあるが、如何せんローズと言う存在がこの世界でかなり危うい立場に居た為、まずは目先の問題が多過ぎる。

 それこそ先の展開を知っていると言う油断から、国王と会う事などバルモア死亡イベント発生後か、最悪でも余程悪さしない限り起こらないと思い込んでいたのだ。


 だから今のローズが国王の事で知っているのは、体感時間でこの世界に来るほんの一時間前にプレイした初見の国王面会イベントでの情報のみ。

 しかも、その時は平民出のエレナ視点からだった為、伯爵令嬢と言うローズの立場とは全く異なる状況である。

 なによりそのイベントはエレナがオーディックとの交際を認めて貰う為のものだったのだから、そもそも参考にすらならないだろう。


 『はぁ……、今更怖気付いても遅いわよね。頭を切り替えていきましょう。まずは情報収集。国王が私を呼び出した真意を確かめないと』


 過去の後悔で悲観していい時間はとうに過ぎた。

 既に戦う覚悟を決めたローズは冷静にこの状況を打破する為に思考をフル回転させた。


「ありがとうございます。そう言っていただけると光栄ですわ陛下」


 それだけを言ってローズは頭を下げた。

 国王の言葉の裏に在る真意を探るには今はまだ情報が足り無過ぎる。

 ならばどうするのか?

 これはローズである野江 水流にとってはそれほど難しい事ではなかった。

 まずは相手に仕掛けさせ、それに合わせてこちらが動く。

 所謂『後の先』と呼ばれる戦法。

 幼い頃より剣術を修めて来た野江 水流は、師匠であった祖父より嫌と言うほど叩き込まれたものである。

 とは言うものの、本人としては『敵を知り己を知れば百戦危うからず』をモットーにして来たのだが、ここは攻略本も何も無い現実となったゲームの世界で有る為、そんな事を言っている場合じゃない。

 ローズは優雅に頭を下げながらも、国王の一挙手一投足から攻略の糸口を逃すまいと、その目その耳その肌に全神経を集中させた。


「うむ、その姿にその佇まい。最近王宮にまで聞こえしそなたの噂は真であるようじゃの」


 国王は目を細めて頷きながらローズを見詰めた。

 その瞳には何処か喜びに似た色が窺える。

 ローズの眼には国王が嘘を吐いている様には見えなかった。

 この眼で語るのならば、その噂と言うのは、ほんの一ヵ月半前までローズが行っていた悪行の数々ではないのだろう事が窺える。


 もしかして国王の言う通り噂を確かめる為に自分を呼んだのだろうか?

 一瞬そう思いかけたが、すぐさまローズは心の中で否定した。

 確かにそれが理由の一つでは有るのだろうが、それだけではないだろう。

 ここが執務室や応接室ならまだその解釈で問題無かったかもしれない。

 しかしながら、ここは謁見の間であるのだ。

 その程度ならわざわざ謁見の間に、しかも日々の職務に忙しい王国の重鎮達をズラリと並べ呼び付ける筈が無い。

 ただ、この国王の言葉は真意を知る為の足掛かりになる。

 そう思ったローズは探りを入れる為に言葉を選び国王に返す。


「お恥ずかしい限りですわ陛下。私などの事で陛下のお耳を煩わせてしまい恐縮の至りでございます」


 推測通り悪い噂ではない筈だ。

 少なくともこの世界で目が覚めた時から、野江 水流として生きて来た人生の信念においても、恥ずかしい行いはして来なかったと心から言えるのだから。

 号外も現物は見た事は無いが、フレデリカの話だと好意的な内容ばかりと聞いている。

 国王が最初にアンネリーゼの話を持ち出して来た事といい、噂で聞こえてくる悪名高いローズが心変わりした切っ掛けである夢見に立った母の真偽を問い質そうとしているのではないか?

 しかも様々な者からの情報を得ているだろう事は想像に難くない。

 ならば、無用な問答を続けて過去の発言との矛盾を突かれる事は避けなければならないだろう。

 そのためにローズは謙遜をした振りをして直接その思惑を引き摺り出す作戦に取る事にしたのだ。

 しかし、その思惑は少し違う様相を呈する結果となった。


「何を言うか、ローゼリンデよ。儂はおぬしの事はいつも気にかけておったのだ」


「えっ……?」


 急に国王は先程までの優しい表情と違い少しだけ顔色を厳しいものにしたかと思うと、少しばかり声のトーンを下げてそう答えた。

 そして、何かを思い悩むような顔をして顎髭を摩っている。

 ローズはその言葉に嘆きの様なものを感じ取った。

 国王のその想定とは違う答えに戸惑い、一瞬言葉を失う。

 国王はローズのその戸惑いに気付いたのか、少し首を振るとすぐさま優しい笑みを再び浮かべた。


「あぁ、んっんっ、こほん。……いや、なにしろおぬしの母であるアンネリーゼは、そこに居るベルナルド候のリューネブルク家の出の者であり、リューネブルク家自身本を正すと我より十代前の王弟殿が興した家であるのだ。その血を引くおぬしは言わば儂と遠い親戚みたいなもの。気にならぬ訳がないではないか」


 国王は先程の表情を誤魔化すかの様にその表情と同じ様に優しい口調となり、まるで先程の言葉を解説するかの如くそう話し掛けて来た。

 その言葉に思わずローズは驚きの声を上げ掛けたが何とか思い止まる事に成功する。

 これはローズの意思の強さと言うより、実際には言葉を失っていたと言う事の方が大きい。


 シュタインベルク家の出自については、フレデリカの授業にて平民出の騎士が功績を挙げて伯爵の位を賜ったと言う事は聞いており、その血筋がブルーブラッド貴族の血脈となるまで、他の貴族家との交わりを経て代を重ねる必要が有ったと言うことも知っている。

 しかし、その血の中にロイヤルブラッド王の血脈が入っているなどと言う話は出て来なかったのだ。

 それなのに自分には遠いながらも王家の血が流れていた。

 よもや自らの血に母親経由で王族に辿り着くとは。

 言われてみれば、確かに母親は侯爵であるベルナルドの姪孫であるのだから、少し考えればその可能性に気付けたかもしれない。


 いや、実際フレデリカ自体は知っていただろう。

 それを言わなかったのは、何もフレデリカがその事実を隠していた訳ではないと言う事をローズは知っている。

 何故ならば、フレデリカの授業は大変分かり易く物事を端的に教えてくれるのだが、その反面授業内容から外れる余談や四方山話に発展する事などは一切しないからだった。

 生徒達にとってはある意味つまらない先生と言えるのだが、自らも高校教師と言う過去を持つローズにおいては、その一つの無駄の無い授業進行には感心していたのも事実。

 なにより王家についてはローズ自体が後回しするように要請にしていた為、その授業の時まで特に語る気は無かったのではあるまいか?

 更に言えば、この事実はゲームに出て来なかったから野江 水流としては知らなかったが、そもそも元のローズ自体はこの事を周知の事実だった可能性も有り、その為フレデリカはあえて言わなかったと考えられるのだ。


 『そう言えば、オズが王子様かどうか確かめようとした時に邪魔が入ったまま王家の情報について有耶無耶になっちゃったのよね。お陰で脳内妄想は捗ったんだけど……。ちゃんと聞いておけば良かったわ。だけど……なるほどね』


 驚きはしながらも自らの血の事実に色々と疑問であった事に腑が落ちた思いであった。

 ゲームの悪役だからと言う理由で数々の悪業がシナリオ的に許されていた訳ではない。

 ちゃんと理由が有ったのだ。

 要するにローズのワガママが許されていたのは、英雄と称された伯爵や聖女として崇められた母の一人娘と言うだけではなく、遠いながらも王族の血を引いているからに他ならないと言う事らしい。


 『やはりゲームのローズは破滅への一歩手前まで来ていたんだわ。いつその悪行が王族の血を引きし者として許されない一線を越えるのかずっと監視していたのね』


 そう心の中で呟くと少しだけ気分が楽になった。

 今まで過剰に国王からの招待状に恐れていたのは、その意図が不明であったからだ。

 この場においてもそうである。

 一介の伯爵令嬢相手とは思えぬこの物々しい対応に理解が追いつかず恐怖していたに過ぎない。

 しかし、分かってしまえば対策の練り様が有ると言うもの。


「陛下、申し訳有りません。以前の私は無知蒙昧な子供でありました。それだけでなく今まで己の欲に塗れた行為の数々にて陛下のお心を煩わせ、此処に御座す皆様方や他の方々までにも多大に失礼な行為を行い、延いては王国の名誉を傷付け続けて参りまして謝罪の言葉も有りません。この罪は一生を掛け償っていきたいと思っております」


 ローズはそう言いながら、もう一度深く頭を下げた。

 これからも分かる通り、ローズが取った作戦は『自らの非を認め謝り倒す』と言う月並みなものだ。

 だが、ローズは自らの血の意味を知った事によりこの作戦の効果は絶大であると踏んでいる。

 ゲーム通りに悪役令嬢のままなら通用しないが、少なくとも今のローズはそうではない。

 多少なりとも自分に対する人々からの目が好意の色を含んで来ている事をローズは自覚していた。

 それに先程の言葉には真実が含まれてる。

 野江 水流としての意識が目覚める前の行いについては預かり知らぬ事とは言えど、今のこの身は悪役令嬢役であるローズに変わりはないのだ。

 数々の悪行にはそれ相応の責任が付いて回り、知らぬ存ぜぬは通用しない。


 今まで虐げて来た者達一人一人に謝る事も考えたが、それは歯痒いながらも貴族としてそう易々と行ってはいけないものらしい。

 以前ローズはフレデリカにポツリとその事を喋ったのだが、彼女に拒否されてしまった。

 彼女が言うには『貴族相手にはそれでも構いませんが、目下の者にはそれはまかりなりません。貴族には貴族としての贖罪の仕方が有りましょう』との事だ。

 貴族の贖罪の仕方とは、自らの権力が振るえる範囲での助力と言う事の様だ。

 ただ無制限に施しを与えるのではない、それではシュタインベルク家だけでなく貴族自体が舐められてしまう事となる。

 正直なところ一般庶民だった野江 水流にはピンと来ない話であるので、その裁量に関してはフレデリカに丸投げしていた。

 伯爵家名代とは言え、ただの小娘でしかないローズに取って振るえる権力などたかが知れているし、なによりフレデリカの神童時代の過去を知らないローズだが、彼女が行う貴族の贖罪については自身納得の内容であったので『さすがゲームのお助けキャラだわ』と全幅の信頼を寄せ任していたのだ。

 

 『さぁ、先手を切って自らの非は認めたわ。これでいきなりゲームオーバー伯爵家没落は無い筈よ。『罰として便所掃除な』とか言われても結構。ピッカピカにしてやるんだから』


 いまいち庶民感覚が抜けていないローズであるが、頭を下げたまま周囲の様子を窺いながら国王からの言葉を待った。


 ざわ……ざわ……


 ふと周囲の雰囲気に少し奇妙な違和感を覚えた。

 国王だけでなく居並ぶ貴族達からも溜息や思い悩む唸る声が聞こえてくる。

 ローズは慌てて顔を上げると、そこには皆がそれぞれ思案に耽っている顔が有った。

 何故その様な顔を皆がしているのかローズは理解出来ない。


「あ、あの……何か失礼な事を言ってしまったのでしょうか?」


 想定外の皆の挙動に頭が真っ白になってしまったローズの口から、自らの非を問う言葉が零れた。

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