第61話 秘密会議

「ご苦労様ーー!! ありがとうね! お陰で大成功だったわ」


 サーシャによる新事業発表会も終わり、現在はベルクヴァイン家の食堂にて打ち上げ会が行われていた。

 ここに居るメンバーは舞踏会をぶっ潰した張本人であるサーシャ、それにその夫のミヒャエル公爵。

 その潰された舞踏会を主催した派閥長であるベルナルド侯爵、派閥三大伯爵筆頭のカナード伯爵と三位のカール伯爵にオーディックと言ったベルナルド派閥首脳陣メンバーだ。

 そしてローズやそれぞれのお付きの者達も参加する事になっている。

 と言っても、カールの娘であるシャルロッテはあの騒動以降姿を見せていないので、この場には居ない。

 カールも家に戻ったのだろうと思っており心配はしていなかった。

 勿論この打ち上げ会は秘密裏で行われており、他の派閥の者達には発表会が終わった後サーシャ自ら頭を下げ舞踏会を潰した事を謝罪して帰って貰っている。


 打ち上げはサーシャの一人芝居の如く怒涛の喋りで進行していく。

 皆が皆作戦の成功に喜んでいた。

 とは言え、現在ローズはこの場に居ない。

 つい先程部屋から出て行ったからだ。


「なぁ、ローズは何処に行ったんだ?」


「オーディック様。それは殿方がするには、少々デリカシーが足りないご質問です」


 オーディックの質問にそう返すフレデリカ。

 その言葉でローズ不在の理由を悟ったオーディックが少し照れて目を逸らした。


「い、いや、お前が付いていかないから、何が有ったんだと思ったんだよ」


「お嬢様は、際にはお一人で向かわれるのがお好きなご様子。今はそうでも有りませんが、昔は付いて行くなどと言おうものなら、『子供扱いしないで』と激しく罵倒されたものですわ」


 この場に居る皆はその様が思い浮かんでいた。

 『子供扱いしないで』は意訳だろう。

 わざわざ『激しく』と付けたのだから、その言葉に達するまでに十倍以上の長さの罵倒が続いた事は想像に難くない。


「そっか。まぁ俺の実家だから一人でも安全っちゃ安全だ。特に今日は、母上の無茶の所為で現在屋敷中を衛兵が警邏しているしな」


 オーディックがそう言って、恥ずかしい事を聞いてしまったのを無理に終わらせた。

 母親のサーシャが『まだまだ紳士には遠いわね』と言って溜息を吐くと、オーディックは抗議の声を上げるが周りはその様に笑っていた。


「それに、丁度良いだろう。ローズにはまだ知らせたくない話も有るしな。『神童』、おぬしが残った理由もそれだろう?」


 ベルナルドがそう言ってフレデリカを見る。

 その言葉にフレデリカはすました顔で会釈をした。


「フフフ、しかし、ベルナルド様もサーシャ様も人が悪い。この様な事を計画しているのなら最初から私も混ぜて頂ければ良かったのに。いやはや、数多の戦場を駆け抜けた私でも肝が冷えましたぞ」


 今回の計画を聞かされたカナードが苦笑しながらそう言った。

 秘密にされていたとは言え、カナードの心に怒りは湧いて来なかった。

 それ以上に本日目の前で繰り広げられた奇跡の出来事は、戦場でも味わった事の無い高揚感、まるで若き日に亡き妻と初めて出会った時の事を思い出すような胸躍る体験だったのだ。

 逆に感謝の気持ちさえ湧いてくる。


「本当に済まなかったな。しかし、言っておくがサーシャ様の件は儂も知らない事だったのだから許してくれ。それに計画と言っても、儂のはただ単にローズを皆に見せたかっただけなのだ。今のローズなら必ずや皆の信を得る事が出来ると確信していたのでな。正直こんな事になろうとは儂でさえ思っておらなんだのだよ」


 カナードの苦笑に、ベルナルドは同じく苦笑で返す。

 その言葉を受けて、確かに騒動の最中の狼狽振りは、いついかなる時も冷静で表情を崩さないベルナルドには有り得ないものだったと、カナードはベルナルドの驚き様を思い出して『くっく』と笑った。


「それは、私もよ。舞踏会ジャックは最初から計画していたけど、新規事業については今回発表する気は無かったの。まだ時期尚早だと思っていたし、なにより貴族婦人達を説得するには決め手が足りなかったもの」


 サーシャがベルナルドの言葉に言い訳するようにそう言った。

 ジャックする事自体が問題だろうと、ベルナルドは心の中でツッコんだ。


「なるほど、そうでしたか。それぞれが別の思惑で動いていたのですね。実の所、私もバルモアから頼まれていたのですよ。『娘を頼む』と。だからこの舞踏会の真の目的は心を入れ替えたローゼリンデのお披露目と言う事は分かっておりました。ただその後の騒動は……」


 カールがサーシャの言葉に少し笑いながらなるほどと頷いてそう語った。

 だが、言葉の最後で表情が真剣な物に変わる。

 皆が怪訝な顔をしてカールの顔を見た。


「申し訳ありませぬ。実はあの騒動の切っ掛けの一言。姿は見えなかったが、親ならわかる。あれは私の娘の声だった。あの一言で親友の娘であるローゼリンデだけでなく、この派閥自体に多大な迷惑を掛けてしまったのです」


 カールの絞り出すような悔恨の言葉に、この場に居た皆が驚いていた。

 確かに何処からか聞こえて来たあの声で会場の空気が一変した。

 興味が嫉妬に、そして怒りに変わっていたのだ。

 もしその言葉を言ったのがカールの娘シャルロッテなのだとしたら、その意図は明らかにローズへの攻撃である事は明白だろう。

 二人の仲の悪さは派閥を超えて貴族のみならず一般階級の者にまで知れ渡っている。

 顔を合わせれば喧嘩ばかり。

 急に立派になったローズに対して夫人達を使って陥れようと考えてもおかしくはない。

 無事だったから良いものの、下手したら命を落とす事だって有り得たのだ。

 そうでなくとも派閥が崩壊、暴動に加わった貴族家は罪人として、良くて国外追放、悪くて死罪となる者が出てもおかしくない程の不祥事である。

 令嬢同士の喧嘩で済むレベルを超えていた。

 皆はカールが語った事実に、複雑な思いで押し黙る。


「あの、発言よろしいでしょうか?」


 押し黙る中、フレデリカが声を上げた。

 一使用人が主人不在の中、これだけの大貴族を前に意見を述べると言う事にこの場に居る他の使用人達は驚いてどよめき声を上げた。

 本来ならば不敬である。

 それなりにこの場の貴族達と親交のあるカナードの古い友人であるお付きの使用人でさえ、この重苦しくも張り詰めた場において発言する事など、畏れ多くて出来ない。

 それなのに、まだ若く小娘と言ってもおかしくない使用人が何するものぞ? と驚いても仕方のない事だ。

 ただ、あの騒動を治めたのはローズの聖女の如き慈悲が大きいのでは有るが、その切っ掛けを作ったのはこの小娘なのは確かである。

 あの場において、暴徒と化した夫人達を機転による言葉だけで抑えるなど、交渉術の達人を自負する自分でも到底出来るものではないと、その手腕を認めていたのだが、だからこそフレデリカが何を言い出すのかと興味深く様子を伺う事にした。


 それは、フレデリカの素性を知っているベルナルド、それにミヒャエルも同じ事だった。

 彼女は、かつてとある司祭が起こした貴族脅迫事件の真の黒幕。

 本来なら死罪となってもおかしくないのではあるが、彼女の事を哀れに思ったベルナルドからの嘆願で、『二度と公言しない誓約』と『ベルナルド自ら監視する』と言う二つの条件の元、彼女が希望していたローズのお付きのメイドとして存在を許したのだった。

 その彼女が何を喋るのか?

 ベルナルドは「話したまえ」と、皆の気持ちを代弁する様に興味津々と言った面持ちでフレデリカの発言を許可した。


「ありがとうございます。では個人的な感想を述べさせて貰いますと、お嬢様に危害を加えたカール様のご令嬢シャルロッテ様の事は到底許せるものではないでしょう。しかしながら、暴動自体は私の言葉無くともサーシャ様によってになっていた事と思いますので、皆様が懸念する様な大事にはならなかったと思われます」


 皆がフレデリカの言葉に唸った。

 確かにその通りかもしれない。

 夫人達の暴動の発端はシャルロッテの言葉かもしれないが、その根源はサーシャのドレスに因るものだ。

 そのサーシャが会場に登場して止める様に言うだけであの暴動は止まっていたのだろう。

 だが……。


「う~ん、それは正しくも有り、間違っているとも言えるわね。少なくとも私の言葉でも暴動は止まったと思うけど、同じ結果にはならなかったわ」


 サーシャがフレデリカの言葉に苦笑しながらそう言った。

 『同じ結果にならなかった』と言う言葉に皆は頷く。

 止まりはしたが、同じ結果にはならなかっただろう。

 あの奇跡の光景は望むべくもなく、サーシャ一人の手柄としてローズを皆に認めさせるには至らなかった筈だ。


「ありがとうローズのメイドちゃん。あなたの機転のお陰で、今日が成功したと言えるわ。あの言葉が有ったから私の思い描いていた新事業の最後のピースが填まったのよ」


 そう言ってサーシャがフレデリカに向けて頭を下げた。

 使用人に対して元王族にして現公爵夫人が頭を下げる事に驚きはしたが、納得出来るものではあったからだ。

 あの混乱の中、全てを見通していたかの様なフレデリカの行動、それに今の言葉は彼女が只者ではなく、サーシャが頭を下げるに足る理由を持っている事を物語っていた。


「サーシャ様、頭をお上げ下さい。本当に凄いのはお嬢様なのですから。仕上げの杜撰さからサーシャ様の思惑を読み取ったまでは良かったのですが、その後は無策でした。全てはお嬢様に託したのです。それがあの様な慈悲のある行動を取られるとは、私の想像を超えておりました」


 一同はその言葉に同意する様に頷いた。

 どれだけ策を弄しても肝心のローズの態度如何で結果は変わっていた筈だ。

 まさか全てを許し、下の身分の者に頭を下げるなど、昔のローズ関係無しに貴族として考えられない事だった。

 ただ策に乗っただけでは有り得ないだろう。

 『慈愛の聖女』と呼ばれたアンネリーゼでさえ同じ結果になったかは分からない。

 あの感動の光景は今のローズだから有り得たのだ。


「だから、私はシャルロッテ様の事をお嬢様に委ねたいと思います。恐らくは皆様が考えられてる結果となると思いますが……」


 フレデリカの言葉に皆が再び頷いた。

 そう、今のローズならきっとこう言うだろう。

 『もう終わった事ですから、許すも何もないですわ』と。

 その時の顔を思い浮かべ、皆の顔に笑顔が浮かんだ。


「ははは、そうだな。ではカールよ。儂達はこれ以上この事について何も言わん。ローズに全てを託す。お前の娘の責を問うのはその後としようではないか」


 無罪放免とも取れるこの言葉にカールは安堵の表情を浮かべ「わかりました」と皆に向けて頭を下げた。


「では、ローズが戻るまで儂らだけの話をするとしよう。そうでないとローズが帰って来てしまうからの。いきなりですが、サーシャ様。 貴女が仰られていた、新規事業の発表を今回推し進めた真の目的とはやはり?」


 ローズの居ない間の秘密会議。

 その本題に入るべく、ベルナルドはサーシャに新事業の立ち上げを今回強行した理由を尋ねた。 


「えぇ、発表会でも言っていた通りよ。いつの間にかこの国の貴族の間で巣くってしまった贅沢と言う病。このままだと王国はそう遠くない未来にその病によって滅びてしまうわ」


 想像通りのその言葉に皆が唸る。

 確かに大戦後国内の経済復興の為に、貴族達はあえて私財を投げ打って市場に金を落とすと言う政策を行っていた。

 サーシャがブランドを立ち上げたのも本来はそれが目的であったし、それが今日に続く貴族の贅沢主義に繋がっている事も確かだろう。

 しかし、ここ最近の過熱振りは異常である。

 それはこの場に居る上級貴族であるベルナルド達だけでなく、下級貴族も含め貴族社会全体が自覚している事だった。

 分かっている事ながら、既に暴走列車の如く、自分達では贅沢を止める事が出来なくなっていたのだ。

 誰かがそう仕向けたのではないか? 王国の中枢に居る聡明な者達はそう睨んでいた。


「確かに貴族の贅沢によって消費される金に関して、残念ながら内需拡大には繋がらずどうやら外貨に多く流れていると言う報告が有りますね」


 人事院に勤めているカールが、税収に関しての報告書に書かれていた事を思い出し意見を述べた。

 市場を潤す為の金が他国に流れている。

 懸念すべき問題であった。


「そうなのよね。だから邦貨流出を防ぐその第一歩として、私の得意分野である服飾系の再生事業を始めようと思ったの。変わってしまった皆の意識をいきなり変えるのは無理だわ。だから小さい事からコツコツと頑張るしかないのよ。だから本当にローズちゃんには感謝しないと。今日彼女がアンナのドレスを着てくれていなかったらまた先送りになっていたわ。これに関しては新ブランドの名付け親のメイドちゃんにも感謝しないとね」


 サーシャがそう言ってフレデリカに笑い掛ける。

 フレデリカは素直に「ありがとうございます」と頭を下げた。

 さすがのフレデリカでも自分の思い付きの言葉がブランド名になり、しかも王都中の女性達を自らの屋敷に招くなんて事は予想出来なかったのだ。

 サーシャの行動力の凄さにフレデリカは心から敬服していた。


「して、この件の黒幕は、我らの予想通り……」


 ベルナルドが、そう言ってミヒャエルに尋ねた。


「えぇ、恐らくは……。それにこの王国内にも手引きする者が居ると言う事ですよ」


 ミヒャエルの言葉に皆が溜息を吐く。

 嘆かわしい事だと、皆は各々愚痴を零した。


「まぁ、それについてはバルモア殿の働きに期待しましょうか」


 重くなった空気を吹き飛ばす様に、ミヒャエルが杯を掲げ明るい声で皆に声を掛けた。

 バルモア達はその言葉に同意し同じく杯を掲げる。


「そうですな。バルモアの健闘を祈りましょう。では、カンパーイ!」


 ベルナルドは乾杯の音頭を取り、杯を大きく掲げてから一気に酒を飲み干す。

 皆もそれに倣い一気に酒を飲み干した。

 遠い地で国家存亡を未然に防ぐ為に頑張っているであろうバルモアの事を思いながら。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「ふんふんふ~ん。はぁすっきりしたわ~」


 所変わってここはオーディック屋敷の化粧室WC

 出す物出してすっきりしたローズが鏡の前で手を洗っていた。


「しっかし、驚いたわ~。さすが公爵家のお屋敷ってところね。おトイレが水洗式だとは思わなかったわ~。スポットライトと言い時代考証無茶苦茶ね。多分開発者達がそこら辺調べるの面倒臭がったんだわ。けど素直にありがとう」


 と、まるで現代の高級ホテルの如く広々としたトイレにご満悦。

 鏡に向かってニコニコと独り言である。


「今日は色々と有ったわね~。早く帰って横になりたいわ~」


 ローズは今日有った事を思い出す。

 ローズの中の人である野江 水流は、一人でトイレに篭りながら考え事をするのが昔から癖となっていた。

 ここに来る際、当然フレデリカもお供すると言ってきたが、幼い頃から師匠であった祖父に『厠は一番隙が出来る場所、剣士たる者つれションなど言語道断』と時代錯誤な躾をされた所為で、学生時代も友達とつるんでトイレに行くと言う事が無かった為、丁重にお断りしたのだ。

 そんな訳で今日の事を一人整理していたのだが、やはり気になるのは白昼夢だ。

 あれは恐らくあの場所で行われたと言うアンネリーゼの葬儀の時のローズの記憶だろう。

 昔の壁の色を言い当てた事もローズの記憶が蘇ったのかも知れない。


「う~ん、何でかしらね。ローズの記憶が戻り掛けてるって事なのかしらね?」


「ローズの記憶?」


「えぇ、そうなのよって……え?」


 誰も居ないと思っていたトイレの手洗い場。

 ついつい大きな声で独り言を喋ってしまっていた。

 『今の誰?』とローズは慌ててその声の主の方に顔を向ける。

 そこは掃除用具入れのようだった。

 開いた扉から顔を覗かせていたのは……。



 もう一人の悪役令嬢であるシャルロッテだった。


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