第51話 思わぬ伏兵

「おぉ、素晴らしい……」

「噂で聞いてはいたが……これはこれは」


 会場の扉が開くと共にベルナルドのエスコートで会場に入ったローズ。

 その瞬間会場の空気が変った。

 一部の者は今回の舞踏会がローズのお披露目を兼ねている事を薄々感じている。

 しかし、同じ派閥と言えどもその事に対する思いは真逆の立場の者が居た。


 バルモア出立の日にその場に居た者に関しては、目の前で起こった奇跡のような光景に心を奪われ、ローズへの助力をローズとバルモア両人から請われた為、今回のお披露目に関して肯定的、それどころか中には全面的にバックアップを申し出るものもチラホラと現れている。

 しかしながら、その時に居なかった者達はローズのお披露目について否定的だ。


 これは当たり前である。

 今まで一番迷惑を被っていたのは同じ派閥の者達であるのだから。

 さすがの娘に甘いバルモアも他派閥との交流の会にローズを連れて行く事はしなかった。


 これも当たり前である。

 とある派閥に属する令嬢が、他派閥の者に迷惑を掛けると言う不祥事などは有ってはならない。

 それは派閥の立場の弱化を招く事になり、下手すれば派閥間の抗争にまで発展する恐れが有ったからだ。

 その為、ローズが出席する社交の場と言えば基本的には派閥内で行われるお茶会や舞踏会と言ったものばかりであったのだから、必然的に悪役令嬢の被害者は派閥内の者となる。

 派閥長の曾姪孫、ひいては『慈愛の聖女』とまで称えられたアンネリーゼの実娘と言う肩書きが無ければ派閥の崩壊にも繋がり兼ねない爆弾でも有った。


 実のところ、ベルナルド率いるこの派閥は崩壊の一歩手前まで来ていた事は確かである。

 その原因はまさしくローズであった。

 派閥長自らローズの狼藉には口を挟む事がなく、ローズの父である英雄バルモアも娘の不始末を周囲に謝りはすれど是正の色が見られない。

 派閥に対する求心力が低下して皆が離れて行ってもおかしくない、そんな瀬戸際だったのだ。

 バルモアが隣国への大使、その後国境の砦への赴任と言う任務に就く事になったのはそんな者達に対して大きな転機だった。

 ローズが伯爵家の名代となる事に嫌悪した者達は密かに派閥からの離脱を計画している者も少なくなく、本日欠席、若しくは代理人を立てた者達の真意とはそう言う理由によるものである。


 この様な動きが以前より有った事はベルナルドだけでなくバルモアも承知していた。

 自分と言う最大の庇護者が居なくなる、その事実に悩んだバルモアは秘密裏に『もし私が居ない間に娘が庇いきれない非道を行えば、司法の下で断罪しても構いません』との願いをベルナルドに託しており、ベルナルドにしても『そうならない様に最大の配慮はするが、もしも……と言う時は致し方あるまい』と覚悟を決めていたのである。


 それは文字通り断腸の思いだった。

 もしそうなれば、天国のアンネリーゼに顔向け出来ない。

 ローズがこうまで悪辣非道に育ってしまったのは自分達の所為である。

 自らを断首でも割腹でもして、その死をもって娘の罪を償い、それを恩赦としてローズを修道院に入れさせ神の名において罪を償う道を歩ませて頂くように国王に進言しようとまで考えていたのだ。


 しかし、そこまでの血の覚悟で臨んだ出立の日、ローズは変わった。

 まるで在りし日のアンネリーゼを思わせる言動の数々。

 二人は神に、そして今は神の御許で自分達を見守ってくれているアンネリーゼに感謝した。

 これならば、秘した思いを現実としなくても済むかもしれない。

 この事実に二人は歓喜し、安心して王都を後に出来る、安心して見送る事が出来る、そう確信したのである。

 その後ローズが語った夢見の母の言葉に関しては早馬にてすぐにバルモアの元へと届けられ、その報を見たバルモアはベルナルドと同じくその場で絶叫にも似た喜びの嗚咽と、絶対に生きて帰るとの誓いを新たに過酷な任務に臨む事を決意した。

 この決意は、後にバルモアより話を聞いた派遣隊全員の想いとなっている。


 しかしながら、その様な派閥長とバルモアの決死の想いを知らないローズに否定的な者達は、今回の舞踏会で今後の自分の身の拠り所を決めようと考えていた。

 一部、ローズが変わったと言う噂は流れて来てはいたものの、眉唾物な噂として信じている者は居ない。

 自分達の様な離脱を考える者に対する稚拙なプロパガンダ作戦とさえ考えていたのだ。

 しかし、そんな考えは吹っ飛んでしまった。

 何故ならば、ベルナルドのエスコートによって会場入りしたローズの姿に目を奪われ言葉を失ってしまったからだ。

 否定的な者達でさえ、ローズが綺麗である事は『伯爵の美しき愚女』と言う二つ名が示す通り、皆が認める事である。


 だが、目の前に現れた美女は本当にローズなのか?

 もしや、目の前の女性は天使か女神か? そこまで錯覚する者も少なくない。

 それ程までに、公爵家に雇われている超一流の仕立て師とメイク師の手によるお色直しによって、その魅力を十二分に引き出されたローズは素晴らしかったのである。


 これは何もシュタインベルク家の使用人達の腕が悪いと言う事ではない。

 彼ら彼女らも貴族家の使用人として一流の腕を持っており、更に以前のローズならいざ知らず、心を入れ替えたローズに対する忠誠心は高く、この晴れの舞台に使用人達は今まで以上に腕によりをかけて一生懸命に取り組んだそれはとても素晴らしいものだった。

 しかしながら公爵家の夫人、更に元は王女でもあるサーシャ専属の使用人達は言葉の通りレベルが違った。


 これもやはり仕方の無い事だった。

 『嵐を呼ぶ者』と呼ばれるサーシャは、貴族のマダム達からは別の意味合いで呼ばれている。

 その『嵐』とは流行を表す物。

 彼女の化粧法や、ドレスのデザイン、アクセサリーなどファッションの最先端を行く者として宮中だけでなく王国内の女性達の垂涎の的となっていた。

 即ち王国のファッションリーダーとして、彼女の後ろに流行が生まれ、皆がその流行に付いていく。

 新たな『流行を呼ぶ者』として称えられていたのであった。

 その嵐の担い手であるサーシャお付きの使用人達が本気で臨んだお色直しなので、いかに伯爵家の使用人の腕が良いと言えども、流行を追う者が流行を作る者に敵う筈がない。

 これがサーシャの思惑によるものだったのか、それともいつもの気紛れだったのかは押して知るべくもないが、事実それはまるで魔法でも使ったかと思える程の極上の仕上がりで、その場に居る貴族全員がローズ自身から光でも放っているかの様に錯覚した。


 『あれれ? 何で皆私を見たまま黙っちゃったのかしら?』


 そんな周囲の胸中を知らないローズは、入ったすぐはざわざわとしていた出席者達だが時間と共に口を開けたまま黙りこくった姿に動揺している。

 サーシャによって施されたお色直しと言う名の着せかえ人形遊びに何か不備は有ったのかと少し焦っていた。

 元の世界ではお洒落検定クソ雑魚級のローズにとって、この時代の最先端であるドレスの着熟しや化粧のテクは全く理解出来ないものであったのだから、伯爵家で施されたものと全く違う技術の数々を『いつもと違うけど大丈夫なのかしら?』程度にしか感じていなかったのだ。

 『もしかして、サーシャ様って娘が居なかったからその代わりに私に対してあれこれと試して遊んでいるのかしら?』とさえ考えていた。


 ドレス自体に関しても皺を伸ばすと言っていただけなのに、気付けば腰の位置を少しずらしてアンシンメトリな飾りを付けられたり、肩口に同色のレースにてボリュームを持たせたりと色々と魔改造されており、屋敷を出た頃の面影は無い物と変わり果てていた。

 見る者が見れば、それはそれは素晴らしい出来となっているのだが、そこはお洒落ではスライムにも余裕で負けるローズである。

 『ドレスを作った人ごめんなさい』と、恐らくドレスを仕立てた者が見れば『こんなデザインが有ったのか』と目から鱗が出たであろうこの世界の現時点においてその革新的なデザインに生まれ変わったこのドレスの良さが分からずに心の中で謝罪していた。


 またサーシャはアクセサリーについても妥協しなかった。

 ドレスの所々に自身のコレクションをふんだんに提供した。

 元はネックレスやブローチと言ったアクセサリーの台部分だけを取り外し、元からそう仕立てられたかのような装飾をドレスに施している。

 そして、今ローズがしているイヤリングはとても大切な品、王国の至宝と呼ばれても過言ではない物を身に付けていた。

 その存在を知る者は多くない。

 貴族が多数集まっているこの会場の中でさえ知っている者は居ないであろう。

 サーシャの息子であるオーディックでさえ聞かされていない宝物。

 それは王家に代々伝わるイヤリングで有り、初代国王が妃となる愛する娘に送ったと言われる代物であった。

 一説には国王が神から授かった神器とさえ言われている門外不出のまさに国宝である。

 何故そんな王国にとってとても重要なイヤリングをサーシャが持っていたのかと言うと、嫁入り道具として前国王に無理を言って強奪したからに他ならない。

 悪役令嬢のローズとは違う意味で荒唐無稽なサーシャの言動に逆らえる者は王宮でも居らず、またその荒唐無稽と思われる言動の数々は、後に重要な意味を持ち王国の助けとなる事も多々有った為、半ば黙認とされていた。

 さすがに門外不出の国宝の持ち出しについては、サーシャの従兄である現国王以下重鎮達の反対が有ったものの結局サーシャに押し切られる形となったが、条件として『誰にも見せず、誰にも貸さず』と約束させたのだった。

 しかし、そんな事はガン無視であるこの状況。

 サーシャはローズに惜しみなく貸し与え、更にはお披露目の場として衆人に晒したのだった。

 この様な国王に対する暴挙とも取れるこの行いに関しても、サーシャに何か深い考えが有っての事なのかは不明だが、その至宝は超一流の職人の手によるドレス及び化粧と共に三位一体の輝きとなってローズの魅力を際立たせていたのである。

 

 そんな大変な事情など露知らずのローズは、何も言わず固まっている皆の事を『もしかして馬子にも衣裳と呆れられているのかしら』と思い、何とか取り繕おうと対策を考えた。

 寸前まで行われた最終打ち合わせでオーディックが言っていた事を思い出す。


 『いいか、ローズ。既に会場には出席者が揃っている。会った事がある方々はちゃんと頭に入っているか?』


 そう、自分は皆を待たせている立場なのだ。

 もしかして、待ちくたびれて怒っているのだろうか?

 そんな事を考える。

 続けてオーディックはこう言った。


 『舞踏会と言う名目上、当日の同行者を一人までは許可しているのはさっき言った通りだ。大抵は夫人だが、派閥長による召集だからと数人は自分の後継者をベルナルド様に面通りさせようと連れて来てるぜ』


 確かに、と会場を見渡したローズは貴族家当主以外の者が多数居るのを確認した。

 一応それらの者達に関しても会った事が有る者の名前と特徴は教えられている。

 ここで注意しなければならないのは当主よりも夫人であろうとローズは考えている。

 女の恨みは怖い物である。

 さらりと聞いた中でも、いくつか頭が痛くなるような失礼な態度をこの場に居る夫人達にしたらしい。

 その多くは出立の日に来なかった貴族達の夫人と言う事なので、ローズの事を嫌っている事は確かだろう。

 今回の舞踏会で少しでも好印象を持って貰わないといけない。

 だから、その夫である貴族家当主達に媚びる様な真似はしてはならないだろう。

 余計な軋轢を生む結果となる事は明白だ。

 なに、元の世界でおばちゃんに慕われる術は心得ている。

 伊達に私立の有名進学校の教師としてモンペ気味の金持ちマダム相手に切った張ったを切り抜けて来た訳じゃない。

 この修羅場も乗り切ってやると、ローズは息巻いていた。


 『あ、あれ? 何かしら』


 その時、ふと皆の呆けたような視線とは違う物を肌に感じた。

 突き刺さるような視線だ。

 そちらに目を向けると、そこに居たのは一人の女性。

 年はローズと同じくらいか。

 その女性を見てローズは心の中で溜息を吐いた。

 そして、オーディックの最後の言葉を思い出す。


 『一人ばかり例外が居るから気を付けておけよ。しっかし、今日来るとは思わなかったぜ。あいつはお前の……』


 ローズはゲームに出て来なかった思わぬ伏兵に頭を痛めた。

 オーディック曰く、その女性はローズのライバルと言っても良い存在だと言う。

 更には似た者同士の犬猿の仲。

 『似た者同士』と言う言葉、それは野江 水流に目覚める前の事を指していた。

 そう、その者は王国にて悪名を二分するかの如きもう一人の悪役令嬢。


 派閥内三大伯爵家の一つであるビスマルク伯爵の一人娘、シャルロッテ=フォン=ビスマルクであった。

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