第49話 嵐を呼ぶ者

「そんな事より、なぜ母上がここに居るんだよ」


 オーディックは、本来今日はここに居ない筈の母親が現われた事を尋ねた。


「え~、だってローズちゃんの晴れの舞台じゃない? 内緒で戻って来ちゃったの」


「おいおい、幾ら息子の俺が所属する派閥だからって、うろうろするのを見られるのはまずいって」


「ごめ~ん。でもこんな可愛いローズちゃんを見る事が出来たんだもの。とっても満足よ」


 サーシャはローズに抱き付いたままそう言って、息子のオーディックに向かってウィンクしながら舌を出した。

 オーディックは、今日は父上やと一緒に王宮に引き篭もる手筈じゃないのか? と、年甲斐も無くぶりっ子をしている母親を呆れ顔で見た。


 中立な立場を取るはずの公爵が息子の派閥の舞踏会に会場を貸し出す。

 ある意味この行為は、息子の派閥に肩入れすると取られてもおかしくない行為だ。

 しかしながら、この屋敷はいささか異なる事情が存在する。

 オーディックの実家である公爵家は五代前の国王の弟が起こした貴族家で有り、代々王国の司法の長を担っているのだが、王家と近しい血筋と言う事もあり、当時その屋敷の建設には莫大な費用がつぎ込まれたのだった。

 特に今回の舞踏会会場であるホールは、王宮の大ホールに次ぐ豪華さで有名である。

 ただ、そんな豪華な施設でも使わなければ宝の持ち腐れ。

 公爵家とは言え、毎日舞踏会等を開く事など有り得ない。

 その為、先々代の当主の頃より、申請さえすればどんな派閥の者であろうとも借りる事が可能となっていた。

 勿論借りるには、それなりの身分が必要であり、借りるに足る人物かの資質、それに用途等の一定の基準の審査をクリアする必要は有るのだが。

 そして、今のローズは知る由もないが、ローズの母であるアンネリーゼの葬儀が行われたのもこのホールであった。

 ちなみに料金は、『貴族としては』と言う前置きがあるものの、比較的安価であった為、以前は借用を望む者も多く週末等は予約待ちの状態であった事もある。

 しかし、実の所料金に関して中立性のアピールする目的の元、その全額が国庫に納められる事になっていた為、舞踏会後の清掃費用を考えると公爵家にとってそれなりの損失となっていた。

 その事実が広まってからは、公爵家に迷惑が掛かると舞踏会等で気軽に借りる者も減り、もっぱら他国の迎賓の宴や成人のお披露目、それに結婚式や葬儀等のそれ程開催頻度の少ないものばかり。

 だからこそ、こんな急な日程で舞踏会を準備する事が出来たのであった。

 そして、オーディックが語った王宮に引き篭もっていると言う言葉だが、これは特定派閥が私用で借用した場合、下手に出席してしまうと利益供与の疑惑が持ち上がる懸念もあって中立性を欠くと言う事から、先代の提案で行われている事であり、開催日は当主とその夫人、そして公爵家は王宮にある司法庁舎に宿泊する慣わしとなっている。

 だから本来今日この日にサーシャがこの屋敷に居る筈も無いのだが、まぁ理由は本人が語った通りなのだろうとオーディックは更に呆れ顔で溜息を吐いた。

 


「あ、あの、サ、サーシャ様?」


 抱き着かれたままのローズは、取りあえず離れてもらおうと、いまだ抱き着いたままのオーディックの母に呼びかける。

 オーディックと結婚した時の事を想定して、フレデリカから名前は聞いていた。

 ベルナルドも先程呼んでいたし間違いないだろう。

 どんな人物なのかも聞いて置けば良かったと少し後悔するが、知っていようがいまいがどちらにせよ嵐の様にやって来て抱き着かれてしまったのだから同じ事かと、変り様の無い未来を思いローズは心の中で諦めの笑い声を零す。


「もう、ローズちゃん。『サーシャ様』なんて他人行儀だわ。母上でもお母さんでもママでも好きなように読んで!」


「なっ! だ、だからそんな事言うんじゃねぇっての!」


 好きな様に読んでと言う割には母親を表す呼称限定で呼び名を示すオーディックの母であるサーシャ。

 オーディックはとんでもない事を言い出した自分の母親に文句を言った。

 ローズからは顔が見えず声だけしか聞こえなかったが、背後から聞こえて来たその声に否定しながら満更でもなさそうと言う印象を受けローズは喜んだ。

 実際オーディックも口では否定したが満更どころの騒ぎではなく、顔は真っ赤でかなりにやけていた。

 その様子はローズには分からないものの、こりゃ母親公認なので本当にそのままオーディック様の妻でも良いかもと、一瞬思ったローズではあったが、すぐに今はそんな事をしてる場合じゃないと気を取り直して当初の目的通りサーシャには一旦離れてもらう事とする。


「え、あの、そ、その呼び方は、今はまだ早いって言うか……。それよりも取りあえず一旦離れて頂けませんでしょうか?」


「えーー? 抱き着かれるのが嫌だったの? ママ悲しいわ」


 どうやらサーシャの中でローズからの呼び名希望が『ママ』に決定したらしく、自身の一人称を『ママ』と言いだした。


「い、いえ、嫌ではないのですが、このままだとドレスに皺が……」


「あーーーー! ごめんなさい!! そうよね、もうすぐ舞踏会だもんね。ローズちゃんの大切なお披露目なのだもの。すぐに離れるわね。……ん~? まぁ! ここ少し皺になっているわ! いけない早く直さないと! ローズちゃん今から仕立て部屋に行きましょう。少しメイクも乱れちゃってるし。でも心配しないで、うちには一流の仕立て職人とメイク師が居るの。ほら早く! お付きのメイドさん、少しご主人様を借りるわね」


「え? え?」


 自らの行為が引き起こしている問題に気付いたサーシャはすぐに離れると、ローズの周りをくるくると回りだし、腰の部分に皺が出来ている事を見つけるや否や、ローズの手を引っ張り部屋の外へと向かう。


「おい、母上! まだ話が終わってねぇって! ……あぁ、あっと言う間に出て行きやがった」


 オーディックが止める間もなくサーシャとローズは部屋から出て行ってしまった。

 取り残されたベルナルドとオーディック、そして今までローズの後ろに控えていながら何も言葉を発していなかったローズのお付きのフレデリカは半ば呆れた顔で二人が出て行った扉を見詰めていた。


「ははははは、サーシャ様は相変わらず嵐の様なお人じゃわい」


「我が母ながら恥ずかしい限りです。すみません、ベルナルド様」


 オーディックはいつも以上にハイテンションだった母の行為を恥じて、ベルナルドに謝った。

 今からローズと最終の打ち合わせをする筈だったのに、母上ときたら本当に迷惑な人だと、オーディックは溜息を吐いた。


「久し振りにローゼリンデを見て嬉しかったのであろうよ。あの方も幼き頃からアンネリーゼと仲が良かったのでな。儂と同じくその忘れ形見であるローゼリンデが可愛いのであろう。中立である公爵の夫人としての立場上、なかなか本人から会いに行く訳にもいかぬしのう」


「とか言いながら、ローズが出席する舞踏会にはしょっちゅう変装して様子を見に行っていましたけどね。しっかし、母上もローズがこの間までグレていた事を知っていた筈なのに、それを悪い噂だなんてどれだけローズの事を甘く評価してるんだか……」


「いや、あの方はああ見えてとても聡明な方だ。恐らくサーシャ様の目には今のローゼリンデの姿が見えていたのかも知れぬ。いつか目を覚ましてくれるとな」


 そんなもんかねと、オーディックは心の中で巷では皆から『嵐を呼ぶ者ストームブリンガー』とまで呼ばれている自分の母の無軌道な行動の数々を思い出しながら首を捻る。


「それに儂らだけの方が話し易い事も多々有るしの」


「それは確かにそうですが……」


 ベルナルドの言葉に同意するオーディック。

 ローズと舞踏会について打ち合わせするのも大事だが、具体的な計画はまだまだローズには秘密としておきたい事が多いのもまた事実。

 もしかして、母はそこまで考えていたのか? と一瞬思ったがすぐに否定した。

 あの無自覚で人に迷惑を掛ける母が、そこまで頭が回るとは思えなかったからだ。


「其処なお付きの……。おぬしは確か『神童』であったな。一度話してみたいと思っておったのだ。儂らで情報共有といこうではないか」


「しんどう?」


 フレデリカの方を見て、『神童』と彼女を呼んだベルナルドにオーディックは首を捻る。

 しかも侯爵ともあろうものが、一メイドに対して話してみたかったなどと言うのだから驚いていた。

 オーディックの中では、フレデリカはあくまで少し困った性格だがローズにいじめられていた可哀想なメイドと言う認識のままだったのでしかなかったのだから仕方が無い。

 最近はローズの心変わりと共に雰囲気が変わって来ている事を感じてはいたが、それは自分も同じだったのでそれほど気に留めていなかった。


「……。はぁ、そんな風に呼ばれた事も有りましたが、今はローズ様の忠実なメイドに過ぎません。しかしながらそのご提案は有り難くお受けいたします。少しばかり気になる事が有りまして、侯爵様のお力添えを受けられるのならば心強いと存じます」


「フ、フレデリカ……お前は一体?」


 『神童』と呼ばれた途端、その顔から表情が消えたフレデリカを見たオーディックは驚きのあまり、現在ベルナルドに頭を下げている彼女にその正体を恐る恐る尋ねた。

 その言葉にフレデリカは顔を上げて、消えていた表情を戻しにっこりと微笑んだ。


「先程申し上げた通り、今の私はローズ様のメイドです」


 オーディックは答えになってねぇと、心の中でツッコんだが実際に言葉には出せなかった。

 フレデリカのその微笑みにそうさせる迫力が有ったから。


「はっはっはっ。まぁその事も含めて作戦会議と行こうではないか」


 ベルナルドがそう笑いながらオーディックの肩を叩いた。




        ◇◆◇




「ローズちゃん。服の皺なんかすぐに直っちゃうからもう少しその格好のままで我慢してね」


 仕立て室に連れて来られたローズは、控えていたこの屋敷のメイド達にあっと言う間にドレスを脱がされてしまい、現在はガウンを羽織ってサーシャとお茶を飲んでいる。

 廊下を引っ張られながらもあれやこれやと話し掛けて来ていたサーシャ。

 今現在も色んな話を投げかけて来ているが、その殆どが自己完結で話が終わるものばかりだった。

 ローズはそんなサーシャに、ふと懐かしいものを感じた。

 それは先程みたいに屋敷の壁の色の様なローズとしての過去に纏わる事ではない。

 この世界に来る前の野江 水流としての懐かしい記憶だ。


 大好きだった高校時代の先輩。

 ただ何も姿形が似ていると言う訳ではない。

 先輩はショートカットで背も高く、道理を拳で打ち破り己が道を突き進むそんな感じの女性だった。

 それに比べて目の前の女性は、綺麗な長髪のぽわんとした可憐なお姫様が天真爛漫そのままに年を取ったと言う表現がぴったりな感じの雰囲気である。

 外見的イメージは真逆だと言えるだろう。

 しかし、魂の有り様と言うべきか、偶に迷惑と思わなくもない程の行動力で周囲を巻き込んで騒動を起こす事も有り、彼女の事を『嵐を呼ぶ者ストームブリンガー』なんて呼ぶ者も居たくらい困った人だった。

 しかし、いつのまにか巻き込まれた者達も先輩と一緒になって走り出し、最後は皆が一丸となって笑っている、そんな気にさせる人。

 自身の目指す先、そうなりたいと思える尊敬すべき先輩。

 ローズは何故だかサーシャの中にその先輩が重なるのを感じた。


「あ、あの、サーシャ様。 先程サーシャ様は私の昔の悪行を悪い噂と仰られていましたが、あれは噂などではありません」


 サーシャに大好きだった先輩を重ねたローズは、サーシャに勘違いされたまま黙っている事に罪悪感を覚え、ローズとしての過去の悪行の事実を肯定した。

 野江 水流としての意識が目覚める前の事なので全く実感はない、と言うか、ゲームでは被害を被っていた側なので少々釈然としない所はあるのだが、ローズとして生きて行くには無視する事は出来ない過去なのだから。

 サーシャはその言葉に優しく微笑みながら目を瞑って頷いた。


「……。そうね、けどそれは悪い大人の悪い思いで作られた弱い心の影法師。もう大丈夫。今のあなたが本当のあなたなのよ」


 暫しの沈黙の後サーシャは急に落ち着いた口調となり、ローズにそう語り掛ける。

 ローズは先程までのテンションとの落差にドキリとした。

 今の言葉はどう言う意味だろう?

 まるで、今の自分が野江 水流である事を見抜かれたかの様に感じた。

 そして自分の方が偽者なのにと、胸が締め付けられる。


「あ、あの……」


「ほらほらそんな顔しないの、ローズちゃん。今の強いあなたも過去の弱いあなたも、どれも全部あなた自身なの。けど、人は変われる。そして過ちは取り返す事だって出来るわ。今の自分を信じなさい。ママも、天国のあなたのお母様も応援しているんだから」


 最後の言葉は元のテンションに戻ってはいるものの、その眼差しはとても優しい。

 こんな所まで先輩に似ていると、ローズは懐かしい先輩の事を思い出した。


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