第12話 派閥

「ごきげんよう……って、あらら。まぁ一朝一夕ではダメねぇ」


 玄関へ向かう道すがら数人の使用人とすれ違ったが、食堂での事はまだそこまで広まっていない様で、ローズがにこやかに挨拶しても、まだ半数以上が顔を引きつらせて小さく挨拶したかと思うと慌てて足早に立ち去って行く。


「はははは、今までが今までだったからねぇ~。急に笑顔で挨拶するもんだから皆怖がっているじゃないか~」


 ホランツがまるで逃げ出すかのような使用人の態度に呆れ気味でそう言って来た。

 ローズは返す言葉も無く、腕を組んで困ったものだとため息をつく。

 自分の与り知らぬ事とは言え、今は自分の身体である。

 ローズは元のローズのわがままにより蓄積されて来た業の深さに改めて思い知った。


「僕が皆に頼んであげようか? お姉ちゃんは次期当主になるように頑張っているって」


 カナンが横から覗き込むように見上げて言って来る。

 あどけないその顔に少し心が軽くなった。


 『それも良いかもしれないわね、第三者の口添えが有ったらもっと早く変わった自分を受け入れて貰えるかも。信頼も何も怖がられている現状じゃ前に進めないわ。カナンちゃんの可愛さなら、皆言う事をきいてくれるんじゃ……。あ、でも、あれ? そう言えば……』


 カナンに口添えを頼もうかと思ったローズだが、何か引っかかりを覚えた。

 それはゲーム内の使用人仲間との会話に度々出て来たカナンに対する評価。

 基本的には『可愛い』と言うものが大半だったが、中には『怒ると怖い』とか『さすがお嬢様の従弟』と言った少しおかしな言葉が含まれていた。

 エレナに対しては、終始一貫して今のローズに対する態度と同じほよぽわだったのでピンと来なかったのだが、こんなかわいい顔してもカナンは貴族である。

 ゲームシナリオ的に運命の出会いを果たしたエレナとは違い、使用人との間には何らかの心の壁を作っている可能性も有る。


 『う~ん、そう言えばゲーム中にカナンちゃんがうちの使用人達と絡んだシーンなんて出て来なかったし、使用人達の評判も謎なのよね。確かに覚醒イベント後のカナンちゃんは男らしくてカッコいいんだけど、案外それが素でエレナやローズと取り巻き達の前では猫を被っていたって事かしら? ホランツ様がキザ男だったみたいに』


 ローズの中の人である野江 水流は現実的な思考の持ち主かつ石橋を叩いて渡る性格である。

 学生時代も不確定の事項を不確定のまま希望的観測で楽観視などしない。

 不確定を確定事項にするまで追求するか、それが無理なら最悪のケースを想定して動く。

 それは臆病とも取れるのだが、持ち前の行動力で数々の困難を打ち破って来たそんな人間であった。

 自身の恋愛事情はその限りでは無かったのだが……。


「ありがとうカナンちゃん。大丈夫よ。何とかしてみせるわ。それもこれも私の不甲斐無さの表れですもんね」


 自身にどんな事情が有ろうとも、ローズを労わるカナンの気持ちは嬉しく思っており、自分で何とかしてみせると言う決意と共にカナンに感謝の言葉で応えた。

 今なら何とかまだやり直せる。そして幸せな未来をつかみ取る。

 その想いがやる気となってローズの目に炎を灯す。


「え? あ、うん。……分かったよお姉ちゃん。でも、辛くなったら僕を頼ってね。僕だって男の子なんだから」


 カナンはローズの熱意に圧倒されたのか、初めは少し頬を赤く染めながら言葉を濁していたが、最後は頼もしい事を言って来た。


「カナンちゃん! お姉さん嬉しいわ!!」


「む、むぎゅ。お、お姉ちゃん。く、苦しい」


 あまりの健気な言葉にローズは嬉しさのあまり思わず抱きしめてしまった。

 カナンの背は小さいので丁度顔がローズの胸の位置に来る為、真正面から抱きしめられるとローズの胸に埋まってしまう様だ。

 カナンは息が出来なくてもがいていた。


「ご、ごめんなさい。気持ちが嬉しくってつい」


「ぷは~。死ぬかと思ったよ~。お姉ちゃん思いっ切り抱きしめるんだもん」


 カナンはそう言っているが、解放された事に少し残念そうな顔をしていた。

 年齢差や身長差の有る恋愛物では定番な今のやり取りに、ローズは改めてこのゲームに転生出来た事を神に感謝し、カナンの愛くるしい姿に頬が緩む。


 『あら?』


 その時、視界の隅に異様な物が映り込んでいるのに気付いた。

 その位置に立っているのはホランツだったが、視界に見えているその顔はぼやけていてもまるで知らないモノであった。

 朗らかな笑顔でも無く、先程からのキザな顔でもない。

 まるで怒気を孕み睨み付けるかの様な表情。

 慌ててホランツに目線を合わせた。


「ん? どうしたんだいローズ?」


「あ、いえ…」


 目を合わせた時には既にキザなホランツの顔だった。


「それにしても羨ましいね。ローズに抱きしめて貰えるなんて」


「へっへ~ん。お姉ちゃんのハグは僕だけの物だも~ん」


 ホランツはカナンに不満の言葉を漏らし、カナンはそれに対して得意気に返す。

 そのやり取りを見てローズは先程の事を納得した。


 『あぁ、さっきのは見間違いじゃないのね。嫉妬の顔だったんだわ。まぁ、好意を寄せている女性が他の男に抱き付いているのは幾ら年の離れた従弟と言えども面白くないわよね。こんな事で嫌われたら元も子もないわ。これからは気を付けないと。だってまだイケメンハーレムを堪能出来てないんですもの!』


 没落を回避出来た後は分からないが、将来的にはゲームのエンディングと同じように誰か一人に絞らないといけないとはいえ、それまではゲームのストーリーと同じようにローズにはイケメン五人を従えたハーレムが約束されている。

 それなのに自らを破滅に導く主人公が登場する前に、自らの行為でイケメンハーレムを瓦解させるなど非常に愚かな行為だ。

 ローズは少なくとも自分が満足するまでは、特定の誰かに肩入れするのは止めようと心に誓った。


「ローズ。僕も君の盾となり力になる事を約束するよ。お願いだ僕も抱きしめてくれないかい?」


  カナンばかり抱きしめるとずるいと言わんばかりにホランツも手を広げ懇願するような目でローズを見詰めて来た。

 イケメンが自分に抱きしめてくれなどと言う要求を今まで一度も受けた事の無いローズは先程の決意を忘れて、その言葉通りに抱きしめようとしたが何とか踏みとどまった。

 

 『ダメよローズ! ここで流されてはダメ! いつも抱きしめているカナンちゃんなら兎も角、ホランツ様はある意味洒落にならないわ。ほら、何人かの使用人が遠巻きにこちらを伺っているし、こんな所で抱き付いたら色々噂が立っちゃう』


「フフフフ。ホランツ様? 私のハグはそんなに安い物ではありません事よ? カナンちゃんは、ほら可愛い弟みたいな物よ」


 心の中で血の涙を流しながらローズはゲームのローズらしくホランツのハグの要求を突っぱねた。

 辛い、本当に辛い。ただそれだけがローズの心の中を木霊する。


「う~ん、残念。初々しいローズなら要求にこたえてくれるかと思ったのに。そのガードの固さはいつものローズだね」


 ホランツは残念そうに苦笑する。

 その様子から、どうやらどさくさ紛れに抱き付きたかっただけの様だ。


「お姉ちゃん! 僕だって男だよ男! 弟なんてひどいよ!!」


「フフフ、さぁお父様を待たせてしまっているわ。玄関に急ぎましょう」


 カナンの抗議をさわやかにスルーしてローズは玄関に向けて歩き出す。

 勿論心の中では血の涙を流している。

 イケメンに塩対応している自分に猛烈に後悔しているのだが、幸せな未来を掴む為と心を鬼にしているのだ。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「お父様! お待たせしました」


 玄関ホールへと続く階段まで辿り着いたローズは、二階の手摺から少し身体を乗り出し、階下で執事長と話をしている伯爵に言葉を掛けた。

 恐らく自身が留守にしている間の事を打ち合わせしているんだろう。

 ローズの声に伯爵だけでなく執事長、それにホールに居たお見送りの使用人達の他、幾人かの客の姿が見える。

 国境視察に同行する騎士団の団員達。

 他にも同じ派閥の貴族達が駆け付けたのか、身なりの良い者達が供を連れて伯爵の周りに立っていた。


「あっ、やばい。僕はちょっとばかり身を隠させて貰うよ」


 背後の廊下の影からそんなホランツの声が聞こえて来た。

 振り返ると確かにホランツの姿が無い。

 突然の事に訳も分からずローズが首を傾げていると、隣に立っていたカナンが、肘で軽くローズを突きながら小声で事情を話してきた。


「お姉ちゃんは興味無いかもしれないけど、ホランツお兄ちゃんってうちの家の派閥と敵対している派閥の家の者なんだよ。叔父さんだけなら良いんだけど、他の貴族に見られると色々と問題が有るんだって」ボソッ。


 貴族の世界の常識は現ローズも、カナンの言う通り元のローズでさえ曖昧だった。

 そして、このゲームの主人公も平民の出だった為、基本ゲームシステムに不要な貴族に関する説明も出て来なかった。

 特に貴族間の派閥なんて物は、ローズからイケメンを奪うと言うこのゲームには全く不要な情報であった為、ゲーム内はおろか説明書のキャラ紹介でさえ触れられていない。


 『漫画とかで聞いた事あるわ。この世界でもそんな物が有ったのね。それにホランツの家がそうだったなんて驚きね。派閥を超えての愛。まるでロミオとジュリエットじゃない! 素敵だわ~』


 対立派閥なのに私の元に来てくれる。

 そんな恋愛物定番なシチュエーションにローズは心を躍らせた。


「おぉ、ローズ。待っておったぞ。早くこっちにおいで」


 階段の途中で立ち止まったローズに伯爵が声を掛けて来る。

 その声に慌ててローズは階段を駆け降りた。

 

「すみませんお父様。すぐに行きますわ」

 

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