第2話 難しい事は置いといて

「これ、あれよね? 確実にアレよね? いわゆる一つのゲーム世界に転生するって奴」


 未だ混乱は冷めやらぬ状態だが、何度頬を抓ってみも痛みはしっかりと頬に刻まれるだけで目が覚めない。

 これ以上抓っても、折角の綺麗な顔なのに片方の頬だけが腫れてしまって台無しだと彼女は想い、取りあえず現状を飲み込む事にした。


 『この顔は間違いなくさっきまで遊んでいたゲームに出て来たライバルキャラだわ。性悪悪役令嬢の……名前はなんて言ったかしら? ゲーム内では基本お嬢様か愛称で呼ばれてたから……? あぁそうそう』


 自身の記憶を確かめるべく、彼女は振りむいた。

 その先には声を掛けて来ていた女性が床にへたり込んでいる。

 今まで目もくれなかったので、気付かなかったがどうやらその姿からメイドの様だ。

 しかし、それはゲームの主人公ではない。

 確か悪役令嬢のお付きのメイドで、事有る毎に悪役令嬢の怒りを買って酷いお仕置きをされると言う可哀想な脇役キャラだ。

 彼女は泣きながら命乞いをしている彼女の姿に、ゲーム内のお仕置きグラフィックが重なり思い出した。

 名前も有ったはず。


「えぇと、あなた。フレデリカ? で良いわよね?」


「はっ、はい! え? えぇぇ!」


 名前を聞かれたフレデリカと呼ばれたメイドは、『今更名前を聞きますか?』と言う顔をしたが、すぐさま絶望に染まった顔をした。

 ずっとお側にお仕えしているのに名前を聞かれた……。

 これが意味するのは、通常『もうあなたの事なんて興味も無いわ。早くこの屋敷から出て行きなさい』と言う懲戒解雇宣告に他ならず、孤児であったフレデリカはたまたま修道院にいらした伯爵家の旦那様に、その働き振りを見染められて拾われた過去を持ち、この屋敷を追い出されると行く当ても無く、また粗相により解雇されたメイドなど再就職もままならない。

 特に身分の高い貴族の家を解雇されたとなると、狭い業界ゆえ立ち所に情報が出回り、その家の上の身分の貴族等は言わずもがな、下位の身分の貴族にしても、その様な者を雇って上の貴族に睨まれたくはないと手を付けない。

 要するに路頭に迷ってしまうのだ。


 この悪役令嬢、もとい性悪な伯爵令嬢から解放されるのは喜ばしい事なのだが、その様な事情である為、日々の嗜虐に耐えながら毎夜枕を涙で濡らして、今までそれなりに上手く立ち回って来ていた。

 それなのに、どうやらついにお嬢様の逆鱗に触れたらしい。

 けれど、何故だか分からない。

 性悪なお嬢様だが、父である旦那様伯爵の事は大好きで、以前今回の様に長期任務で出立する朝に寝覚めが悪く見送りに間に合わなかった時が有ったが、その際のお嬢様の怒りたるや筆舌に尽くし難く、フレデリカにとっていまだにトラウマとなっていた。


 その為、今日は少しきつめに起こしたのだが、それが気に食わなかったのだろうか?

 なんと言う理不尽の塊なんだとフレデリカは心の中で憤慨したが、それを表に出そうものなら物理的に首が飛ぶことを理解している為、必死で喉から出ようとした言葉を飲み込んだ。


「お嬢様っ! 申し訳有りませんでした! もう致しませんのでどうか首だけはご勘弁を」


「はいぃ?」


 彼女は、フレデリカが何を言っているのか理解出来なかった。

 今のこの現状すら把握し切れていないのに、更なる追い討ちでメイドが号泣しながら自分に謝っているこの状況。

 目覚めてすぐの彼女に分かるはずも無い。


「あなた何を謝ってるの? 首ってどう言う事?」


「何と申されましても、私がお嬢様を起こす為とは言え、少々きつい言葉を使ってしまって……、本当に申し訳有りません」


 フレデリカは『あぁ、お嬢様は私の失態を私自身の口から言わせようとしているのだわ。本当になんと意地の悪い人なんでしょう』と思いながらも深く土下座して、望みの薄い許しの慈悲が訪れるのを待った。


「あぁ、そう言うことね。あっはっはっは」


 彼女は急に謝り出したフレデリカの行為の意味を理解して笑い出した。


 『そう言えば、フレデリカってゲームの中じゃ悪役令嬢にいつも怒られていたわ。そうそう、その所為で主人公に影ながら味方するって言うお助けキャラだったのよね』


「そんな事は別に良いわ。それにもしあなたが起こさなかったら、私もっと怒ってたでしょう? ありがとうね」


 ゲーム内のイベントでもこの事をフレデリカの口から主人公に愚痴を零す場面が有った事を彼女は思い出した。

 フレデリカ役の声優が迫真の演技で三分間に渡って怒涛の愚痴を絶叫すると言う、そのイベントには腹が捩れる程笑った彼女だったが、さすがに三人目の攻略時にはメッセージスキップした。


 『そう言えば、声までゲームと同じなのね』


 フレデリカもそうだが、自身の声も先程までテレビから嫌と言う程聞いていた声だった。


「え? えぇぇぇーーー!! お、お嬢様何か悪い物でも食べたんですか? それともご病気になられ……もごもご。いえ何でも有りません」


「あなた酷い言いようね」


「も、申し訳有りませんっ!! お嬢様がありがとうと言われることに驚いて口が滑って……いえ、嬉しさのあまり気が動転してしまい……」


 フレデリカは又もや深く土下座して必死に謝っている。


 『う~ん。これは相当ね。ゲームでは主人公サイドの視点だったから、あぁかわいそうで済んでたけど。当事者だとかなり良心が傷むわね』


「顔を上げなさいフレデリカ。そんな事はどうでも良いと言っているでしょう」


「いえいえ、本当に申し訳有りません。何卒、何卒ご容赦を~!」


 フレデリカは騙されない。

 以前も似たような事が有った。

 その時も、顔を上げなさいと言われて、そのまま顔を上げたら『そこで本当に顔を上げる奴が居ると思っているの? 心から謝罪していないって事ね。三日間食事抜きよ』と言われてひもじい思いをしたのだ。

 だからフレデリカは騙されない。

 いつ顔を上げたら良いのかは分からないが、取りあえずお嬢様が満足するまで頭を下げておこうとフレデリカは思った。

 そして、このフレデリカの考えは、三分間愚痴絶叫イベントで視聴済みな彼女にとって把握しているので、しつこく『顔をあげろ』と言っても埒が明かない事は明白だ。

 そこで彼女は一計を思い付いた。

 自身の確認。

 今までのフレデリカとのやり取りで十分確認は取れているのだが、やはり第三者からの言葉で確認しておきたい。

 そう、今自分が誰なのかを……だ。


「ふぅ、ではこうしましょう。私のフルネームを噛まずに言えたら許してあげるわ。長年私に仕えているなら造作も無いことでしょう?」


 彼女はあえてゲーム中で悪役令嬢我喋っていた様な意地悪な口調で言った。

 恐らく、優しく言ってもフレデリカは罠だと思って余計頑なになってしまうだろう。

 だから、普段の悪役令嬢の言葉を使ったのだ。

 なに、この三日間悪役令嬢の言葉や喋り方、それに考え方までもうんざりする程味わったので、悪役令嬢に成り切ること等造作も無くなっていた。

 このゲーム、主人公の声など選択肢の際にチラッと流れる他はイベントやエンディングで少し喋るだけ。

 プレイ時間の大半はライバル役の悪役令嬢の一人語りで占められている。

 今の彼女の心の半分は悪役令嬢で出来ていると言っても過言ではない。

 身体は悪役令嬢なので75%悪役令嬢と言えるだろう。


「え? お嬢様の名前ですか? はいっ! 言えますとも。あなた様の名前はローゼリンデ・フォン・シュタインベルク伯爵令嬢様でございます」


 『ふぅ~やっぱりね。そして愛称はローズ。 真っ赤なドレスがトレードマークなのよね。と言うかゲーム内では社交界のドレス、普段着、いま着ているこの寝巻きの三種類しか画像が無かったのよね。あ、いやそう言えば追放エンドでは継ぎ接ぎの地味な色のドレスを着ていたっけ? まぁ、主人公でさえ普段着とメイド服、あぁ、あとエンディングのウェディングドレス位しか無かったんだし、私の方が多いわよね』


 彼女……ローズは心の中でその小さい勝利にガッツポーズをする。

 実は『メイデン・ラバー』は主人公の一人称始点で展開されるゲームの為、他の衣装が画像として存在していないだけでテキスト中ではローズ以上の多彩な衣装を着ている事になっているのを忘れているようだ。

 

「よろしい。許してあげるわ。今後は気を付けなさい。それよりもお父様がご出立される日だったわね。すぐに支度をして頂けないかしら?」


「はいっ! お嬢様!」


 良く分からない内に許された事に喜んだフレデリカが元気良く返事をして、身支度の準備に取り掛かった。


 『う~ん、ゲームではこの台詞の後暗転して普段着のドレス姿に早替わりしたのだけど、そう言う訳にも行かないのね。本当にどう言う事なのかしら? ホッペがまだ痛いから夢じゃないし、だからと言って起きたらゲームの中なんて有り得ないでしょう』


 ぐぅぅぅ~。


 現状をあれこれと考察していたその時、お腹の虫が部屋中に鳴り響いた。

 凄い勢いでフレデリカが『貴族のご令嬢がお腹を鳴らした!』と言う表情で振り返って来たが、ローズは気付かなかった。

 そんな事より、彼女は思い出したのだ。

 そう、三徹で何も食べていなかった自分に。


『まぁ、いいわ。難しい事は置いといて、取りあえず今は朝食を頂く事だけ考えましょうか』


 毎日カップ麺かコンビニ弁当が主食であった彼女にとって、貴族の朝食と言う物が楽しみで仕方無い。

 いま彼女の頭の中には、現状に対する『なぜ?』など存在しない。

 100%これから目の前に姿を現すであろう『貴族の朝食』で埋め尽くされていた。

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